白馬に乗った王子様には掃除をすべき城がある
少子化や「女性の活躍」についてはたくさんの本が出ているが、本書は出だしにあるこのフレーズを見て続きを読まずにいられなくなった。
おとぎ話はたいてい、王子と姫が試練の末に結ばれ、その後ずっとお城で幸せに暮らしました、というところで終わる。物語としてはそれでいいのだが、本書はあえて王子と姫のその後を想像するところから始まる。考えてみれば、王子と姫はワーキング・カップルである。国を守りながらお城を維持し、お世継ぎとなる子を産み育てるには相当なお金やエネルギーがいるはずだ。
現実の日本の社会でも、人はおとぎ話さながら、人生の伴侶とする理想の異性を見つけようとするという認識がまだまだ支配的だ。そんな願望を前提にした演出が雑誌にもテレビにもあふれている。しかし実際には、波乱万丈の恋愛を経て意中の人と意気投合し、互いの家族の了解も取りつけ、夢のような結婚ができたとしても、その後一生幸せでいられる保証はない。生計を立て、子どもを育てたり親の面倒を見たりしつつ老後に備えようとする毎日は、それなりに幸せであっても、「めでたし、めでたし」のイメージとはちがう。
本書のタイトルにある<見えざる手>は18世紀の経済学者アダム・スミスの言葉で、人が利益を追求して活動すれば社会全体の利益も増していくという市場のメカニズムを指す。これに対して、その<見えざる手>を裏で支える、市場にヒト(労働者)を供給する営みのことを著者は<見えざる心>と呼ぶ。子どもを産み、育て、病人や高齢者の世話をするのが<見えざる心>。本書はこちらに光を当てる。
<見えざる手>が社会で大事にされてきたのはいうまでもないが、同じ社会で<見えざる心>はどのように機能し、評価されているのだろうか?
本書によれば、ひとりの子どもが労働者になるまで、つまり<見えざる手>の一部になるまでには直接費用(衣食住と教育費)が2400万円、機会費用(母親が育児時間を労働市場で使っていたら得られたはずの賃金)が1億8600万、合わせて2億1000万もかかる。主にその子の親が負担する額である。
現状では、子どもを育て上げるのにそれだけの費用がかかるのとは裏腹に、子どものいる世帯には共働きが少なく、平均すると「子なし」世帯のほうが多く稼いでいる。さらに年金受給額も現役時代の収入に比例するので、「子なし」世帯のほうが年金を多く受け取ることにもなる。<見えざる心>は社会の繁栄に不可欠なのに、それを育む者が損をする仕組みになっているではないか! しかし、それでも人は子どもを産み、育てる。何がそうさせるのか。そこにはどんなパワーが秘められているのか?
本書には、冒頭で取り上げた「掃除すべき城」のほかにも、つい「なになに?」とページを繰ってしまうようなフレーズが満載だ。著者はそんなフレーズを駆使しながら<見えざる心>を分析し、家庭と市場にかかわる重大なトピックをさばいていく。
たとえば、長期契約の愛人と専業主婦の妻は本質的にどこがちがうのかを考える<プリティ・ウーマンの経済学>。<学歴は、男性にしか効かないクスリと同じ>は、日本ではもともと女性がキャリアを続けにくいうえ、女性は学歴が高くてもキャリアの継続につながらないという珍しい現象のこと。
さらに日本では、女性の昇進を阻む目に見えない障壁が除かれるよりも先に男性の働きかたのほうが変わり、女性並みに不安定な働きかたをするようになった。これを著者は<「ガラスの天井」ではなく「どぶ板」が割れた>と言い表す。日本では女性が仕事を辞めることで再生産システム、つまり社会が次世代を産み育てる仕組みが維持されてきた。しかし「どぶ板」が割れたことで、企業社会を支えてきたこのメカニズムが機能しなくなってきている。
<ちゃぶ台返しの逆バージョン>というのもある。この逆バージョンでは暴君オヤジではなく主婦のほうが「誰のおかげで家事もせずに仕事に行けると思っているのよぉ!」とちゃぶ台をひっくり返すのだが、いったいなぜそんな話が出るのかをここでは説明しきれないので、ぜひ本書で読んでほしい。ほかにも、<女子のランクは彼氏で決まる>、<崖っぷちのジャンヌ・ダルク>、<働くあなたの”生存時間”と”半減期”>といった魅力ある小見出しが並ぶ。
いまは、姫であっても王子と同じように戦場に赴くことを求められ、しかし従来どおりお世継ぎを産むことも期待される時代である(著者によるエッセイ「『戦うお姫様』の物語」を参照)。子どものころに、姫とはこういうもの、王子とはこういうものだと教わったことと、大人になってから実生活で求められることがくいちがい、「こんなはずじゃなかった」などと感じる瞬間も多いかもしれない。そんな疑問や不満が症状だとすれば、本書を読むと、その症状が出る背景や原因が見えてくる。
著者本人にかかわるエピソードや懐かしいCMの種明かしなども次から次へと紹介され、長年の研究と経験に基づいて書きおろされた密度の濃い本でありながら(だからこそ、というべきかもしれないが)とても読みやすい。日本でいまを生きる人みんなに読んでほしい一冊。