本書は「なぜネアンデルタール人が絶滅し、初期現世人類は絶滅しなかったのかという人類学の大問題」に、最新の研究結果と巧みな想像力で迫っていく、知的興奮に満ちた一冊である。原書である『The Invaders』は2015年3月に出版されたばかりで、著者が引用している論文はここ数年で発表されたものも多く、古人類学の知識を大幅にアップデートできる。本書で描かれるネアンデルタール人の真の姿、絶滅への過程、侵入者としてのヒトとイヌの姿はこれまでの常識とは大きく異なり、驚かずにはいられない。
ネアンデルタール人絶滅という大問題には、これまでも様々な角度から解答が提出されてきた。有力だと考えられてきたものの1つは、気候変動説。ネアンデルタール人が地球上から姿を消した頃の気候は非常に不安定で、数百年という短い周期で温暖期と寒冷期をいったりきたりしていた。しかし、気候変動だけでは、説得力ある説明にはならない。なぜなら、ネアンデルタール人絶滅時期の気候変動は確かに激しいものであったが、それ以前にはもっと過酷な寒冷期や気候の変動があったからだ。気候変動だけで絶滅したのなら、もっと前に絶滅していたはずなのだ。
ペンシルヴァニア州立大学名誉教授で古人類学の専門家である著者は、「侵入生物」をキーワードにこの大問題に挑んでいく。侵入生物とは「それまで(過去に)生息したことのない新しい地理的領域へ移動した生物」であり、侵入生物は生態系に広範にわたる影響を及ぼし、日常的に絶滅を引き起こしている。「IUCNレッドリスト」に掲載された絶滅動物・絶滅に瀕している動物全680例の分析結果は、侵入生物こそが最も一般的な絶滅原因だということを示している。そして、古生物学的タイムスケールでみれば、わたしたち人類はアフリカを除くあらゆる場所へと侵入した「生物史上最も侵入的な生物」となるのである。
書名にあるように、”史上最強の侵入生物であるヒトとイヌがネアンデルタール人絶滅の大きな要因となった”という大胆な因果関係をより確実なものにするために、著者は仮説の土台となるファクトを徹底的に吟味するところから本書をスタートさせる。そもそも、ネアンデルタール人と現世人類はどの程度交流があったのか。両者が異種交配していたことは、科学的に広く認められるようになってきたが、いつ、どこで、どのくらいの時間を共有してきたかについては結論が出ていない部分もある。
著者が本書の執筆にとりかかった頃、ネアンデルタール人と現世人類はどちらも5万~2.5万年前のユーラシアに生息したと考えられていた。2.5万年もの長い時間を共有していたとすると、侵入者としての現世人類のネアンデルタール人絶滅への影響はとても緩慢で、侵入生物学的視点からはヒトの侵入が絶滅へ寄与したとは考えにくくなる。そもそも、5万~2.5万年前という数字はどこから導き出されたものなのか、著者は年代測定に潜む落とし穴を1つずつ潰していく。
年代測定といえば放射性炭素年代測定が先ずは頭に浮かぶが、その測定には理論的な限界とエラーが入り込む実際的な困難さが伴っている。そして、現代の炭素による試料の汚染などに最新の注意を払った2012年の研究などから、ネアンデルタール人が約2.6万年前まで生息していたという従来の説を明確に否定された。これらの研究によりネアンデルタール人は、4万年前以降には恐らく生存していないと結論付けられたのである。本書では、このような古代を扱う研究がどのようにデータを基に進められているか、データを読み解く際にどのように注意すべきかを詳しく教えてくれる。
これで、ネアンデルタール人と現世人類がともに過ごした期間は2600年~5400年程度に短縮された。この共存の時代に、ネアンデルタール人と現世人類が同じ種類の食物に依存しており、新たな侵入者である現世人類がネアンデルタール人の取り分を奪っていたことが分かれば、ヒトが絶滅原因だという仮説は一歩前進できる。4万年前のネアンデルタール人や現世人類は何を食べていたのか、最新の研究は実に多くのことを明らかにしている。例えば、ネアンデルタール人の歯石や石器の形状、さらには化石に含まれる同位体分析から、ネアンデルタール人は植物をほとんど食べておらず、長期的に肉を主食としてきたことが確かめられている。遺跡の調査からはその肉がどのような生物に由来するかも分かるのだが、果たして、ネアンデルタール人と現世人類はかなりの部分で食物資源が重なりあっていたのだ。
それでは、同じ食物をめがけて競い合ったネアンデルタール人と現世人類は、どちらがより良いハンターだったのか。そして、そのハンティングの腕前の決定的な差を生み出した要因は何だったのか。議論はオオカミを家畜化した末にヒトが手に入れた、イヌの重要性へと展開していく。ヒトとイヌの深いつながりが例外的に大きなヒトの白目(強膜)にも現れていることなど、興味深い事実が次々と例示されていく。そして著者は、形態学や遺伝学からはオオカミとイヌを区別することはできず、「オオカミでなくイヌであることは、その行動と人間との関係からしかわからない」と説く。
本書は後半へ進むほど仮説の割合が多くなってくる。もちろん、著者は自らの説に更なる検証が必要であることは百も承知であり、本書を通して「きわめて一貫したストーリーがみえてくるのだが、しかしまだ欠点や不明点でいっぱい」であると述べている。本書からは一貫したストーリーとともに、古人類学の分野が日々新しい発見に満ち溢れた刺激的なものだということがひしひしと伝わってくる。
2015年10月に発表されたヨーロッパよりも先に中国に現世人類が存在していた可能性を示す研究が話題を呼んだが、本書の内容とあわせると色々なストーリーが浮かんでくる。気候が温暖なときはより体格の大きなネアンデルタール人のテリトリーであるヨーロッパを避け、競争相手のいない地で狩りやコミュニケーションのスキルを磨いた後に、寒冷期を迎え集団規模が小さくなったネアンデルタール人のいるヨーロッパにイヌを携えて再挑戦したのかもしれない、などとついつい考えてしまうのだ。科学は過去をどんどんと新しくしていく。本書を読めば、そんな新しい過去をより一層楽しむことができるようになるはずだ。
ネアンデルタール人と現世人類の交配を科学的に証明することに成功し、古代DNAの解析という分野を開拓したペーボ博士による自身の人生、研究成果を振り返った一冊。一人の科学者の伝記としても、一つの科学分野の誕生物語としても、最高に面白い。巻末解説はこちら。青木薫の解説はこちら。