本書では北村孝紘、松永太、角田美代子など平成の凶悪殺人事件の主犯10人に迫っている。凶悪という言葉がかすむほど、彼らの犯行は理不尽で壮絶だ。
被告である家族4人全員に死刑判決が下った「大牟田4人殺害事件」。残虐性からマスコミが報道を自主規制した「北九州監禁殺人事件」。「大阪養子縁組連続殺人事件」は養子縁組や結婚、離婚を繰り返した保険詐欺グループの周りで交通事故や死亡事件が相次いだ。いずれの事件も死亡者は複数。「北九州ー」や「尼崎連続変死事件」のように複数の家族が丸ごと消えている事件すらある。
これらの事件はすでに一つに絞って、掘り下げた書籍も多い。「大牟田4人殺害事件」を扱った『我が家一家全員死刑』や「北九州殺害事件」を追った『消された一家』は頁を捲るたびに戦慄を覚える。
こうした前書がありながら、本書に新鮮さを覚えるのは犯人や関係者、被害者との対話を事件ごとに時系列に収めているからだろう。事件直後、そして今、彼らは何を考えているのか。事件現場や拘置所での丹念な取材が犯人との対話からにじむ。
現代は事件が明るみに出るや、インターネットで爆発的に情報が普及する。被害者や加害者の学歴や職場はもちろん、家族関係や住所までさらされることも珍しくない。玉石混合とはいえ、細切れのファクトがネットには溢れる。
一方、風化も早い。社会構造が複雑化して、紋切り型に犯罪を論じるのが難しくなったとはいえ、事実の量と反比例するかのように、事件の背景への洞察は浅くなっている。
著者はこうした状況に疑問を投げかける。事件後も被告や関係者への取材を続ける動機がそこにある。ネットに散らばる無数の断片の事実からは見えてこない、犯人の心の機微を探る。
とはいえ、読めば読むほど対話が難しいことも痛感させられる。「北九州ー」の松永太のように同棲相手の親族を支配下に置き、殺し合いするように仕向け6人を死亡させても、反省のかけらもない人間を理解しようとする行為は愚かかもしれない。「サイコパス」と断定することで、理解を放棄することで、自分を納得させるしかないのだろう。
「福岡3女性連続強盗殺人事件」の鈴木泰徳の底知れぬ無自覚さには恐ろしくなる。妻に夜の生活を拒絶され、性欲が赴くがままに犯行に走った。事件後も被害者の女性の携帯電話で出会い系にアクセスしていたことで捕まった。使っていた理由は通信料が安くなるから。逮捕後は妻に「私の精一杯の努力を理解して欲しかった」と泣き言を漏らす。
根気よく「理解」しようとする著者だけに、対話を通じて人間らしさを発見するときもある。
「大牟田ー」の北村孝紘は元暴力団員で自分の家族が見ている前で笑いながら人を絞め殺すなど躊躇無く4人を殺した。その経緯は本書に譲るが、刑事に最後に充てた手紙に「最後に、大好きで最高の警察官・刑事たちマジありがとうございました。じゃあ『さようなら』は嫌いなので『バイバイ』」と記した。著者との最後の面会では涙を浮かべながら「本当にありがとうございました」と深々と頭を下げた。
著者は北村の人間らしさを映し出すが、そのわずかな描写が北村一家が犯した、常軌を逸した連続殺人の闇をより深くする。
著者は複数の凶悪犯に触れることで、当初、凶悪事件の共通項を見いだせるのではと淡い期待を抱く。だが、10人の人生を辿った著者が直面するのは、殺人の動機も犯した後の振る舞いもばらばらな現実だ。
根っからの悪でなく、転落してしまった者もいる。「中洲スナックママ連続保険金殺人事件」の高橋裕子はかつては「白雪姫」と呼ばれた音大生だった。保険金目的で2人の夫を殺し、交際男性を恐喝する悪女に変貌した背景には何があるのか。その何かは誰の人生にもよこたわっているのか。
「何か」を探れば、「秋田児童連続殺人事件」の畠山鈴香にとっては小学校一年生の時に担任の教師に「水子の霊がついている」と言われたことが人生を暗転させたのかもしれない。その後、彼女は「心霊写真」と呼ばれ続け、高校の寄せ書きには「いじめられた分、つよくなったべ」、「秋田から永久追放」と書かれた。
本書を通じて事実の羅列ではつかみにくい、犯人の体温を感じることで、10人の凶悪犯は遠いどこかの殺人犯ではなくなる。我々の近くに確実に存在しているし、我々がなる可能性もある。その自覚が悲惨な事件を未然に防ぐことになる一歩なのかもしれないと本書は語りかける。
大牟田4人殺害事件
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