最近、NHKの経営委員に選ばれたことでも話題の売れっ子作家の百田尚樹が帯に言葉を寄せる。
「ホラー小説も逃げ出すくらいの気味の悪い本だった!」
尼崎連続殺人死体遺棄事件。兵庫県尼崎市、香川県、岡山県で次々と明るみになった犯罪史上稀に見る凶悪事件。複数の家族がバラバラにされ、分かっているだけでも死者行方不明者は10人以上とされる。首謀者とみなされた角田美代子の留置所での昨年12月の自殺により、報道は一気に沈静化したが、我々の記憶に留めておくためにも本書は必読である。
15年の年月で起きた事件だが、長い年月に表沙汰にならなかったのは、血縁間で暴力や虐待が繰り返された点にある。一方、一読しただけでは理解できない複雑な関係性がこの事件への関心の敷居を高くしていた面もある。事件直後の新聞報道を見ても、被害者と美代子の関係が極めてわかりにくい。「美代子被告の知人」、「美代子被告の義妹の夫の弟」、「美代子被告の養子の兄」などなど。こうした中、事件直後にインターネット上で関心を集めたのがサザエさんに同事件を例えた場合だ。事件の凄惨さを肌で嫌でも感じる。
「サザエがノリスケと共謀して、1、タラちゃんの嫁のリカちゃんを支配下において、リカちゃんちを滅茶苦茶にし、リカちゃんママの実家を滅茶苦茶にし、リカちゃんパパの兄弟も殺害 2、カツオの彼女の花沢さん死亡 3、ワカメのダンナの堀川君は沖縄で崖から落ちる、親兄弟行方不明 4、全然関係ないアナゴさんちとイササカ先生の家にも押し掛けて洗脳、一家離散、行方不明、死亡者多数 アナゴさんのお母さんがドラム缶に詰められてたところで発覚」
完全に関係性が一致しているわけではないので余計にわからなくなる方もいるかもしれない。不謹慎かもしれない。ただ、サザエさんの番組の最後に「来週のサザエさんは!」とサザエさんが呼びかけられないほどサザエさん一家が、一家離散状態になっていることがその異常性を物語る。
本書では著者が尼崎に長期滞在して、地元の住民と関係を築き、事件直後に大手メディアでは報じられなかった出来事に光をあてる。この事件の闇の深さをうかがい知れるのが著者が懇意になった商店街の店主とのやりとりだ。
ある日、ほかに客がいないのを見計らって、飲食店主から一枚の写真を見せられた。見たところ六十代の男が、楽しそうにカラオケを歌っている姿だった。
「あんなあ、小野さん。この人、美代子らに脅されとったんや。でもな、いま行方がわからへんねん」聞けば、安田さん(仮名)という、この人物は-中略-その後に出会った報道関係者の誰一人として知らなかった。
事件をかぎ回る著者を牽制したり、「ミニ美代子」のように近所の弱者を食い物にしたりする人物も登場する。そして、その人物の背後には角田ファミリーとも近い関係にあった「組織」の存在を著者は明らかにする。前述の店主とは異なる飲食店の関係者は「あんなあ、角田ファミリーだけがおらんようになったからって、なんも変わらんのやって-」と語る。我々は、事件の一報を聞いたときに、「なぜ警察に行かなかったのか」、「なぜ弁護士に相談しなかったのか」、「無視すればよいではないか」と叫んだ。警察の怠慢はあったにせよ、我々が想像するほど事件の構図は単純ではなかった可能性もある。
美代子の行為で気になるのは養子縁組みへの執拗さだ。本書に出てくる人物相関図を参照にするだけで美代子の周囲で4組の養子縁組が存在する。
角田が作り上げたファミリーは力による支配で成立したいびつな形であった。オウムや連合赤軍のマインドコントロールに例える見方もあったが、著者が取材を通じて浮き彫りにするのは美代子の家族への餓えである。父母に全く愛情を受けないどころか、信頼されず、母親に働き場所として紹介されたのが売春宿。十代半ばの角田美代子は何を思ったか。
支配を潤滑にするシステムを生み出した美代子ではあるが、それは「家族」への羨望が捻れた結果ではないか。「家族」を欲したために、複雑な養子縁組を組んで「ファミリー」を形成。自らのファミリーを維持するために、外部の血縁や無関係な家族から搾取を続けた。家族間で暴力や虐待の強要し、内部崩壊させる様は自らが欲しつつも持てなかった「家族」への意識的な復讐にも映る。関係性をサザエさんファミリーに例えられた角田ファミリーだが「サザエさん」こそが美代子にとって最大に忌み嫌う存在だったのかもしれない。著者は、美代子と留置所生活を共にした人物の取材を交えて、絶対に美代子に逆らわないはずの存在であった「ファミリー」の面々が自白したことで自我が崩れ、自殺したと推測する。カツオがサザエのことを波平に告げ口するのが当たり前の「家族」を知らなかったから起きた出来事でもある。
事件は現在進行形であり、行方不明者の数も把握できていない。堀川君やアナゴさんだけでなく、中島君も行方不明かもしれないのだ。美代子の死によって報道熱は冷め、我々の関心も薄れている。だが、このおぞましい事件を忘れるには早すぎるのではないだろうか。著者の巻末の言葉が印象的だ。「忘れられないようにするためには、誰かがしつこくするほかない」。