私たちは、「バーティ」あるいは、「H.G.」と呼ばれたH.G.ウェルズについて、何を知っているのだろうか。ジュール・ヴェルヌと並ぶ「近代SF小説の祖」(原子爆弾さえ予見した)であり、世界政府を夢見た理想的社会主義者(国際連盟でも演説した。また、フェビアン協会の有力メンバーだった)、性の自由を主張した華麗な女性遍歴者、また、人類が過去を共有できなければ、未来も共有できないとの思いで書かれた「世界史概観」の著者。19世紀末から20世紀初頭にかけて、彗星のごとく輝きを見せた、世紀の文豪、H.G.ウェルズを俎上に載せて、手練の文学巧者、デイヴィッド・ロッジが素晴らしい伝記小説をここに書き上げた。
物語は、1944年春に始まる。痛み衰えたH.G.は、空襲下のロンドンを離れようとはしない。成人した子供たちがH.G.の世話をしている。レベッカやムーラなど、昔の愛人が無聊を慰めにくる。「精神は、思い出す場合は後方に、予言する場合は前方に進むタイム・マシンだが、彼はもはや予言はしない」。こうして、彼の人生が回想されることになるのだ。そして、H.G.の「独り言」が狂言回しの役割を担い、5部2段組みで500ページを超える大作を、ぐんぐんと前に引っ張って行く。第1部と第2部では、貧しい生い立ちや、イザベルとの最初の結婚と、ジェイン(本名キャサリン)との再婚が語られる。そして、「タイム・マシン」が当たったH.G.の生活は、安定していく。
若いロザマンド・ブランドとアンバー・リーヴズとの情事を描いた第3部には、200ページが充てられている。修羅場が次々に訪れる。例えば、ロザマンドとパリへの一時の逃避を企てたH.G.は、パディントン駅でロザマンドと待ち合わせる。そこに彼女の父親(H.G.の友人でもある)が、激怒してやって来て、娘を連れ去るのだ。当然のことではあるが、こうしたH.G.の直情的な行動は、俗臭プンプンたるフェビアン協会の首脳部を困惑させる。急進的な協会改革案が退けられたH.G.は孤立を深めていき、フェビアン協会を去ることになる。この第3部は、アンバー(彼女の父親もH.G.の友人)がH.G.の娘を出産するところで閉じられる。そして、こうした激しい変転極まりない女性遍歴の渦中の中で、2人の息子を成した妻ジェインは、淡々とH.G.を支え続けるのである。
第4部には、H.G.の息子を産むことになる作家のレベッカ・ウェストとH.G.が愛した3人目の女(後の2人は妻)ロシアのムーラが現れる。そして、ごく短い第5部は、第2次世界大戦が終わった後のH.G.の静かな死。レベッカは、「H.G.の逝き方に、詩がないのは哀切だと思う」。そして、H.G.に並々ならぬ情熱を傾けるロッジは、次のように結ぶ。「彼は視界から消え去った。しかし、文学史には、偏心軌道がある。たぶん、ある日、彼は再び蒼穹で光を放つであろう」と。
本書には、またひとくせもふたくせもある著名な脇役が大勢登場する。ウェッブ夫妻やゴーリキー、セオドア・ルーズヴェルト、中でもバーナード・ショーの変幻自在振りには驚かされる。そして、「ねじの回転」のヘンリー・ジェイムズとの永遠の仲違いも。ロッジは、丹念に史実を積み重ねていく。そして、ごくたまに、小説家の特権を行使して、架空の手紙(それは全て明示されている)を、そっと忍びこませたりする。そのスパイスの効き具合が、また絶妙で、何とも心憎いのだ。
出口 治明
ライフネット生命保険 代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。