ラムチョップが一瞬にしてなくなった夏の夜のことだった。著者はその年、ロックフェラー一家から寄贈されたニューヨーク郊外の土地で、豊かな土壌を持つ場所で運営される実験農場に直結する、誰もがうらやむ環境で、レストランをオープンさせた。その4年前にニューヨーク市内で開業したレストランは「ファーム・トゥ・テーブル」の代表格として大繁盛し、オバマ大統領もお忍びで通う。
その夜はレストラン開業して一年が経過し、農場の収穫量も増え、地元の農家とも関係性は良好で、期待以上の客数がレストランを訪れ、順風満帆のころだった。準備に何ヶ月もかけ、予め何年も牧草地の管理に手をかけ丹精込めて調理された3匹の羊、ラムチョップ48本がホットドックを売るかのように瞬時になくなった。まったく持続可能性でなかったラムチョップに、持続可能性を信念としているシェフである著者は不安に襲われた。
メニューに問題があると考え、一年後、メニューの廃止を決行した。メニューを廃止し、その日に収穫された食材のリストを客に見せるようにした。これは農家がメニューを決定している何よりの証拠だと確信していた。しかし、数年間この実験を続けたが、時が経つにつれ興奮が冷め、メニューを廃止するだけでは、十分ではないことを悟った。
そして、著者は農業のシステム全体が反映されているような料理を目指すこととなる。しかし、それはどんな料理なのだろうか。世界中のフィールドを飛び回る過程での学びと試行錯誤を記録したのが本書だ。当初は素晴らしい食材に注目し、生態系に配慮して栽培されているのかを確認する。適切な食材を出発点にレシピを考えれば、美味しい料理と生態系へのよい影響がおよぶと考えていた。しかし、その考えは覆されていった。
また、著者はジャーナリストではなく、現場に立つシェフだ。目的は、モンサントやカーギルのような大量生産・大量消費に特化した産業化した農業を告発し、動物愛護を求めてブロイラーの養鶏場や養豚場を批判し、持続不可能な土壌環境や水資源の事実を不都合と叫ぶことでもない。また、子どもの発育や健康の不安を煽り、健康無農薬野菜や有機栽培を無批判に褒めちぎり、人々にオーガニックの素晴らしさを啓発するということでもない。シェフとして、自分が利用している素材がどのように育てられているのか、その実態を知っておきたいというシンプルな問題意識からだった。そして、心から満足できる料理を提供するためにある。
土、大地、海、種子の4部構成で、それぞれにエキスパートのいるフィールドへ足を運ぶ。誰も答えは持っていない。牧場、養殖場、レストラン、農業試験場、製粉所などそれぞれのフィールドで暗中模索の中、試行錯誤している。そして、著者は学んできたことを自分たちの実験農場で試す、その繰り返しだ。うまくいくこともあれば、失敗することもある。例えば、ダチョウから天然のフォアグラを自分たちの手で作ろうとチャレンジは成功とは言い難いものだった。
フォアグラはダチョウやカモの肝臓を肥大化させるために、収穫の直前には口を無理矢理開き、穀物を無理矢理に流し込むプロセスが欠かせない。残酷なようだが、美味しいフォアグラのためには当たり前のように行われていた。しかし、スペインはハモンイベリコで有名なデエサでは、ダチョウの放牧によりフォアグラを作っていたのだ。その豊穣とは言えない土地は2000年にわたり、自然と共生し、維持されてきた牧場がある。その恩恵を受けながら、豚と同じように、ダチョウはドングリを食べる。そして、ダチョウの卵は半分が孵化する前に他の動物に食い荒らされるが、人間は保護しない。生産性やビジネスだけを考えれば、生まれた卵を安全な環境で孵化させ、確実に頭数を揃えたくなる。しかし、自然の理に逆らうやり方はしない。
その放牧を支えるアイディアはフォアグラの起源にあった。もともと渡り鳥のガンが、遠方に移動する前にイチジクを大量に食べることに着目したことがフォアグラのはじまりだった。だが、オーガニックに取り組み、自然の摂理に逆らわない昔のやり方を復活させて、ロハスでノスタルジックなものだけではない。
4万種以上の小麦を育てながら、味も収穫量の二兎を追いかける研究者がいる。オーガニックや無農薬な食品は、量を追い求めることが難しい。遺伝子組換えの種は、収穫量と保存期間を追い求める傾向にあり、味の優先順位は低い。前者は持続可能性や健康に寄与するように感じて未来の農業を作ろうとしているが、収穫量が足りず、価格も高く、一般の消費者には手が届きにくい。後者は緑の革命もあったように、人口爆発した世界で、面積あたりの収穫量を伸ばし、多くの人を飢餓から救った。肥料や農薬を大量に利用し、農業を計画のできる産業化したが、土壌が痩せ持続可能性に不安があり、味の面では当然ながら課題が残る。そのジレンマを突破するために、小麦の育種家である研究者はパン屋をスタートさせ、種から人の口に入るまでのつながりすべてを考慮に入れようと挑戦をはじめた。
ひとつの食材を単独で切り離して、理解することは理解にはならない。自然と人間の関わりあうシステムとして理解していく。シェフという素材の良さを引き出し、皿に乗せ、胃袋に届ける役割でできることは何かを考え続けた。その結論は、2050年のメニューとして描かれている。一つ一つに意味のあるメニューは、説教くささはなく、素材の良さから最高の味と持続可能性の両方を追求したフルコースだ。メニューを読まずとも、本を読んでいる最中、唾液が自然と口に溜まっている。
実際に味わうならば太平洋の向こう側で著者のミシュラン★★★レストランへ、種から胃袋までの連鎖の間にある豊穣なストーリーを嗜むならば、「ジェームズ・ビアード賞」(アメリカ料理界のアカデミー賞)受賞の本書へ。
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