「ゾーンに入りました。パットを打てば入る感じでした」。これはあるゴルフ選手の試合後のコメントだ。ほかのスポーツ選手が同じようなことを言うのをスポーツニュースなどで耳にしたこともあるのではないか。観客から見て「神がかり的」なプレーを連発するようなとき (たとえば、サッカーのゴールキーパーがスーパーセーブを連発するとき)に、選手自身は「ゾーンに入った」と感じていることが多いようだ。
「ゾーン」に入ると、集中しながらもリラックスしており、身体が自然に動き、 気分も良く、すべてがうまくいくような気がするという。このときの意識状態を、心理学者は「フロー」と呼んでいる。このフローが本書のテーマのひとつだ。もちろんフロー状態になるのは簡単ではなく、スポーツ選手でも「ゾーンに入っていない」(つまりフロー状態にない) 時間のほうが長いはずだ。
ただ、ほかのスポーツ選手に比べてフロー状態になりやすい人々がいる。「エクストリームスポーツ」と呼ばれるジャンルのアスリートたちだ。そしてこのエクストリームスポーツがこの本のもうひとつのテーマである。
エクストリームスポーツとは、スピードや高さ、技の危険さなどの面で過激さを売りとするスポーツの総称だ (原著の“action and adventure sports”の訳語として、本書では日本で一般的に使われている「エクストリームスポーツ」という語をあてた)。もちろん、危険なスポーツはこれまでにもあった。たとえば従来のクライミングやスカイダイビングも死に至る可能性は十分にある。
エクストリームスポーツが特別なのは、わざわざ危険なことをするところだ。たとえばクライミングの一種であるフリークライミングでは、道具の補助なしに登るが、安全確保のためのロープは使う。しかしフリーソロとなると、そのロープもなく、身ひとつで高い岩壁に挑むため、「落ちることはつねに死を意味する」(第3章)。しかし、そうやって死の危険に身をさらすことこそ、エクストリームスポーツのアスリートがフロー状態になりやすい理由なのである。
とはいえ、私たちがエクストリームスポーツに挑戦する機会はほとんどない。それでも本書がエクストリームスポーツを通してフローを考えるのはなぜか。エクストリームスポーツではこの数十年に信じられないような記録が次々と生まれてきたが、それは単にスポーツだけでなく、人間のパフォーマンスの向上という意味でも歴史上類をみないものだからだ。
どうしてそんなことが可能なのだろうか。その答えがわかれば、エクストリームスポーツのアスリートだけでなく、ごく普通の私たちにも、パフォーマンスを大幅に向上させ、不可能に思えることが可能になる。ただしこの本は、簡単にフロー状態に実現するためのノウハウ本ではない。フローが文化の中心になったときに人間には何が可能になるのかということを、フローを縦糸に、エクストリームスポーツを横糸にして語るのが本書である。
「フロー」という用語は1960年代末に作られたものだが、同様の概念はそれ以前からあった。一方近年は、さまざまなテクノロジーを利用して、脳神経科学的アプローチによる研究もおこなわれている。本書の第1部では、そうしたフロー研究の歴史と現状について述べる。フローがどのようなものかわかれば、次に知りたいのがフローを生み出すための条件だ。そこで第2部では、フローを生み出すトリガーについて考える。とはいえ、フローも良いことばかりではないし、私たちとフローの関係も変わっていく。第3部ではフローの負の側面や、次世代のフロー、これからの社会とフローの関係について考えている。
同時にこの本では、生い立ちも、そのスポーツとの出会いもさまざまな、個性豊かなアスリートたちがあちこちに登場し、危険な挑戦のなかで経験したフローについて語っている (その多くは著者のインタビューによるものだ)。その種目はざっとあげただけでも、スケートボード、フリースキー、 フリーソロ (クライミング)、ビッグウェーブサーフィン、ベースジャンプ、フリーダイビング、ホワイトウォーターカヤック、スノーボードマウンテニアリングと幅広い。
アメリカでは、エクストリームスポーツの一大イベント「Xゲームズ」が多くの観客を集め、テレビ放送もされている。また、清涼飲料水メーカーであるレッドブルは、曲技飛行用プロペラ機による「レッドブル・エアレース」 (「空のF1」とも呼ばれる) や、20メートル以上の高さから飛び込みの技を競う「レッドブル・ クリフダイブ」など、Xゲームとは違ったタイプのイベントを開催して人気を集めている。
一方、日本でのエクストリームスポーツの知名度は高いとは言いがたいため、本書に登場する競技のなかには、あまりなじみのないものもあるかもしれない。さいわい、どの競技もインターネットで探せば迫力ある動画が見つかる (本書の原注でもいくつか動画のURLが紹介されている)。
本書は、著者のスティーヴン・コトラーにとって5冊目の著書にあたる。本書によれば、コトラーは90年代からすでに、スキーやサーフィンなどの経験を生かしてエクストリームスポーツに関する記事を数多く執筆していたという。2006年には、サーフィンと信仰にかんする自らの体験に基づいたWest of Jesus(未訳)を出版しており、スポーツと心理という分野はコトラーが長年関心をいだいているテーマのようだ。
エクストリームスポーツ以外では、2010年に犬の保護活動をテーマとした A Small Furry Prayer (未訳)、2012年に宇宙・ハイテク分野の起業家でXプライズ財団のCEOであるピーター・H・ディアマンディスとの共著 Abundance (邦訳は『楽観主義者の未来予測』〔熊谷玲美訳・早川書房〕) を発表している (そのほかにフィクションも一冊ある)。ニューヨーク・タイムズ、ワイアード、GQ、ポピュラー・サイエンティストなどの雑誌にも寄稿しているほか、本書刊行後にも、テクノロジー関連の著書を二冊 (ディアマンディスとの共著 BOLD、単独での著書 Tomorrowland) を発表するなど、精力的な執筆活動を続けている。
ここでひとつ、2014年の原著刊行後の出来事を紹介したい。翻訳作業も終わりに近づいた2015年5月下旬、「ディーン・ポッターが墜落死」というニュースが飛び込んできた。ポッターは、 フリーソロで岩壁を登ってからベースジャンプで一気に下山する「フリーベース」というスタイルを生み出すなど、数々の独創的な挑戦をおこなってきた冒険家で、本書でもみずからのフロー体験について詳しく語っている。そのポッターが、アメリカのヨセミテ国立公園内にある高さ900メートルの崖から、ウィングスーツを着てムササビのように飛ぶ「ウィングスーツベースジャンプ」に挑み、 岩に衝突し亡くなったというのだ。
エクストリームスポーツのアスリートは死と非常に近い関係にある。本書でも、名の知れたサーファーやスキーヤー、ジャンパーたちが挑戦の最中に命を落とす場面が出てくるが、残されたアスリートたちがその死に立ち止まらないのが印象的だ。仲間が死ぬという最悪の出来事を、彼らは前に進むための新たな力に変えるのだ。ポッターの死も、また別の誰かの力になっていくのだろうか。
2015年仲秋 熊谷 玲美