『中国グローバル化の深層 「未完の大国」が世界を変える』訳者あとがき by 加藤 祐子

2015年9月12日 印刷向け表示
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先日ふるまいよしこさんが、「自分自身で中国を理解するすべを身につけたいなら読むべき」として『ネオ・チャイナ』とともに紹介されていたのが、こちらの『中国グローバル化の深層』である。

中国研究の第一人者として知見を提供し続けてきたシャンボー教授は、なぜ中国を「未完の大国」と呼ぶのか?  国際ニュース編集者としても知られる、加藤祐子さんの翻訳者あとがきを掲載いたします。(HONZ編集部)

中国グローバル化の深層「未完の大国」が世界を変える (朝日選書)

作者:デイビッド・シャンボー 翻訳:加藤祐子
出版社:朝日新聞出版
発売日:2015-06-10
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唐突ですが、中国で生まれたものに、私はなじみがあります。中華料理と三国志が大好きです。 張芸謀監督の映画やファッションデザイナーのヴィヴィアン・タムの洋服も好きですし、漢字を 使ってこれを書いています。子どものころの親類同士の集まりというと都内の中華料理店でした から、中国はもしかすると人生で一番最初に認識した「外国」なのかもしれません。

ただし、だからといって今の中国という国に親近感を抱いているかというと、それも違う。本書の著者、米ワシントン大学のデイビッド・シャンボー教授が中国を「partial power」(部分的な大国、未完の大国)と呼ぶのは、私自身の感覚にぴったり合致しました。大学で世界システム論や覇権循環論を学んだうえでの印象として、「大国」(power)あるいは「覇権国」の要件を、中国はまだ満たしていないと感じていたからです。

中国の次くらいに人生の早い時点で認識した外国は 、アメリカとイギリスでした。今の覇権国 とかつての覇権国です。幼いころから今に至るまで、英語圏と日本を行き来してきた私の生活には、米英の言葉、エンターテインメント、ファッション、世相、思想や価値観、さらに食べ 物さえ、そこにあって当たり前のものとして浸透しています。漢字や中華料理と同じくらい当たり前のものとして。そして今の中国に対する自分の感覚とは異なり、今のアメリカやイギリスには理屈抜きの親近感を抱いています。

この理屈抜きの親近感こそ、ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授が提唱し、本書でも基本概念として 大きく扱われている「ソフトパワー」の源泉ではないか。そう私は思っています。

ソフトパワーとは(本書の276ページにあるように)「他人の好みを決められる能力」「自分が求める結果を、他人も求めるようにさせる能力」です。しかも、強制によってではなく、「お手本としてきわめて魅力的であるがゆえに、磁石のようにほかの国々を惹きつける」「社会が他者に好かれる能力」なのです。

シャンボー教授は、経済や軍事などのいわゆる古典的なハードパワーにおいても中国は「未完の大国」 だし、ソフトパワーにおいても「未完の大国」だと詳述します。私も、中国がやがて経済力や軍事力でアメリカを凌駕したとしても、アメリカが世界に提示し続ける「自由」の価値観(つまりアメリカのソフトパワーの根幹をなすもの)に匹敵する価値観を、中国がいつ世界に浸透させられるようになるのだろうかと、それを考えながら本書を訳していました。

漢字を使い、中華料理を食べずにはいられない日常を送りつつも、中国がソフトパワーでもアメリカを追い抜くそのときを、自分が生きて目の当たりにすることが果たしてあるのだろうかと(もちろん、アメリカが掲げる「自由」という価値観の矛盾やほころび、そのソフトパワーを拒否する人たちの抵抗が、冷戦終結以降に世界各地で続く戦いの一因であるのも確かです。ゆえに、本書にもあるように、覇権循環論に敏感な中国政府がアメリカの覇権は衰退期にあると分析するのも無理もないことです)。

覇権循環論を学生時代に学んだ国際ニュース編集者として、ここ十数年の中国の台頭は、「なるほどこれが国の台頭というものか」と目が覚める思いで眺めてきました。それまで国際関係論や歴史の本の知識としてしか知らなかった「国の台頭」という現象を、初めて実感したのですから。毎日扱う国際ニュースで中国の話題が急増したという実感だけでなく、自分が日々を過ごす都内の街(たとえば銀座界隈)で聞こえてくる中国語の量が日に日に増えたという生身の実感です。

「銀座で最近、中国の人が増えたねえ」と回りで言い交わしていたのが十数年前なら、今ではとくに話題にならないくらい当たり前のことになっています。多くの店に中国語を流暢に話す店員がいます。新橋で讃岐うどんを食べていてハタと気づいたら、左右のテーブルが中国語を話す家族連れでした。それも別に珍しいことではありません。

観光客だけでなく、日本で暮らす中国の人もいっそう増えて、買い物や食事で接する店員の名札に中国系とわかる名前を見ることが多くなりました。新橋の讃岐うどんのお店で、中国語ネイティブの店員が中国語ネイティブの客の注文をとっている光景はとくに珍しくありません。なるほど、お隣の国が急成長して台頭するとはこういうことなのかと、まさに日常レベルで実感しています。

高度経済成長からバブル崩壊に至る日本の台頭の時期には、子どもすぎて、論理的に俯瞰する知識もありませんでした。けれども海外に出かけていく日本の団体旅行客の振舞いが何かと(主に日本国内で)揶揄されたのも、日本企業がアメリカの企業や不動産を買いまくって話題になったのも、『「NO」と言える 日本』や『ジャパン・アズ・ナンバーワン』などのタイトルの本が話題になって日本人の心をくすぐったのも、そう遠い昔のことではありません。そのため同じような現象や書名が本書に列挙されるのを訳しながら、苦笑を抑えられませんでした。

要するに台頭する国というのは、そういうものなのでしょう。小説と映画の題名にもなった「Ugly American(醜いアメリカ人)」という表現は1950年代ごろからあったようですし、歴史書や昔の小説などを読むと、どうやら大英帝国が「陽の沈むところなき帝国」などと威張っていたころの海外でのイギリス人の振舞いは褒められたものではなかったようです。要するに、調子づいた人間の行動とは、かくも普遍的なのでしょう。

本書の翻訳が追い込みに入っていた今年2月、春節がありました。上述したように私がよくいる銀座は ふだんから中国語を話す人がとても多い街ですし、ここ数年は春節ともなるとその数が一気に増えるのにも慣れていたのですが、今年の春節はとくにすごかった。

日本政府観光局(JNTO)の資料によると、2015年2月に中国から訪日した人数の伸び率は実に159.8%。前年2月の訪日人数13万8000人から今年は一気に35万9000人に増えたそうです。その全員が銀座を訪れたわけではないにしても、 銀座では中央通りに大きな免税店ができたからでしょうか。中国語でともかく嬉しそうにおしゃべりしながら、さかんに買い物をして、珍しそうにデパ地下を歩いて、おいしそうにいろいろなものを食べて、セルフィースティック(自撮り棒)で記念撮影している姿に、あちこちで遭遇しました。ともかく嬉しそうで楽しそうで、すれ違うこちらまで嬉しくなりました。

中国の急速な成長と台頭については、国同士のレベルでも個人同士のレベルでも、何かと否定的な側面ばかりが取り沙汰される気がしています。爆買い、不動産買い占め、マナーの違い、領土問題、歴史問題、人権問題、冷えきった外交関係、お互いの国でお互いを排斥しあう動き、など。

けれども、1960年代に初めて(荷物に油と梅干しを詰めて、必死の思いで)アメリカやヨーロッパに観光で出かけていった祖父母を思い、1970年代にアメリカに赴任して子どもたちを現地校に通わせ周囲に溶け込もうとした両親を思い、そして今、新橋で讃岐うどんをおいしそうにすすっている中国語を話す家族連れの楽しそうな顔を見れば、憤慨して排斥したり、おびえたりするよりは、ありのままの姿を見つめ、批判すべきは批判したうえで個人同士ではにこやかに歓迎したほうがいいに決まっているとはっきり言えます。

本書著者のシャンボー教授は、アメリカの政府、学問の世界、『ニューヨーク・タイムズ』をはじめとするマスコミにおいて、中国研究の第一人者として知見を提供し続けてきた人です。そういう人が、中国の急速な台頭への過剰反応を戒めているのは貴重なことです。事実にもとづき、今の中国や中国の人たちの姿を冷静に真正面から見つめて、的確に評価し、的確に対応する。それは、日本の国にとっても、日本人にとっても、大事なことだと思います。何といっても私たちは、「和平」という漢字の並びを見れば意味が直感的に理解できる、漢字文化圏の人間なのですから。

加藤 祐子 東京生まれ。英オックスフォード大学国際関係論修士。朝日新聞記者、国連本部職員、CNN日本語版ウェブサイト、gooニュース編集長を経て、現在はBBCワールドジャパンのデジタル・エディター。主な訳書に『策謀家チェイニー』(朝日選書)『シャーロック(BBCドラマ)・ケースブック』(早川書房)。
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