億万長者になった自分を想像してみよう。生涯で使い切れないほどのお金を手にしたあなたは、サハラ以南アフリカ諸国への援助を考える。数多い国の中で、どの国から投資をすべきか?世界銀行による世界開発指標で国民1人あたりのGDPを調べてみると、コンゴ民主共和国の92米ドルが最も小さなものであることがわかる(本書による2009年の調査時点での2000年の値)。
念のために、経済学者にもよく利用される、ペン・ワールド・テーブル(PWT)とアンガス・マディソン(マディソン)のデータセットでも調べてみよう。PWTでもマディソンでも、コンゴ民主共和国の1人当たりGDPが最も小さな値を示している。「先ずはコンゴ民主共和国へ援助金を出そう」、と考えるかもしれない。しかし、これら3つのデータセットで貧困国ランキングを作成すると、奇妙な事実が浮かび上がる。例えばPWTでは貧困国ランキング7位のギニアが、マディソンでは35位となっているのである(45カ国中、上位ほど貧しい)。他にもモザンビークやリベリアも参照するデータセットによってランキングが大きく異なる。
なぜこれほどまでに相対的な順位が異なるのか?援助の優先順位を決めるためにどのデータを信頼すれば良いのか?そもそも、これらGDPの値はどのようにつくられたものなのか?本書が明らかにするように、サハラ以南アフリカ諸国ではGDPだけでなく、多くの統計数値が貧弱な調査やあやふやな推定の基に生み出されている。しかも、現実の世界においてもあまりにも不正確な統計数値をもとに多くの意思決定がなされているのだ。
2007年に博士論文の現地調査のためにザンビアを訪れた著者は、「アフリカ諸国で国民所得推計がどのように作成されるかを調べ」ていて衝撃を受けた。ザンビア最大の都市ルサカにある中央統計局のほとんどの部屋は暗く、多くのコンピューターは所在不明、3人の職員のうち定期的に出勤してくるのは1人だけ、という有り様だったからだ。10年以上前の所得推計の作成方法について答えられる者などいるはずもなく、信頼性のあるデータの方が珍しかった。ここで感じた疑問が、著者を数字の起源を辿る旅へと導いた。
彼らはいったいどうやって、これらの数字をひねり出したのか?
本書は、著者が統計の現場で感じた疑問に答えを出すために、多くの国々へ足を運び、数字が生まれる瞬間を調査した結果をまとめたものである。つまり本書は、『統計はウソをつく』という書名から想像されるような”数値をこねくり回す統計テクニック”についてではなく、統計のもととなる数値がどのようにつくり出されるのかを明らかにする一冊である。ページをめくるほどに、開発経済統計のあまりの不正確さに、驚かずにはいられないはずだ。最も基本的と思える人口すらも、その精度は決して高くないのである。本書は問題を指摘するだけにとどまることはなく、わたしたちは不正確なデータにどのように向き合うべきか、現状を変えるために何を変えることができるのかについての示唆をも与えてくる。
「統計statisticsという言葉は国家stateという言葉と直接結びついて」いることからも分かるように、統計は公共政治の根幹である。なぜなら、情報を収集する能力こそが、税金を徴収する能力の源泉だからだ。どれだけの国民がいるのか、国民がどれだけの資産を保有しているのか、どのような経済活動を行っているのかを把握していなければ、税金の収集はままならない。税収不足は、正確な統計のために必要な資金の不足へと直結する。アフリカ諸国における統計の不備は、貧困と構造的特徴に根ざした問題なのである。
結論部分で、著者はこのように主張する。
研究者たちは、研究結果と向き合ったときに発するのとおなじ質問を、数字と向き合った時に自分に問う必要がある。「どうやってこの結果に到達したのか」と。
これは開発経済に携わる研究者だけに有用な助言ではない。毎日流れてくるニュースにも統計数字があふれており、数字をもとに過激な見出しがついていることも多い。本書は開発統計の実態を教えてくれるだけでなく、ニュースを埋めるその調査がどのような質問票に基づいたものだろうか、そもそもの数値は正確だと考えられるだろうか、と立ち止まる慎重さを与えてくれる。