【連載】『世界の辺境とハードボイルド室町時代』
第1回:かぶりすぎている室町社会とソマリ社会
8月26日発売の『世界の辺境とハードボイルド室町時代』は、人気ノンフィクション作家・高野 秀行と歴史学者・清水 克行による、異色の対談集である。「世界の辺境」と「昔の日本」は、こんなにも似ていた! まさに時空を超えた異種格闘技の様相を呈す内容の一部を、HONZにて特別先行公開いたします。第1回は「高野秀行氏による前書き」と「かぶりすぎている室町社会とソマリ社会」について。(HONZ編集部)
はじめに by 高野 秀行
私はふつうの人が行かないアジアやアフリカなどの辺境地帯を好んで訪れ、その体験を本に書くという仕事をしている。こんなことで生活できるのはありがたいと思うが、一つ困るのは話し相手がいないことだ。
たとえば、ここ5年ほど通って取材を行っているアフリカのソマリ人。彼らは数百年前から続く伝統的な社会システムを現在でも維持しており、それに従って内戦も和平も恋愛 も海賊行為も行われている。面白くてたまらないのだが、ソマリ人が主に暮らすソマリアやソマリランドは数多くの武装勢力が群雄割拠する危険地帯と見なされているがゆえに、 日本には専門とする研究者もジャーナリストも存在しない。
結局、私が一人で細々と取材し、相談する相手もないまま考えを巡らせている。これではなかなか知見が深まらないし、淋しい。「ソマリ人の復讐の方法って徹底してるよね?」 と言えば、「そうそう、あれはすごいよね」と打てば響くように返してくれる「同好の士」 が欲しいと常々思っていた。
そんなとき、ドンピシャの話し相手が想像もしない方角から現れた。
日本中世史を研究している明治大学教授・清水克行さんだ。
清水さんの著作を読み、室町時代の日本人と現代のソマリ人があまりに似ていることに驚いた私は、縁あって清水さんご本人と直接お会いする機会を得たのだが、ソマリ人はもとより、アジア・アフリカの辺境全般に過去の日本と共通する部分が多々あるということを発見、あるいは再認識し、ほとんど恍惚状態となった。
何しろ、私が「ソマリアの内戦は応仁の乱に似てるって思うんですけど、どうですか」 などと、誰にも打てない魔球レベルの質問を投げかけても、清水さんは「それはですね ……」と真正面からジャストミートで打ち返してくれるのだ。
同席していた編集者の女性に後で「高野さん、あのとき目がハートマークになってましたよ」と笑われたほどである。私としては長年探していた青い鳥がすぐ近くにいたうえに、その青い鳥が実は黄色かったというくらいの衝撃であり、予想外の喜びだった。最初は素面で、途中から居酒屋に移って日本酒を飲みながら、都合5時間もしゃべり倒した。後半は何をしゃべったか記憶がない。
当初はこれを仕事にしようなどとは毛頭思っていなかったが、その編集者が気を利かせて私たちのおしゃべりを録音し、後で文字に起こしてくれた。読むと意外に面白い。素面の部分と酔っ払っていた部分の区別がつかなかったのにも驚いた。最初から異様にテンションが高かったのだろう。
好奇心旺盛な清水さんもこの奇妙な会話録を面白がってくれ、「もっと話を続けて対談本をつくりましょう」ということになった。そしてできたのが本書だ。
話題は多岐にわたっている。タイやミャンマーの話もあれば、日本の古代や江戸時代にも飛ぶ。酒や米、国家やグローバリズム、犬や男色にも及ぶ。でも、清水さんと話していて興奮するのは、それが単なる雑学に終わらないことだ。
今まで旅してきた世界の辺境地ががらりと変わって見えるのだ。
いくら自分の目で見ても、アジアやアフリカの人々の行動や習慣は、近代化が進んだ都市に住む外国人の私にはなかなか理解できない。だが、日本史を通して考えれば、「あ、 そういうことか」と腑に落ちる瞬間がある。
逆に、清水さんは、「前近代を体感するうえで世界の辺境地の現状はとても参考になる」 と言う。歴史学者といえども、何百年も前に生きた人の考え方や生活を想像するのは難しい。今、実際に生を営むアジアやアフリカの人たちと比べることで、古文書の理解が深まることもあるそうだ。
要するに、「世界の辺境」と「昔の日本」はともに現代の我々にとって異文化世界であり、二つを比較照合することで、両者を立体的に浮かび上がらせることが可能になるのだ。
では、世界の辺境と中世の日本はなぜ似ているのか。どちらも現代日本に比べれば格段にタフでカオスに満ちた世界なのはなぜなのか。
本書を手に取られたみなさんがそんな疑問を感じたら、もうしめたもの。それこそが本書最大のテーマだからだ。
これから始まる魔球対決にみなさんが参加し、私たちの同好の士となってくれることを祈念してやまない。