あつい、あつい。あつい。暑すぎる。総務省消防庁によると7月20ー26日の1週間で熱中症で搬送された人は全国で7392人。これは前週の約1.2倍。8月に入ったらどうなるのか。「近頃の若い者は軟弱だ!」とご老人たちに説教を喰らいそうだが、暑さで若者が搬送されるのは今に始まった話ではない。
昔の新聞記事を読むと当時の人びとが、実にバッタバッタと暑さで倒れていることを著者は指摘する。例えば、1926年は歴史的な猛暑で5月の時点で群馬県では81度の猛暑。小学生15人が倒れたとか。81度、あつっ!何て反応する人は当然おらず、もちろん、これ華氏である。著者の言葉を借りれば「熊谷越えてね?マジリスペクト」なんて反応してはいけないのだ。摂氏だと27度であり、おいおい、虚弱なのはどっちだと突っ込みたくなる。
いま、オフィスの省エネ冷房設定が二十八度ですよね。むかしの小学生が現代のオフィスに来たら、熱中症でバタバタ倒れていくのでしょうか
父は国際スパイ、母はナポリの花売り娘。自称イタリア生まれの謎の論客として著者がデビューしたのは2004年の『反社会学講座』。以降、統計や過去の新聞記事から人びとの常識を小気味良く覆してきたが、本書もその安定感は変わらない。
13テーマで庶民文化史の嘘っぱちを暴いてくれるのだが、個人的に最も頷いたのが12章「ウザい絆とキモいふれあい」。最近、「絆が弱くなっている」、「絆、大切」との声がよく聞こえてくる。絆が弱くなっているかどうかはわからないのだが、そのような議論は往々にしておかしな方向に飛ぶ 。「日本は安全でない国になりました。地域の見守りを強化して、絆を強めなければ凶悪犯罪は防げません」とか。
絆が低下していたとしても、凶悪犯罪は減っているのだから、この議論は実は全く成り立たないが、「絆が弱くなっている→犯罪多発、子供が悲惨な目に→見守り強化」という意味不明な論法の支持は根強い。もはや迷信や宗教のレベルになりつつある。
もちろん、犯罪のリスクはゼロではない。見守り強化と言いたくなる気持ちもわからなくもない。いつ当事者になるかわからない。たとえば、不審者や他人による子供の誘拐件数は年間30件程度。一方、13歳以下のこどもの数は1500万人以上。誘拐される確率は1500万分の30。50万分の1の確率は存在する。でも、これをゼロにするのって相当厳しくない?マイナスの方が大きくない?ってのが著者の指摘だ。
これ以上やったら見守りでなく、見張り、監視です
絆を強調する一方で、他人をすべて悪い不審者と疑わせ、排他・排除の思想を植えつける。よそ者はおもてなしされずに通報される日本社会。加山雄三さんも、腕毛の濃い不審な男がいると、散歩中に通報されかねません
尤もだ。全編を通じて著者が訴えるのはこういうことだ。昔については思い出補正のゆがんだフィルターが機能しているだけで、庶民文化史を客観的に判断すればむかしの社会はちっともよくない。いまのほうがずっといい。いつもながらの、マッツアリーノ大先生の鉄板の結論である。反論もあるだろうが、まずは本書を読んで客観的なデータをふまえた上での議論が、住みやすい社会への一歩かも。