『黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』著者インタビュー(動画)
暴力的な情景の中に、愛を見出すことができるか
早いもので、今年も既に半分が終わろうとしている。今年上半期に出会った様々なノンフィクションたち。その中で、今でも頭の中からこびりついて離れぬくらい鮮烈な印象を残した一冊がある。それが、本書『黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』だ。
ルーシー・ブラックマン事件は、2000年7月に英国航空の客室乗務員が失踪し、7ヶ月後に神奈川県三浦市の海岸近くにある洞窟でバラバラ遺体で発見された事件である。15年も前の話だから、最後まで読み終えることができるかななどと軽い気持ちで読み始めたのだが、杞憂に過ぎなかった。(レビューはこちら)
目の前にいるかのような登場人物のリアリティ、外国人特有の視点による斬新さ、社会構造の問題点を突く時の鋭さ、そしてストーリーテーリングの巧みさ。こんな本に出会えるのは、そうそうあることではない。はたして10年以上の期間に及んだ取材は一体どのように行われたのか、そして執筆中はどのようなことを考えていたのか?あらためて著者の人となりが気になり、取材を申し込んでみた。
取材当日、リチャード・ロイド・パリーさん(以下:リチャード)がやってきた。想像していたよりも背丈が大きく、だけど時折魅せる柔和な笑顔とのアンバランスさが印象的である。やや緊張感につつまれた雰囲気の中で始まったインタビューの模様を、まずはご覧いただきたい。
インタビュー(テキスト)
内藤:自己紹介をお願いします。
リチャード:ザ・タイムズ東京支局長のリチャード・ロイド・パリーです。ルーシー・ブラックマン事件に関するノンフィクション『People Who Eat Darkness』の日本語版『黒い迷宮』を4月に出版しました。この本はルーシーの失踪の謎、家族による捜索の努力、機能しない警察組織の捜査、そして彼女を誘拐したとして逮捕された男の裁判と判決までを描いています。
内藤: 発売後の反響は、いかがでしょうか?
リチャード:嬉しいことに反響はとても良いです。 日本の読者にとっては自明な、日本という国や東京についての説明も多く含まれています。そのような外国人視点でのストーリーも日本人読者には興味深く映ったようです。 日本人とは恐らく物の見方が異なるのでしょう。
内藤:事件当時のメディアの報道について、印象に残ったことは何でしょうか?
リチャード:イギリスのメディアにとっての大きな疑問は、例えばホステスとは本当のところ何なのか、売春なのか、違うのか。もちろん答えは「違う」なのですが…。そして日本の司法制度について。裁判の仕組みはイギリスのものと大きく異なりますので、説明が必要とされました。
日本のメディアはルーシー・ブラックマン本人に注目しました。例えば、それなりの中流家庭に生まれた若い女性が、なぜ自ら日本を訪れ、六本木のホステスとして働こうと思ったのか。日本では客室乗務員は憧れの職業として受け入れられており、多くの若い女性が夢見るものですがイギリスでは異なります。地位の低い職業だと考えられているのです。
イギリスと日本のメディアが共通して抱いた興味は六本木という場所の魅力についてでした。イギリス人にとっても、そして多くの日本人にとっても同様に、六本木は不思議なよそ者の場所だったのです。
内藤: ルーシー・ブラックマン事件以降にも、凄惨な事件が次々に起きています。それらと比べた時に、この事件の特徴はどこにあるのでしょうか?
リチャード:ルーシー事件が突出しているのは、その複雑さです。たくさんの異なる物語が一つの事件に同居しています。まず第一にこれは若い女性に何が起きたのかというミステリーです。次にこれは彼女を長い時間をかけて探し続けた家族の物語です。 そしてルーシーとその行方を知る人物を捜索する警察の物語。最後に法廷ドラマでもあります。そこに大量の不可解さ、どんでん返し、おとり、行き詰まり、それに引き寄せられた不可思議な登場人物たちがいます。こういった複雑さが事件を際立たせているのです。
しかし最も大きな謎であり、私が多くの時間を費やしたのはもちろん織原城二についてです。 彼の生まれ、彼の人生、そしてなぜあのような人間になったのか。 織原の人生のさまざまな時点で彼を知っていた人々に話を訊くことができました。そして織原に非常に近い一人の人物に辿り着きました。
内藤:事件が長期化した理由は、色々考えられると思います。報道のあり方、司法制度、警察組織、差別の問題、水商売特有のシステムなど…。一番大きな影響を与えたのは、何だったと思いますか?
リチャード:司法制度、裁判の仕組みです。それがこの事件を長引かせました。それ以来、日本の裁判制度は大きく変わりました。裁判員の導入がそのきっかけです。私も新聞記事を書きましたが、リンゼイ・ホーカー殺人事件における市橋被告の裁判は、新しい制度のもと、数日で終わりました。その違いは際立っています。ルーシー事件の裁判は6年を要しましたが、こちらは6日と少しです。大きな進歩だと思います。
内藤:本作において、なぜミステリー小説風という形式を取ったのでしょうか?
リチャード:もちろんこの本はノンフィクションで、書かれていることは全て事実です。しかし、フィクションで用いられる物語の手法を強く意識しました。主にストーリーの構成に影響を与え、あるときはスローダウンし、あるときはペースを早め、読者へ重要な情報を与えるタイミングを遅らせることで、サスペンスや驚きを演出できます。
これらはフィクションで用いられるテクニックでもあります。 しかし同時に、これらは全て英語圏のジャーナリズムにおける伝統的な手法でもあるのです。 ジャーナリストによるこういったテクニックの利用には50年以上の歴史があります。私もその伝統に沿ってこの本を書きました。
内藤:最後に、日本の読者へー言お願いいたします。
リチャード:複数の読者が感想を口にし、私自身も執筆中に発見したこととして、確かに暗い題材についての本ですが、同時にこの本はルーシー・ブラックマンとその家族の物語でもあります。暴力的な情景が多く含まれながらも、愛の物語でもあります。日本の読者の皆様にもそれを見つけて欲しいと願っています。
インタビューを終えて
インタビュー中、一つ一つの質問に対してじっくり考えてから答え始めた姿が強く印象に残っている。圧倒的な取材量から想像される通りの真摯な人柄が、インタビューからも伝わってくることだろう。
驚かされたのは、ノンフィクションである本作へ物語手法を適用したことについて、さも当然といったニュアンスで答えていたことである。ストーリーテーリングを強く意識するということが、英国ジャーナリズムの伝統として根付いているのだろう。イギリスのノンフィクションが面白いと言われる理由は、こんなところにも隠されていたのかという気付きがあった。
一方、惜しくもインタビュー映像には収められなかったが、日本の翻訳者に対する高い評価も口にされていた。英語版と日本語版の両方を読んだ友人の中には、日本語版の方が面白かったと言う人もいたのだという。
2015年上半期を代表するノンフィクションと言っても過言ではない『黒い迷宮 ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』。発売から二ヶ月にしてさまざまな話題を呼んでいるこの一冊を、未読の方はもちろん、既読の方も今一度読み返してはいかがだろうか。きっと新たな物語を見つけることができるはずだ。
制作協力:Spotwright