社会人になったころ、仕事が早く終わると本を読んでいた。見つかると何故か叱られた。しかし、辞書を読んでいると叱られないことに気づき、よく辞書のページを繰っていたものだ。本書は、7つの小型国語辞典、計53万語を、辞書探偵(著者)がとことん調査したものである。一見無味乾燥とも思われる辞書の比較が、これほどまでに楽しく面白い読み物に化けるとは!著者の恐るべき力量に脱帽した。7冊の国語辞典を机一杯に拡げながら、嬉々として執筆に励む著者の姿が目の前に浮かんでくるようだ。
わが国の近代的な国語辞典は大槻文彦の「言海」に始まり(「発音」「語別」「語原」「語釈」「出典」の5つのポイントを示す)、現在の小型辞典では「語釈」が肝であることが先ず示される。そして、7辞典の言葉と時代に対する編者の「哲学」(序や凡例)が読み比べられる。しかし、本書が本当に面白くなるのは、各論に入ってからである。最初は見出し項目。「何が載っていて何が載っていないのか」、著者は「熱帯」から「粘る」までの間の対照表を作る。
全部で84の見出し項目の中で7辞典共通が27、逆に1辞典しか取り上げていない言葉が18、因みに最大は67を収録、最少は34である。また、白秋の「邪宗門」(1909年刊)を読むのにどの辞典が適しているか(古語への対応)、逆に近年の3小説から抜き出したカタカナ語100に7辞典がどう対応しているか(最大収録が79、最少は40)、仔細に対照表を眺めていくと、ジワッと面白さが滲み出てくる。辞書は、結構いい加減なところもあるものなのだ。
次は「使い分け」。会議・会談・協議、浮く・浮かぶ、会う・合う・遭う・逢う、バイオリン・ヴァイオリン(外来語の書き方)、「ナニゲニはいつから使われ始めたか」などの例を挙げ、辞書は正誤の判断材料をどのくらい与えてくれるかを述べる。辞書は「鑑」になれるのかどうかという問題だ。そして「語釈」。「オソロシイ」と「コワイ」とはどう異なるか、漢語の語釈では「特技」を例にあげ、辛口の突っ込みを入れる。「寝台」と「ベッド」を俎上に載せ、堂々巡りは常に悪いとは限らないと述べる。これは、1つの見識だ。
更に、語釈と用例を合わせて検討する。「負担」については、誰が負担に感じるのか、という点がポイントだ。「チョロチョロ」の用例は「水」「炎」「小さいもの(ネズミなど)」の3つ。なるほど、と納得させられた。「モノのかぞえかた」や漢字に関する情報も面白い。そして、中辞典「広辞苑」のバランスのよい実力が示される。森鴎外の舞姫に使われている難しい漢語も、広辞苑ならかなりの程度まで読みこなせるのだ。
印象批評を避け具体的な面から辞書の哲学を探ろうとした著者の試みは、十分、成功したのではないか。最後に著者は次のように述べる。「『心的辞書』ということばがある。ある言語を使う言語使用者が脳内にもっているであろう架空の『辞書』のことである。ここにわたしたちは、自らが使う語を収納していくというイメージだ。現実の辞書はこの『心的辞書』をほどよいバランスで縮小したものになるはずだ。『心的辞書』の中では、一つ一つの語は、他の語と何らかの関係を結んでいるだろう。それは緊密に結びついた語の『宇宙』のようなものかもしれない。そうだとすると、それと同じような緊密さが現実の辞書にもあるとよい」。ストンと腑に落ちた。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。