忘れられない決め台詞がある。何度も何度も読み返す、あの漫画のワンシーン。そのワンシーンの背後にある、物語、演出、技法、テーマ、著者は一体どのようにしてそこにたどり着いたのだろうか。
アップやロング、カットバックやフラッシュバックなど多用し、コマのなかの絵を三次元的な構図にすることで奥行きをだすこと、これを「映画的手法」という。映画的手法を取り入れた先駆者は、手塚治虫。彼が『新宝島』で初めて意識的に映画的手法を漫画に取り入れてから、大友克洋などを中心に、その形式を確立していった。だから日本の漫画は、よく「映画的」と言われるらしい。
本書は、その影響を少なからず受けている漫画界の鬼才9名により、映画&漫画論がインタビュー形式でじっくり語られている。『銀河鉄道999』の著者である松本零士や、『進撃の巨人』の著者である諫山創は知っている人も多いのではないだろうか。
『ゴジラ』など怪獣系や、宮崎駿監督のジブリなど共通して話題に出てくる作品も多いが、感じ方は十人十色である。映画のフィルムをひとコマずつ見て、動きを研究したり、映画で表現される歌、音、声をどのように紙の上に表現するか追求したり、ある監督から生き方そのものを学び取ったり・・・。各々の映画体験を漫画に落とし込んでいる。
たとえば、上條淳士(代表作『TO-Y』『SEX』など)が描くのは、本来漫画では表現しにくい「音楽」だ。作品上ではあえて楽器が出す疑問やシンガーが歌う歌詞を描かず、「音」を読者の想像に委ねる。そこで重要になるのが、著者が丹念に築き上げるリズム感だ。
僕が音楽を漫画で描く上で重視しているのはリズム感ですね。いかに工夫しても漫画でメロディーを描くのは無理だと思うんです。でもリズムだったら表現出来る。めくりの効果、見開きのレイアウト、コマの大きさ、コマの配置しだいで作れます。『TO-Y』のライブシーンでは読む人にとっていちばん気持ちのいいリズムを出すために、描いたコマをいったんバラバラにして、何度も切り貼りをして入れ替えてネームを作り直したんです。
このリズム感の発想は、市川崑監督の金田一シリーズから得たらしい。金田一耕助が事件の重要なヒントを得た時に、モノクロのカットバックがパッ、パッ、パッと挿入される、その絶妙なテンポに魅せられて、技術として自分の漫画に落し入れたのは、まさに鬼才が成せる技なのかもしれない。
浅田弘幸(代表作『I’ll』『デガミツバチ』など)が多大な影響を受けているのは、『転校生』、『時をかける少女』、『さびしんぼう』の「尾道旧三部作」を代表とする大林宣彦監督の作品だ。子供の頃に影響を受け、大林監督の性善的な姿勢は作品のテーマとしてだけではなく、人生そのものの基本となっている。
当時、僕は素行の良くないグループにしか居場所のない駄目な子供だったんだけど、そんな自分にも、「尾道旧三部作」は「正直で正しいもの」に映ったんです。その少し前に好きになった武者小路実篤の本でも感じたような、自分が信じられる「正しさ」がそこにはあった。人の心の奥はみな優しくて、寂しくて、暖かいものなんじゃないかと思えた。
漫画の背後に、こういった著者の人間性が見えると、また違った読み方が出来て面白い。私は、著者の人間性に迫りたくて、他の漫画や映画に手当たり次第当たっていくのが楽しくて仕方がない。普段漫画を読まない人でも、新しい趣味への入り口として、手に取ってもらいたい一冊だ。