もう一つの戦場『帰還兵はなぜ自殺するのか』

2015年3月6日 印刷向け表示
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帰還兵はなぜ自殺するのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ16)

作者:デイヴィッド・フィンケル
出版社:亜紀書房
発売日:2015-02-10
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 「助けがどうしても必要だ」

「ひっきりなしに悪夢を見るし、怒りが爆発する」
「外に出るたびに、そこにいる全員が何をしているのか気になって仕方がない」
「悪霊のようなものに取りつかれずに帰ってきた者はひとりもいないと思う。その悪霊は動き出すチャンスをねらっているんだ」

イラク戦争からの、アメリカ帰還兵たちが口にした言葉である。戦地のイラクやアフガニスタンに派兵され、帰還した兵士はおよそ200万人。彼らの中には、見た目は健康でも、PTSD(心的外傷後ストレス障害)やTBI(外傷性脳損傷)といった心の傷を抱える者が少なくない。気鬱、不安、記憶障害、人格変化、自殺願望といった症状に悩まされる兵士たちの数は50万人に上り、毎年250人超が自ら命を絶っているという。(2012年8月の「ニューズウィーク」には毎日18人の帰還兵が自殺するという記事も出ている)

本書は、心に傷を負った5人のイラク戦争帰還兵たちとその家族らを中心に、「戦争の後」について書かかれた一冊だ。死と隣り合わせだった戦場を去り、リハビリ施設に通いながらではあるが、久しぶりに家族と過ごす日常へと戻ってくる。一見平穏な日々の始まりに見えなくもないが、彼らにとってそれは新たな「闘い」の幕開けに過ぎなかった。

「だれもが魅力を感じ、応援したくなる男で、頭が切れて、親切で、高潔で、勘がいい男」だった、アダム・シューマン軍曹。彼は3回目の派兵時に、激しい動悸、呼吸困難、目がちかちかする、などの症状に突如襲われ、重度のPTSDと診断された。2回目の派兵で銃撃戦を経験した時には「とても気に入ったね。銃撃戦でいつ撃たれるか分からない状態ってのは、最高の性的興奮を覚えるんだ」とまで豪語していたアダムは退役後に自殺願望を抱くようになり、ついには顎の下にショットガンの銃口を押し当て、引き金を引きかけるところまで追い込まれる。

爆発で脚が折れながら生き延びたものの、炎上したハンヴィー(軍用車)から仲間を救い出せなかったトーソロ・アイアティは、炎に包まれた亡き同胞に「どうして俺を助けてくれなかったんだ?」と訊かれる夢を数日おきに必ず見る。帰国後に彼の家の壁は、手当たり次第に投げつけた物でくぼみだらけになった。

他にも、悪夢にうなされながら横で眠る妻の首を無意識に絞めてしまう者や、「しょっちゅう爆弾が見える」者、「血まみれの女の子が見える」者など、悪夢や幻視に苦しめられる兵士は少なくない。時折フラッシュバックする記憶が彼らを戦場へと引き戻し、心のみならず生活までもが荒んでいく。

 

次々に起こる爆発音を聞き、何十台ものハンヴィーが消えて凄まじい炎の雲と化し、残骸へ変わるのを見た。そしてしまいには、兵士たちの大半がその雲に取り込まれてしまう。恐怖の瞬間に、雲に囲まれて何も見えないまま考えた。自分は生きるのか、死ぬのか、無傷のままか、ばらばらになるのかと。やがて耳鳴りがし、心臓が激しく鼓動し、精神が暗闇に落ち、目にときおり涙が溢れてくる。彼らにはわかっていた。わかっていたのだ。それでも毎日戦闘に出かけ、戦争がどのようなものかわかってくる。勝者はいない。敗者もいない。勇壮なものなどない。ひたすら家に帰れるまでがんばり、戦争のあとの人生でも、同じようにがんばりつづけなければいけない。

 

憔悴していくのは兵士たちだけではない。彼らを支える妻たちの心も次第に疲弊し、限界を迎えてしまう。暴力的になった夫に怯えるだけでなく、軍隊からの収入が激減したため経済的にも追い込まれてしまっては、心を病むのも不思議ではない。鬱病だと診断された妻も登場する。本書では彼女たちの心の変化も、夫と遜色のない分量で細部まで描かれる。

著者は兵士やその家族だけでなく、ペンタゴン上層部や医療関係者にも丁寧な聞き取りを行っている。詳細は本書に譲るが、ペンタゴンの自殺評価グループの会議や復員軍人医療センターで行われる治療の様子、さらにそこで働く人々の内面にまで迫った部分は間違いなく貴重だろう。

本書の独特な文体についても触れておきたい。本書は徹底した3人称で書かれている。客観的な視点から事実を書き連ね、心理や情景を描写することに徹する姿勢からは、自分の意見や信条を披露せず、読者に解釈の全てを委ねるという著者の意図が感じられた。書き手の主張がない分、読み手は想像力がかき立てられ、登場人物たちの感情がかえって印象づけられる。

緻密な描写からは次々と映像が浮かび、まるで映画を一本見た後のような読後感だった。実際に、ある映画監督の手による本書の映像化の可能性が浮上しているらしい。その監督の名は、スティーブン・スピルバーグ。あくまで可能性に過ぎないとはいえ、実現が待ち遠しい。

巨匠の心を惹きつけたのは深刻なテーマだけでなく、著者の情熱もあったのかもしれない。訳者のあとがきによれば、著者であるディヴィッド・フィンケルは記者として「ワシントン・ポスト」に23年間勤め、2006年にはピュリツァー賞報道部門を受賞。その後会社を辞めてバグダッドへ赴き、陸軍の兵士たちとの1年間の共同生活を通して戦場の様子を取材し、本にまとめるという果敢な活動を展開する。帰国後、「仕事をやり遂げた」と思う彼だったが、そこに戦地で知り合った兵士たちから精神的苦痛を訴える電話やメールや手紙が届き、「私の仕事は半分しか終わっていない」と再び取材に立ちあがる。そんな強い使命感によって、本書は生まれた。

知られざるもう一つの戦場で何が起きているのか。
行間から滲み出る著者の思いも感じつつ、その目で確かめてほしい。

本当の戦争の話をしよう: 世界の「対立」を仕切る

作者:伊勢崎 賢治
出版社:朝日出版社
発売日:2015-01-15
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『帰還兵は~』を読んで心が重くなるのと同時に、なぜ彼らは苦しまなければいけないのか、戦争が起きるメカニズムをものすごく理解したくなった。そんな時に手に取ったのが本書。NGOや国連、日本政府といった様々な立場から開発援助や武装解除に関わってきた経験を持つ著者が福島高校の生徒と議論をしながら、ややこしい国際関係を平易な言葉でひも解いていく講義録。
 

文庫 戦争プロパガンダ10の法則 (草思社文庫)

作者:アンヌ モレリ
出版社:草思社
発売日:2015-02-03
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戦争が起きるメカニズムを「プロパガンダ」という切り口から論じた名著『戦時の嘘』。 著者はそこで掲げられた、戦争プロパガンダの10の法則が現代にも当てはまることを検証していく。戦争の起こり方について『本当の戦争の話をしよう』と内容がリンクしてくるあたり、腹落ちするとともに恐ろしい気分にさせられる。

吉村博光のレビューはこちら

決定版-HONZが選んだノンフィクション (単行本)
作者:成毛 眞
出版社:中央公論新社
発売日:2021-07-07
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