最近、戦争を身近に感じる出来事が続いている。本書は、国家が“国民を戦争にかりたてるために”どんな嘘をついてきたかを、歴史上の事実を列挙してつまびらかにした本だ。ベースにあるのは、1928年にロンドンで出版された名著『戦時の嘘』。この比較的薄い文庫本は、私たち日本人が今まさに見つめ直すべきテーマについて、考えを深める契機をたくさん与えてくれる。ぜひ、ともに過ごして欲しい本だ。
想像すればわかるが、戦時の嘘が通用した時代と現代では、生活者を取り巻く環境は大きく違っている。もう同じ手は食うまい。そんな思いもわかる。しかし、日ごろの自分を振り返ってみると、メディアの報道やネットの情報に踊らされることがよくあることに気づく。思い起こせば恥ずかしながら、昨今相次いでいる捏造事件について、私は当初最大限の賛辞を贈った。本書巻末では、現代の「洗脳」技術について、ベルギーのある漫画の言葉を引用している。
現代人は、かつてのように何でもかんでも信じてしまうわけではない。彼らは、テレビで見たことしか信じないのだ。
東京の通勤電車では、読書する人より、スマホを見ている人のほうが多い。上記の指摘を現代日本に置き換えれば、信じるのは「テレビとスマホ」ということになるかもしれない。美談であればあるほど、また正論であればあるほど話は広まりやすい。しかしだからこそ、我々は眉に唾をつけて接する必要があるのだろう。日々の生活では、こういった断片的な情報より、本書のような本をじっくりと読んでいくことを心がけたいものだ。
そもそも、私が本書を手に取ったのは、子供の頃に解決できなかった疑問を思い出したからだ。小学生のころ、戦争を起こしてはいけないと教わったときに、「じゃあ、戦争はどうしたら止めらますか?」と思わず質問した記憶がある。当時私は、どうしても喧嘩をやめることができなかったからだ。私は、その後、中学に入って3回目くらいの喧嘩のときに、「これから人を殴りたいときは、自分の拳を飲み込みなさい」と母に強く諭され、以来喧嘩をすることがなくなった。それとともに、いつしかこの疑問自体を忘れてしまっていた。
私は、とりあえず喧嘩を我慢することを覚えた。しかし、戦争がそれだけで済むはずがない。同胞を殺された怒りは一体どこに向ければ良いのか。この本を手にとって、まず目に飛び込んできたのは次の言葉だった。
戦争を望んだのは彼らのほうだ。われわれは平和を愛する民である。
昨今の報道によって私が知りうる事象は、まさにこの通りの状況に思える。では、戦争を起こして良いのか。いや、でも・・・。どうすればいい?狭間に立ったまま、私は本書を読み始めた。
そもそも、書名にある10の法則とは、古典的名著『戦時の嘘』の著者、アーサー・ポンソンビーが戦争プロパガンダの基本的なメカニズムについて論じた際に提示した10項目の法則のことである。本書は、1法則1章の章立てで構成されている。たとえば、最初の章の法則は「われわれは戦争をしたくない」。戦時国家はまず、自分たちは平和を愛しているということを宣言するという。ヒトラーの演説にも「平和への意志」が度々登場するそうだ。
第2章は「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」。これを双方が主張すると、第三者からみれば明らかに矛盾した形になる。お互いに敵側を悪者に仕立て上げるわけだが、国家や民族全体を悪者として仕立てるのは難しい。敵に顔(具体性)を持たせるのが、第3章「敵の指導者は悪魔のような人間だ」である。たとえば第1次世界大戦前のイギリスでは、ドイツ皇帝のことを完璧なジェントルマンとして紹介されていたにもかかわらず、開戦後は異常者、殺人犯、人殺しと罵ったそうである。
第1章から第3章までの流れを要約してご紹介したが、本書では、次の章とのつながりを意識して各章の最終パラグラフがつづられている。だから、読みやすい。しかも、それぞれの法則を裏付ける根拠となる歴史的事実は、著者の豊富な知識の中から最適なものを選んでいると感じさせる。そのひとつが、第1次世界大戦前に流布した「手を切断されたベルギー人の子供たち」の話である。
この話は、ベルギー難民の窮状とドイツ軍の残虐さを訴えるプロパガンダとして、成功をおさめ、政治的に大きな影響力をもった。だが戦後、根拠のないものであることがわかり、つくり話であると断定されている。また最近では、クウェート侵攻を制裁するに当たり、アメリカが広告会社を使い「保育器を盗もうとしたイラク兵が、なかにいた未熟児を放り出した」というつくり話を作って、世論を誘導したことがわかっているそうだ。
近代の戦争の火種となっているものの多くは、産業的、商業的な競争であることは誰の目にも明らかだろう。しかし、例えば第1次世界大戦の連合国側が公表した戦争の目的は、「軍国主義の拡大阻止」「小国の保護」「民主主義の確立」の三つであるという。言うまでもないことだが、我々はこうした大義名分に隠された欲望を見逃してはならない。
近頃、宗教と政治、政治と経済、宗教と経済・・・など、相互の関連性に言及した本が非常に多く刊行されている。そして、それを考えるうえで最も必要なのは、歴史に関する幅広い教養だと私は感じている。著者は、ブリュッセル自由大学で教鞭を振るう歴史批評学教授なのだそうだ。歴史批評学の視点で、世論を特定方向へ誘導するからくりを体系的に分析しているのだから、その切れ味は格別である。
ただ、先ほども説明したように、本書は読みやすい構成で事例が豊富なため、ゆっくりした気持ちで向かえば、さほど知識がなくても意義深い読書ができるように書かれている。だからむしろ、私のようにメディアに踊らされがちな人に、読んでもらうと良いのかもしれない。冒頭の章に書いてある本書の目的を読めば、解決困難な問題に白黒をつけようという敷居の高い本ではないことがわかる。
個々の発言意図を探るつもりはない。誰が真実を語り、誰が嘘をついているか、誰が善人で、誰が悪人かつきとめようというわけでもない。ただ、あらゆる戦争に共通するプロパガンダの法則を解明し、そのメカニズムを示すことが本書の目的である。
本書を読んだ後でニュースや新聞の情報にふれると、「ああ、これもポンソンビーの指摘していたあれではないか」と感じるようになるだろう。おそらくそれで、本書の目的は果たされている。というより薄手の文庫本を読んで、そこまでメディアリテラシーが高まるのなら言うことはないではないか。最近は、戦争に限らず、ビジネスの世界でもプロパガンダという言葉が使われるようになった。思わぬところに罠が仕掛けられているかもしれない。美談や正論の影に、醜い欲望が潜んでいないかどうか、しっかり見極めていきたいものだ。