人の夢を覗き見る。テレパシーで思考を読み取る。念力で物を動かす。偽りの記憶を植えつける。学習せずに新しいスキルを身につける。人の行動を操る。脳と脳を結んで精神を融合する。動物の知能を高める。感情を持つロボットを作る。脳を人工物で置き換え、永遠の命を手に入れる。魂を遠くの宇宙へ飛ばし、着いた先で新たな体に入り込む。
このなかで、科学的に可能なものはどれか? 答えは全部だ。しかも多くは実現しだしていると言ったら、あなたは信じられるだろうか?
だが、そんなことがどうやってできるのか? それを知りたければ、この本を読むしかない。そしてきっと、今すでに科学の最前線ではこんなことが研究されているのかと度肝を抜かれることだろう。事実、本国アメリカでは、刊行から半月でニューヨーク・タイムズ・ベストセラー・リストのノンフィクション部門で堂々一位を獲得した。
著者ミチオ・カク博士は、日本の吉川圭二とともに「ひもの場の理論」などを提唱した理論物理学の権威だ。ニューヨーク市立大学で今も教鞭を執りながら、テレビやラジオの科学番組で司会を務め、アメリカ国内のみならず世界各地を飛びまわり、講演活動も盛んにおこなっている。今年で68歳を迎えるというのに、その科学の普及へ向けた尽きせぬ情熱とバイタリティには目を見張るばかりだ。
彼はこれまで一般向けの科学書も著し、物理学の最先端へ読者をいざなってきた。たとえば『超空間』(稲垣省五訳、翔泳社)や『パラレルワールド』(斉藤隆央訳、NHK出版)では、彼の専門である超ひも理論をもとに、宇宙のエキサイティングな可能性を縦横無尽に語り、『アインシュタイン』(槇原凛訳、菊池誠監修、WAVE出版)では、現代物理学の原点と言えるアインシュタインの理論と生涯を紹介し、『サイエンス・インポッシブル』(斉藤隆央訳、NHK出版)では、「不可能(インポッシブル)」とされるSFの科学技術が原理的に可能か否か、可能だとしたらどうすれば実現できるかを、物理学の知識と現状を総動員して検討してみせ、『2100年の科学ライフ』(斉藤隆央訳、NHK出版)では、そうした科学の未来予想を近未来に絞り、現実的に可能な範囲を具体的に提示した。
ところが本書では、なんと「心」にスポットライトを当てている。カク博士いわく、この世で最大の謎は宇宙と心なので、今まで主眼を置いていなかったもうひとつの謎に取り組もうと思うのは自然な流れだったのだ。
心の謎は、実は現在多くの物理学者を惹きつけている。人工知能(AI)の研究が進むほど、人間の脳の働きをコンピュータで再現することの難しさが明らかになってきた。ニューロンとその結合を完全にトランジスタで再現できるとしたら、入力に対する出力が一意に決まってしまうのではないか。だとすれば、自由意志は何なのか。それを、決定論的な物理学に不確定性という概念を持ち込んだ量子論などで説明できるのではないか、と主張する物理学者もいるのである。
一方で、物理学の進歩により、脳の働きを定量的に観察する手段も次々と登場してきた。古いものでは脳波計、そして医療でもいまやおなじみのMRI(磁気共鳴画像法)やPET(ポジトロン放出断層撮影法)などがあるが、最近では開頭手術をせずに頭にかぶるだけで脳の微小領域に正確に電気や磁気の刺激を与える装置もできている。
このような流れで「心」をテーマに最新の研究の成果と未来の展望を語ることにしたカク博士だが、神経科学は彼にも専門外の分野なので、果たしてどこまで十分な議論ができるかと不安に感じる人もいるだろう。私も初めはそんな思いもあったのだが、読んでみて不安は払拭された。彼が幅広い人脈を生かして多数の専門家にインタビューしているおかげで、記述の信頼性は高く、最先端の内容を咀嚼してわかりやすく読者に提供しながら、物理学者の視点から独自の理論――意識の時空理論――まで示している。
しかも、ご覧のように結構分厚い本でありながら、読者をまったく飽きさせない。多彩な研究とそれにもとづく未来予想を紹介しながら、それらがほとんど無駄なく書かれているし、カク博士定番のSFのたとえが随所に出てくるから、終始ワクワクしてページを繰る手が止まらないのだ。
とはいえ、カク博士も「心の未来」の到来を手放しで歓迎しているわけではない。科学の発達でそれまで不可能だったことができるようになると、新たに倫理的・社会的問題も持ち上がる。それに、新しい技術にはつねに悪用の危険もつきまとう。正直なところ、他人に勝手に自分の考えを覗かれたり、知らないうちに自分が殺人をおかした記憶を植えつけられ、犯人に仕立て上げられたりする可能性など考えたら、そんな技術はないほうがいいと思うだろう。そのあたりの議論も押さえたうえで、未来は人の叡知によってより良いものにできるという信念が彼にはある。じっさい、可能な技術なら、たとえ抑え込んだとしても、いずれ別のだれかが必ず実現するものなのだ。あとで悪人の手によって実現されれば悪夢だが、最初からオープンにしておけば、悪用を防ぐルール作りや対抗手段を考えることができる。
科学の世界は日進月歩なので、アメリカで本書が刊行されたあとも、心の研究は次々と新しい成果を生み出している。たとえば最近では2014年8月に、日本の理化学研究所が、本書にも登場する光遺伝学を用いて、マウスの記憶の書き換えに成功したとの発表があった。雄のマウスにおいて、まず電気刺激という嫌な出来事の際に活性化した海馬のニューロン群に、光感受性タンパク質で標識をつけた。その後、光を当ててそのニューロン群を活性化させながら、雌と遊ぶという楽しい出来事を経験させると、そのニューロン群の活性化に結びつく記憶が楽しい出来事のものに書き換えられたのである。これはトラウマ(心的外傷)やうつ病の治療に応用できるものと期待されている。
さらにこちらも日本の研究成果だが、2014年12月に、本書の「念力」にかんする章でも紹介されているBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)の分野で、ATR(国際電気通信基礎技術研究所)を中心とする産官学協同チームが、小型・軽量の装置で脳波を計測し、そのデータから自然な意図や感情を読み取って日常的な行動やコミュニケーションを支援する手段を開発したという発表があった。これにより、従来のBMIのように強く念じなくても、リモコンを手で向けるような動作を自然におこなうだけでテレビやエアコンをつけたり、介護の現場で不快感を脳波から読み取って介助者に伝えたりできるようになるという。
今後も、本書で語られている未来がどこまで実現されていくのか、あるいは予想だにしない技術が現れるのか、テクノロジーの進歩から目が離せない。
2015年1月 斉藤隆央
NHK出版 NHKの番組テキストの発行で知られていますが、それに加えて経済・歴史・文化・科学など多彩な分野で書籍や雑誌を発行しています。次の時代を生きる智恵や、暮らしを豊かにする知識を伝えることをモットーにしています。