『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』 第45回大宅壮一ノンフィクション賞雑誌部門受賞作クラシック業界の恐るべき闇を告発する渾身のルポ
年末恒例、「今年の漢字」が発表になった。2014年(平成26年)を表わす一文字は「税」。ずいぶん直接的な文字である。
個人的には今年の漢字は「欺」にして欲しかった。美談から地に落ち、汚名まみれになった人の多かったこと。STAP細胞騒動、歌手のASKAの麻薬、30年前の従軍慰安婦報道の過失を認めた朝日新聞、号泣県議、福岡と京都で発覚した連続夫殺しの二人の女などなど、騙されてしまったなあ、と思う事件が頭をよぎる。
その中でも、一般もマスコミもひっくるめて美談にコロリといかされたのが、現代のベートーベンと称された佐村河内守のゴーストライター事件である。
2014年2月6日発売の週刊文春において、佐村河内守が作曲したという楽曲全部は新垣隆という音楽家が作ったものである、という記事が出た。すぐに記者会見が開かれ、小柄で弱々しい感じがする男性が、すべてを明らかにした。週刊文春は二の矢、三の矢を飛ばし、新垣隆本人の告白記事と騙されたマスコミの一覧を発表。そこにはNHKをはじめとする民放各社、全国紙、大手出版社の名前がずらりと並んだのだ。
当人である佐村河内守は、3月7日に弁護士も付けず、一人、記者会見を行った。トレードマークの長髪・ヒゲ・サングラスを外し、まじめなサラリーマンのような七三分けにスーツ姿で現れ、記者たちの度肝を抜いた。全聾者というのもウソ、語ってきた経歴もウソ、と関係方面へのお詫びの言葉を述べた。
その会見に怒ったのが本書の著者、神山典士である。週刊文春の記事のきっかけになったあることが、神山にはどうしても許せなかったのだ。本書は、神山典士というノンフィクション作家がどうして佐村河内守にゴーストライターがいたのかを知るところから始まる。
彼は“こうやまのりお”という名義で児童書も書いている。その中の一冊に『みっくん、光のヴァイオリン‐義手のヴァイオリニスト・大久保美来』という大型本がある。小学六年生のみっくんという女の子は「先天性四肢障害」という生まれつきの障害で右手のひじから先がない。でも、ヴァイオリンが弾きたいと義手を付け練習を重ね、コンサートを開けるほどの腕前になったのだ。彼女が上達した一つの要因に佐村河内守との出会いがあった。こうやまのりおは、その過程を見続けていた。良好な関係が続いていると信じながら。
しかしあるとき、みっくんの両親から連絡が入る。折り入って相談があるという。軽い気持ちで出かけた神山を待っていたのが、佐村河内守のゴーストライター問題であった。
聞けば、佐村河内とは関係なく新垣隆とも知り合いであり、みっくんの伴奏を何度となく頼んでいた間柄であるという。大久保家と新垣隆は、そのとき、別々の問題で佐村河内守に脅迫されたり、土下座して懇願されたりしていたのだ。
そもそも佐村河内守という聾者の音楽家が注目されたのは99年4月に東京国際フォーラムで行われたゲーム音楽のフルオーケストラによるコンサートであった。新日本フィルハーモニーの150人の演奏者に加え、邦楽界の名だたる名手が揃い、その演奏に誰もが感激した。
一番感激したのは、本当に作曲した新垣隆だったのかもしれない。六畳一間の作業部屋でクラビノーバを頼りに作り上げた曲が、これほど美しく奏でられるとは!名誉やお金ではなく音楽家としての性が満足させられた瞬間であったのだ。しかしこれが18年にもわたる泥沼の最初の一歩であった。
佐村河内が新垣にどのように依頼し、それを新垣がどうやって作曲していったか、その過程は驚くほど綿密だ。特に、マスコミの寵児となってから、ゴーストライターの秘密がばれることを恐れ、細心の注意を払い、ちょっとしたスパイ小説のように連絡を取り合う。
だが、新垣は疲れてしまったのだ。最初はそんなに大事であるという認識はなかった。音楽家として、普通では望めない交響曲を任され、多くの人が喜んでくれるということだけで満足していたのが、佐村河内守という虚像が独り歩きを始めて傲慢化し、世間の人を欺きはじめた。誰もそれを見破れない。
だから関係を切ろうとした。
そこからは泣き落としに土下座である。新垣の決心は変わらずだが、大事にするつもりはまったくなかった。世間からのフェードアウト、それが望みだったのだ。
その決心を変えさせたのが、みっくんやその他、障害を持った子供たちへの支援の下心であった。みっくんは、音楽の才もさることながら、様々な好奇心を持つ元気な少女だ。佐村河内に世話になったことを感謝しつつ、他のことにも興味がでる。
それが佐村河内の癇に障った。今までマスコミに出してやったのに、有名にしてやったのに、なぜ自分の言うことを聞かないのか、という恫喝が始まったのだ。それは中学1年生の少女を怯えさせるのに十分なものだった。
本書にはメールのやり取りが詳しく紹介されている。上から命令するような文面に、最初は謝罪と感謝を繰り返してきたみっくんが、最後に関係を切ることを決意。こう言い放つ。
「大人は嘘つきだ」
正直、本書を読むまで、この「佐村河内事件」は単なる芸能スキャンダルのひとつだと思っていた。被災地での演奏や広島の被爆二世で「交響曲第1番《HIROSHIMA》」という交響曲を作ったのは知っていたが、あまりに胡散臭い風貌で、佐村河内本人に興味が持てなかったせいもある。
最近「どぅんつくぱ ~音楽の時間~」という夜中のテレビ番組が面白いと人から聞いた。子どもの音楽番組を模した大人向けのバラエティなのだが、そこで「新垣せんせい」として音楽の薀蓄を述べる新垣隆をみた。なんだか楽しそうで意外だった。そして本書の発売だ。思わず手に取り、神山典士の怒りを知った。
*残念なことに「大人の事情によってどぅんつくぱ」は12月12日で終了!あれまあ…
週刊文春の一連の記事は、第45回大宅壮一ノンフィクション賞の雑誌部門を受賞した。当然の結果であると思う。
この事件で本書は絶版になったそうだ。新たに書き直してほしいと願う。