ある会社の経営者の講演を聞いていて、思い出したことがあった。歴史好きで大学で講座を持つほど深い知識を有することで知られるその人は「歴史的な出来事はすべて必然である」として、その大きな要因のひとつに気候変動や自然災害がある、と語った。日本民族の歴史の中で江戸時代の人間が一番小さかった理由も、モンゴル帝国の崩壊も自然を起点として考えると分かりやすいのだそうだ。
私は以前、北方謙三氏の秘書として、小説の下調べをすることが多かった。小説は作り事だが、そのパックグラウンドはきちんと検証されたものでなくてはならない、という彼の持論のもと、様々なことを調べるのに膨大な時間を費やした。調べたことが一文字も使われなくてもいい。何かの時にきちんと反証できるようにするのが私の仕事であった。
1995年、「天明の打ちこわし」をテーマにした『余儘』(講談社文庫)という小説を書くにあたり、私がまず調べたのは「なぜ打ちこわしは起こったかしだった。もちろん田沼意次の政策への不満が最大の要因だが、大飢饉が拍車をかけていた。
様々な本を読み漁るうち、上前淳一郎『複合大噴火』(文春文庫)に行きついた。天明の飢饉の原因が浅間山の噴火であり、ほぼ同時期にアイスランドのラキ山が噴火。それがヨーロッパに大災害を及ぼし、フランス革命がおこる大きな原因となったことを知り、とても驚き面白いものだ、と興味を持ったのを、その講演会で思い出したのだ。気候変動と歴史の関連について書かれた本は、その後もなんとなく読み続けていた。
その中でも飛び切り面白かったのはプライアン・フェイガン『歴史を変えた気候大変動』(河出文庫)である。考古学者である著者が1300年代から1900年代までの歴史を気候の変動から読み解いたこの本は素晴らしく、様々な新しい視点を与えてくれた。
日本にも素晴らしい研究者がいる。田家康『世界史を変えた異常気象』『気候で読み解く日本の歴史』(どちらも日本経済新聞出版社)は、毎年のように異常気象が叫ばれる現在の日本の状況を考えると、多くの人に読まれるべき本だと確信している。
『小説フランス革命」の解説を依頼いただいたときに、最初に思いだしたのが『複合大噴火」、そして歴史気候学について読んだ一連の災害とその影響である。18世紀の百年は、大きな自然災害が重なった。本書8巻の解説で永江朗氏が書いているように1783年に大噴火をしたアイスランドのラキ火山、グリムスヴォトン火山の影響は広く知られている。
それ以外でも太陽黒点の数が極小期であり、全太陽放射照度は低下傾向にあったことが推察されるうえ、エジプトのナイル川の水位が低く、日本列島の暖冬と冷夏の組み合わせから考えてエルニーニョ現象が発生した可能性も高いらしい。(『気候で読み解く日本の歴史』)
1788年のパリは、春の降水量が異常に少なく気温が高かった記録が残っている。春先の少雨は干ばつに結びつく。当然、小麦の収穫は少なくなり、民衆は困窮した。(国家康『異常気象が変えた人類の歴史』日本経済新聞出版社)
もうひとつ注目したいのは、フランス人の気質である。フランスの農民は長い間ジャガイモを食べようとしなかったという事実である。1750年になってもフランスではジャガイモは異国の食べ物であり、プルゴーニュの農民は、その形状が当時おそれられていた病を思わせ、この病気の原因になる、と作付けさえ禁止されていたという。
小麦の不作の年には出来の悪い穀物やかびたような穀物で間に合わせ、それで腹を空かすとパン騒動となった。同時期、イギリスでは動物の飼料として栽培されていたジャガイモが貧困者の食料となっていたのに、である。その上、農業改革も進んでいなかった。 一説には15世紀から18世紀の400年近くの間、中世のころとほとんど変わらない農業をしていたという。
換金できる作物は小麦とワイン用のプドウしかなかった農民たちは、天候不順による干ばつや巨大な雹による大被害を受けていた。巻間、マリー・アントワネットが言ったと流布した「バンがなければケーキを食べればいいじゃない」〈真実はほかの婦人が言ったことだそうだが〉のように、主食は小麦しか考えられなかったようだ。(『歴史を変えた気候大変動』)
本書の中にも脅され殴られながらもパンを焼く職人の姿が活写されている。飢えを凌ぐための暴動の様子は、読むだけで身の毛がよだつ。
もちろん、フランス革命は異常気象だけが引き起こしたものでないのは明らかで、それは、この小説そのものや巻末に付いた関連年表、フランス文学の専門家による解説に詳しい。
正直なところ、学生時代、世界史は不得意だった。理科系を専攻していたせいもあり、身近な日本史はともかく、どこにその国があるかわからないような場所の歴史(さすがにフランスの場所ぐらいはわかるが)には興味が持てなかったせいもある。
ただ、私は『ベルサイユのばら」世代、ど真ん中。世の中のことが多少分かりはじめた中学生のときに連載が始まり、週刊マーガレットをむさぼり読んだ少女時代をすごした。男装の麗人オスカルと、彼女を愛して命を懸けて守るアンドレの主役のふたりは、クラスの女子を真っ二つに分け、派閥ができる始末であった。ちなみに私はアンドレ派。ああいうナイトが現れないものか、と憧れたものである。
本書の7巻に池田理代子氏自身が解説を書かれている。この小説に対する熱い思いが遊り、大きくうなずくことが多かった。
毎回、穴が開くほど熟読した結果、フランス革命の王室側の知識は、非常に詳しくなった。架空の二人はともかく、ルイ十六世、マリー・アントワネット、フェルセン、ミラボーなど、マンガの絵柄がそのまま本書のキャラクターと重なる。最初はイメージのギャツプに少々面食らうところもあったのだ。
特にルイ十六世はおとなしく無能で、アントワネットの言いなりだったように思っていたが、佐藤賢一が措く国王は、筋が通った聡明な男である。その差については同じく佐藤賢一の『フランス革命の肖像』(集英社新書)を読んで疑間が氷解した。この本の中に紹介されている何枚かのルイ十六世の絵は、およそ同じ人とは思えないほど違っている。佐藤賢一がこういう人物に違いない、と描いたルイ十六世は、多分多くの人に好感をもたれたであろう。
しかしそのルイ十六世もギロチン台の露と消えてしまった。マリー・アントワネットの処刑も近.ついてきている。本書13巻は国王を処刑したのちに起こった物価高騰による暴動によって混乱するパリの様子から幕が開く。サン・キュロット(半ズボンなし)と呼ばれる一般民衆が略奪を重ねていく。
そんな姿を呆れて観ているのは「くそったれ」が口癖のジャック・ルネ・エベール。「デュシェーメ親爺」という新聞を発刊し、歯に衣着せぬ物言いが人気を得て、今ではパリ市の第二助役も務めている。今回が初登場のキャラクターだ。
今回の物語の重要な場面にすべて遭遇し、彼なりの分析を披露し、読者を納得させていく。毒舌というか口汚いというか、とにかくすべての物事を、セックスやら性器やら排泄物にたとえるのはいただけないが、なかなか愛すべきキャラクターである。ちなみに彼が口にした「くそったれ」の回数は50回以上。混乱の極みを見せるパリの様子をたとえるのに、こんなに適切な言葉はない。
ジロンド派のサロンに君臨するロラン夫人の暗躍も目が離せない。ここまでの物語で唯一と言っていいほどの女性キャラクターは、肖像画では普通の主婦のように見えるがなかなか図太く、同じ女として胸の奥底で応援をしてしまう。
そして忘れてはならないカミーユ・デムーラン。パレ・ロワイヤルのカフェで演説を行い、民衆の蜂起を先導した最大の立役者も、あれから二年半がたち、結婚して子供も生まれている。ミラポー亡きあとの喪失感は大きく、大男のダントンやパリで一番人気の新聞「人民の友」を発刊している異形のマラとともに体制の立て直しを図ろうとしている。
フランス革命の全体の印象は、国王を処刑するまでは、どこか牧歌的でさえあったような気がする。王も貴族も、存在さえ否定されるとは夢にも思っていなかっただろうし、民衆でさえ、宮廷が無くなり身分制度が廃止されるなんて想像だにしていなかっただろう。
この『小説フランス革命』も第二部に入り、王が殺されてしまったこの13巻あたりから、非常に血なまぐさくなってくる。世界史の授業で習ったことだけでも、ロベスピエールをはじめとする革命の立役者が、次々と殺されていくのがわかる。この長い物語を一緒に歩んできた革命の志士たちが、様々な理由で排除されていくのだ。それは少々つらい読書になる。
しかし私は最後まで見届けたい。佐藤賢一が描くフランス革命はどのように終結していくのか。民衆はどのように行動し、フランスという国はどこに向かうのか。後のフランス国家となるラoマルセイエーズ。その歌詞のリフレインのように「マルシェー マルシェー」(進め― 進め―)と応援していく。
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