本を通して、現実には会ったことも話したこともない相手を、ずっと以前からの懐かしい知り合いのように感じることはないでしょうか。あるいは、その人が書いたことに影響されて自分の人生の大事な決断を行ったり、本に書いてあった言葉を何度も心の中で繰り返して励まされたり。私にとっては、翻訳家・エッセイストの須賀敦子さんがそんな存在です。この秋、1998年に69歳で亡くなった彼女の回顧展が神奈川県立神奈川近代文学館で行われ、追悼の関連書籍もいくつか出版されました。
1980年代から90年代にかけて絶大な人気を誇った少女雑誌「オリーブ」の元編集長・岡戸絹枝氏がマガジンハウスを退社後、かねてから企画をあたためてきた、”格好いいお年寄り”の雑誌を先月末に創刊した。ページをめくって驚くのは、年金や介護問題など定年後のシニアをテーマにした雑誌なら当然掲載されていそうな記事が一切なく、見とれてしまう素敵な笑顔、憧れる生き方、笑える話が盛りだくさんなこと。この雑誌に掲載されているのは、編集者の岡戸さんのアンテナが反応したものばかり。「つる」や「はな」といった、名前が二文字のおばあちゃんを全国に取材した記事に始まり、指揮者の小澤征爾さんに聞く、自分で毎日勉強し続ける方法。アイルランドの海辺の街で、1900年から続く家族経営のパブを守り続ける独身の老姉妹の凛とした毎日。版画家・うえだひろしさんの妻・上田昭恵さんの、最愛の夫を亡くした後も愛し続けて幸福に輝いている笑顔。
雑誌の記事をすみからすみまで読んだのは何年ぶりだろうか。どの記事も、一人一人の人生の先達のきらきらした魅力に溢れている。年上の先輩の話を聞く小さな場所、それが「つるとはな」だと岡戸さんは雑誌のホームページで書いている。
学校や会社は、わたしたちの一生の場所ではありません。
最後の旅立ちは、うまれたときと同じ、ひとりです。
学校や会社とはべつの、年上のひとの話を聞きたい。
自分のいまを見直したり、これからを考えたい。
話を聞きたい年上のひとは、ひとりでいることをおそれず、こころのうちに尊敬する誰かがいて、語るべきことを少なからずもっている。
この創刊号の目玉の一つが、没後15年以上を経て初めて公開された、作家・須賀敦子が年下の友人夫婦に宛てて書き送った55通の手紙である。61歳でエッセイストとしてデビューして以来、死後もなお多くの読者を魅了し続けている須賀敦子。心を許した年下の友人へ宛てた手紙には、著作にはないくつろいだ調子が見られたり、時には弱音を吐いたりもしている。手紙の内容だけでなく、手書きの文字や便箋の風合いから、これまでは知られていなかった彼女の新たな一面が浮かび上がる。
1950年代に、24歳で単身ヨーロッパへと渡った須賀は、イタリアと運命的な出会いを果たす。30代間近で念願のイタリア留学を果たし、カトリック左派の思想を共有する仲間で経営されていたミラノのコルシア書店で働くようになる。書店に勤めていたペッピーノ・リッカと1961年に結婚。川端康成、谷崎潤一郎などの日本文学を次々とイタリア語に翻訳していく。早くに夫を亡くし、日本に帰国してからは語学の非常勤講師などの仕事をしながら論文を書き、大学教授に。イタリア文学の翻訳家として知られるようになったのが50代。そして、日本語で自分の文章を綴って作家として認められたのが60代であった。
きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と。(『ユルスナールの靴』より)
そのころ、私はよくパリの街を歩いた。自分にとってまるで異質なこの街の思想や歴史を、歩くことによって、じわじわとからだなのなかに浸みこませようとするみたいに、勉強のひまをみては、地図を片手にあちこちと歩いた。セーヌの河岸の古本屋で売っていた詩集の、黄色い表紙にヴェルレーヌやランボーの名を見ただけで、めずらしいものを目にしたように、息を呑んで立ち止まることがあった。また、肉屋のまえを通るとき、店の奥からただよってくる血の臭いには、なにごともきれいごとで被ってしまう日本では嗅いだことのない剝き出しのなまなましさがあった(『ヴェネツィアの宿』所収「カティアが歩いた道」より)
須賀敦子の文章は一見するととても情緒的で、描写にすぐれ、平易なやわらかい言葉で書かれていて読みやすい。しかし、女性的な文体だけが魅力なら、お嬢様が書いた私小説だと批判する人も出てくるだろう。私が須賀敦子の文章に魅せられたのは、やわらかく美しい文章を支えている、彼女の強固な、石のような芯の部分を感じ取ったからだ。カトリック信仰、そして文学を存在の中心に据え、自分の信じる生き方を貫いた人。「信仰」を持っている人の文章を読んだのは初めてだった。かといってその信仰が前面に出ているわけではなく、ただかすかに匂い立つようにそれが文章から感じられるのである。
この『文藝別冊 須賀敦子ふたたび』には、これまでどの単行本にも収録されていなかったエッセイや須賀によるダンテ『神曲 地獄篇』の訳文の抜粋、大学の卒業論文として提出した翻訳文、そして松山巖氏はじめ関係者による回想文、生前に担当編集者だった4名による興味深い対談などが掲載されている。
本を愛し、本と共に生きた須賀敦子。敬愛する作家の足跡を辿る旅に出たり、読んだ本について書いているうちに過去の記憶が蘇ったり、そんな文章を書いた。須賀の作品は、彼女が読んできた本へと読者をいざなう良きブックガイドでもある。サンテグジュぺリの『夜間飛行』、アン・モロウ・リンドバーグの『海からの贈りもの』、庄野潤三『夕べの雲』など、彼女の著作を通して出会った本は数え切れない。そして、須賀さんが見た景色が見たくて、イタリアのトリエステやミラノを訪れたりもした。
『須賀敦子の方へ』は、生前に須賀敦子と親しかった作家の松山巖氏が、須賀敦子自身のエッセイの手法を用いて、彼女の作品、そして彼女が読んでいた本を読み返し、彼女が歩いた土地を自ら歩くことによって須賀敦子の人生を浮き彫りにした評伝である。例えば、第一章では須賀敦子にとって重要な本だった森鷗外の『渋江抽斎』を取り上げ、その本を彼女に教えた父・豊次郎と須賀との関係に焦点を当てる。そこからさらに話は作家としての須賀敦子に決定的な影響を与えたナタリア・ギンズブルグへとつながり、須賀も訪れた、ローマにあるナタリアのかつての住まいの前に松山氏は静かに佇み、自分が須賀敦子に初めて出会った時の情景を思い出す。職人が一つ一つの資材を組み立てて美しい建物を造りあげるように、本の思い出、土地や人の記憶を一つ一つ積み重ねて文章を構築する。これ以上ない、亡き著者へのオマージュである。
須賀敦子の著作を初めて読む方におすすめ。
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