今年も残すところあと1ヶ月となり、年忘れという言葉も聞こえてきた。皆さんにとって2014年はどのような年であっただろうか?そして来たる2015年のことを考えた時に、どのような感情が沸き上がってくるだろうか?
年の瀬ともなると、私たちは過去の出来事を頭の中で再現し、その情動を元に未来へ思いを馳せる。年を忘れるというくらいだから、辛かったことや不安な出来事を思い出す方も多いのかもしれない。いずれにせよ私たちは「今」という瞬間を疎かにするくらい、記憶というものに縛られながら生きている。それならば未来もなく過去もなく、現在進行形しか存在しない世界に行けば、不安を取り除くことは出来るのだろうか。
1953年、一人の男がてんかん治療のための脳手術を行った。左右の内側側頭葉を摘出するという実験的な手術であったものの、発作は無事に抑えられるようになる。しかしこの手術は、関わった全ての人にとって決して忘れられない出来事となった。ただ一人、手術を受けたヘンリー・モレゾンをのぞいて。彼は極度の健忘症によって、新しい記憶を形成できなくなってしまったのである。
この話を聞くと、ロボトミー手術のことを思い出される方も多いかもしれない。通常、ロボトミーとは前頭葉を切ることを指すが、ヘンリーの場合は内側側頭葉を対象とし、海馬や扁桃体等を除去するものであった。彼の手術が行われた当時、既に前頭葉ロボトミー手術に問題があることは明らかになっている。だがそれは、精神外科の治療法そのものを見直すということにはつながらず、別の部位に可能性を見出そうという潮流へと向かっていった。脳地図というものが作成されはじめ、特定の感覚、運動、認知機能はそれぞれに特化した個々の脳領域に表象されると信じられていた時代の話である。
ヘンリーは記憶を失う一方で、知能は正常なままという特異なケースであった。それゆえ数多くの科学論文や書物が書かれ、認知科学の文献では症例患者H.Mとして最も多く引用されたほどである。また、手術によって記憶を失ってから50年近くもの長い間生き続けたということ、そして類いまれな利他的な精神の持ち主であったことも、彼が神経科学史上最も研究された理由の一つであった。彼は、自分の病気の研究が、ほかの人がより良い人生を送るのに役立つならうれしいとよく話していたのだという。
当人の日常生活に悲惨な影響を与えたことと引き換えに、神経科学にはかけがえのない進歩がもたらされた。彼の健忘症の範囲と限界が解明されることが、記憶が人の脳の中でどう組織化されるのかを知る新たな方法へつながったのである。だがH.Mというイニシャルの陰には一人の生身の男性がおり、実験結果の裏には人生があった。本書では、そんな記憶の仕組みが解明されていく過程が、ヘンリーの半生におけるエピソードを通して描かれる。
ヘンリーは手術後の経験をほとんど記憶出来なかったが、それ以前に見知ったことは概ね憶えていた。そもそも記憶には短期記憶と長期記憶と呼ばれるものが存在する。短期記憶とは、今この瞬間に意識に上っている情報であり、約30秒以内に消えてしまう程度のものだ。一方、長期記憶とは大量の情報を数分、数日、数ヶ月にわたって保持するものであり、ヘンリーが手術後に失った記憶はこちらの方であった。短期記憶しか存在しない彼の人生は、まるで30秒という一瞬の中に閉じ込められたも同然であったと言える。
この事実こそが、当時大論争になっていた短期記憶と長期記憶が異なる種類のものであるか否かという問題に決着をつけた。短期記憶を長期記憶に移行させるためには、側頭葉深部にある特定の脳領域が不可欠であるということがわかり、短期記憶と長期記憶のために2つの独立した記憶回路が存在することが明らかになったのである。
またヘンリーが父親の死を迎えた時のこと。彼はその事実を記憶できず、話を聞く度にまるで初めて悲報を耳にした時のような悲しみを見せた。だがそのような特定の出来事の細部を憶えることには障害がある一方で、外界に関する一般的な知識--有名な楽曲、広く知られる歴史的事実--については、手術後の事であったとしてもはっきりと思い出すことが出来たのだという。このことから、自伝的エピソード記憶と意味記憶は別々の処理を経た機能であることが分かり、同じ健忘症でも異なる振る舞いを見せるということも明らかになった。
この他にも本書では、年老いた自分の顔を鏡で見た時に自分であると認識できるのか。どのような夢を見るのか、老化による認知症を併発することがありうるのか。痛み・空腹・渇きなどの身体状況をどのように感じるのか。同窓会に行ったらどのような反応を見せるのかといったところまで、膨大な日々の記録が事細かに記述されている。
著者は、ヘンリーが記憶を失ってからの模様を40年以上に渡り見守り続けた主治医の女性。記憶の仕組みの解明という大きな目的を共有するヘンリーとの親愛なる日々を情感たっぷりに綴る一方で、ヘンリーの死後、脳を摘出した際に感じた科学者としての興奮も隠さない。
今でこそクラウドを通じてライフログを外部に預けることなど、当たり前の世の中である。だが置き場所は外部であっても記録の所有者は我々自身であり、だからこそ自分のアイデンティティを自身の中に感じることができる。
ヘンリーはアイデンティティの全てを他人に委ねるよりほかはなかった。しかし彼の日常の喪失と引き換えに神経科学界が大きく発展することが出来たこともまた、彼の歴史の一部分なのである。本書で描かれているのは、当人でさえ知ることの出来なかったヘンリーのアイデンティティそのものと言えるだろう。
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