周りは固いビジネス書。誰もが経営の神様や成功への秘訣を手にするための情報を求めて足を運ぶ書棚の平台に、一冊の本が異彩を放っていた。
茶色の帽子をかぶった白いクマと正体不明のヘンテコなぬいぐるみが2匹並んだ表紙には『お客さまはぬいぐるみ』というタイトルがある。児童書が紛れ込んでしまったのかと手に取って読みだせば、なんと実在の旅行会社の話でないか!
ぬいぐるみ専門の旅行会社、名前は「ウナギトラベル」という。
社員たった一人で、持ち主の手を離れたぬいぐるみたちを日本の観光名所のあちこちにお連れし、その様子をネットで見せてくれるという。まさに童話の世界そのままが、科学の進歩で実現したのだ。理屈ではわかる。友人のブログや写真でも、ペットと同じように、お気に入りのぬいぐるみを持ち歩く姿はそれほど不思議ではない。
「可愛い子には旅をさせろ」というけれど、ぬいぐるみに旅をさせる理由は、ちょっとほろりさせるものだった。
崚平くんは6歳なのに極度の恥ずかしがり。もうすぐ小学生だというのにひとりでお使いにも行けないのを心配したお母さんが彼の大事にしている「くまちゃん」を旅に出すことを思いついた。すねる崚平くんをしり目に、くまちゃんはノリノリだ。最初はモニターを頑として見なかった崚平くんは、楽しそうな様子を話すお母さんの後ろから覗き込み、夢中になって見始めた。
通販会社に勤めていた由紀さんは、過労から精神を病んで休職中。何もする気がしない中、ある日見たテレビのニュースでウナギトラベルを知る。7年前に買って、通勤まで一緒にしていた「くまこさん」が自分の代わりに旅行してくれたら少しは気分がよくなるかも、とツアーの参加を申し出た。
ほかにも、突然の事故で母を亡くした娘が、母を偲んでカエルに旅行してもらう物語や、出産時にへその緒が首に巻きついてしまい低酸素脳症となって、意識不明のまま家族に介護れているふたりの少年少女が、ぬいぐるみが代わりになって友達同士となり、旅行先で美味しいごはんを食べる話、など、写真ともに楽しみ、喜び、そして、少しだけ考えさせられる。
ユニークな旅行会社は世界的にも有名となり、貧しくて満足に教育の受けられない地域の学校から、小さなぬいぐるみが送られてきて、初めて日本について勉強したり、60年前に原宿の米軍住宅に住んでいた少年が、そのころから大事にしているリトルブラザーベアを一人旅させたり、と思わぬところからの申し込みが増えているようだ。
著者でウナギトラベル社長の東園絵は、銀行、証券会社を経て、この不思議な旅行会社を2010年に設立した。はじめはウナギ好きが高じて自作したぬいぐるみの目玉だけを世界旅行させたことから、何かの理由で旅行に行けない人の代わりに、自分の分身であるぬいぐるみにいろいろ経験してもらおう、と独立したそうだ。
社名どおり、ガイドはみんなウナギのぬいぐるみ。本書で出てくる謎のガイドは「うななさん」と「ウナーシャ」だが、ちょっと見はウナギだと思えない。
人間はあくまでお手伝い。オリエンテーションをお膳立てしたり、写真を撮ったり、移動のときにカバンに入ってもらったり、あとはぬいぐるみたちの経験をパソコンの向こうの人たちに喜んでもらうだけだ。
旅行は随時募集中。旅行代金も小学生が、お小遣いをちょっと貯金するだけで実現できる。肌身離さず大事にしているお人形が、自分の行けない場所で、大胆な経験をしている、それを見るだけで、明日から生き方が大きく変わるかもしれない。
ウチの“クマむしーズ”たちも連れて行ってもらおうかなあ~
*本書写真は編集部よりお借りしました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ぬいぐるみだってお客さま。お掃除の天使たちはきっと大事にしてくれる。久保洋介のレビューはこちら
九州への旅行はぜひこの列車で!足立真穂のレビューはこちら
これは人間が行きたいね。ぬいぐるみといっしょに。新井文月の
。