ハンチング帽を被ったおじさんが「吉田類」ですと名乗っても液晶画面越しに「誰だよ」と突っ込まなくなったのはいつからだろうか。「吉田類、下戸」の週刊誌報道に好きだったアイドルが結婚した時以上の衝撃を受けたのは私だけだろうか。
もはや新橋界隈で働くサラリーマンではゲック(月曜午後九時)といえばBS-TBSともいわれている人気テレビ番組「吉田類の酒場放浪記」でおなじみ吉田類がついに中公新書に登場である。
中公新書が変わったのか、吉田類が変わったのか。よくわからないが不思議な組み合わせに手に取っただけで胸が高鳴ってしまう。ページを捲れば4部構成。章題もそれぞれ順に「酒徒の遊行」、「猫の駆け込み酒場」、「酒飲み詩人の系譜」、「酒精の青き炎」。そして、本書の一番最初のエッセイ(章題と同じ「酒徒の遊行」)の書き出しからして、「酒場放浪記」のノリを予感させる。
「ほらっ、酔っぱらいのおじちゃんだよ」中国系をはじめ、外国人観光客らで賑わう浅草の仲見世を歩いている時のこと。孫を抱えた中年男性が顔をほころばせて近づいてきた。
飲み歩きの酒場レポート番組の出演者ならではの冒頭。この書き出しならば間違いない。新聞連載の2、3頁ほどのエッセイを集めたものなので、それこそ飲みながら、つまみ食いならぬつまんで読むのにも最適だ。
しかし、興奮したまま、「心が通う瞬間」というタイトルの一編を読んでみたら驚いた。酒場での人と人の心が通う瞬間が吉田類視点で描かれてることは間違いないと鼻息荒く頁を捲ったら、腰を抜かしてしまった。
「昆虫と会話ができるんですってね」。時折、こんなジョークめいた問いかけをされることがある。
吉田類さん、どうしたんでしょうか。ぶったまげた話の入りですが、「なるほど、ここから、酒場に話が展開されるのか。すげー、類さんの文章力と発想!」と思いきや、2頁が丸ごと昆虫話で終わってしまった。最後には「蟻はこぶ 中年男を 布団ごと」と一句詠んでいるし。心が通じるって昆虫とかよと呆然としながら、目に入った隣の頁に載っていた次のエッセイの題が「ファーブルの丘便り」。
それでもグヘグヘのグダグダの吉田類を諦めきれずに読みすすめるとエゾシカやアイヌの話など、紀行エッセイの趣。こちらは「酒場放浪記」の延長線上にある読み物として読んでいるのだが、ほろ酔い加減で居酒屋の店内を歩き回って隣のテーブルに乱入する吉田類の姿はそこにはない。どうしたんだ吉田類。思わず、表紙を見直し、あまりにも不安になり、出版社がカバーを掛け間違えているのではとカバーをとって確認したほど。
あとがきを読むと「紀行エッセイ」とある。興奮のあまりすっ飛ばした「はじめに」も「人生を旅に喩えるのは、いにしえからの理だった」の一文で始まる。全編グデングデンの期待が見事に裏切られたものの、少しがっかりしながら読み進めると逆に唸ってしまう。旅先で人と触れあい、自然を楽しみ、俳句を詠み、酒を飲む。わずか2、3ページにこれら全てのエッセンスが詰まっている。もちろん、遊び心あふれたエッセイもあるし、『呑めば、都』でおなじみの青い目をした居酒屋愛好家兼大学教授のマイク・モラスキーに「あなた、よく飲むね」と酒場で偶然、話しかけられるなどマニアにはたまらない小ネタも忍ばせている。そこには政治の世界より厚い日米同盟があったのだ。
最近ではインターネットで変身セットまで販売されているほどの人気を誇る吉田類。偽吉田類も関東近郊では目撃されるとか。グデグデのグダグダも愛らしいが、山を愛し、俳句を愛し、旅を愛するテレビでは見られない姿を垣間見るのもたまには良い。