「江戸時代の庶民って実はみんなハッピーだったんだよね」とマルクス主義者にドロップキックをかました名著『逝きし世の面影』。著者の渡辺京二氏の思想が詰まった幸福論が本書だ。
帯は強烈だ。
「成功」「出世」「自己実現」などくだらない
とはいえ、本書自体が自己啓発書にしか映らないし、多くの著作を出し、和辻哲郎文化賞や毎日出版文化賞を受賞した人物に「成功などくだらない」と言われてもなと首を傾げる読者もいるかもしれない。だが、彼のこれまでの人生をたどるだけでも出世欲や功名心とはかけ離れた生活を送ってきたことが分かる。
戦時下での上海の生活を経て敗戦後に帰国、結核を患い生死を彷徨った。上京して働くも熊本に帰郷。亭主関白な九州の地で専業主夫生活を送った時期もあった。河合塾の福岡校で長らく塾講師を務めながら、評論活動を続け、70歳頃から著作が増えた。80歳を過ぎてから文筆業で食えるようになった。
自分の人生の主人になる
自己実現や成功を否定する著者は自己顕示欲に溢れた現代にこう提言する。
人間は大差のない存在であって、人に抜きんでる必要はない。この世で、一人ひとりの存在は、それ自体でおのずから肯定されているからです。
自己の境遇に盲目的に満足しろという話でもない。
世間一般には奇矯とみられるものであっても、自分で納得して、やるだけのことはやれたと思える尺度を」持ち、努力を積み重ねながら、平凡に、無名のまま過ごすのは、つまらないことでも、虚しいことでもありません。
ありきたりといえばありきたりの提言ではあるが、彼のこうした発言の背景には、著作活動の根幹を占める個人と国家の関係性の考察がある。北一輝や宮崎箔についての評伝を著してきたことからも彼の思索の根底には近代国家への疑念がある。だが、「反国家主義は成り立たない」と語る。忌避する物でもなく、過剰にコミットするものでもないと説く。
「国家に楯突くのはよしなさい」と申し上げているのではありません。国家というものは、いくら反国家主義を気取ってみても、抗いようのない一面をもっていると言いたいのです。
それが自分の意に染まないことであっても、ぎりぎりの場面においては覚悟を決める。それが国家と向き合う人間としての心の持ち方だと私は考えます。
幸福論としても読めるし、著者の著作を未読の人は、もちろん、『逝きし~』のエッセンスが詰まっている。ナショナリズムに焦点が当たる今、個人と国家について考えるきっかけにもなるのではないだろうか。