美しい。あまりにも美しい。
淡く雪が降り積もった冬枯れのススキのような針ニッケル鉱。紺碧の星空を荒々しく千切りとったかのような銅藍。黄鉄鉱といったら、まるでそれは大小様々な立方体が体現する数学的な宇宙。
神の御業か、と思えるような造形は、しかし、原子配列の織り成す妙なのである。アンビリーバボー。
地球の岩石のほとんどは、わずか数種類の鉱物からできているという。これら岩石中の鉱物粒子は通常明瞭な外形を持たないが、まれに整った地質学的条件のもと成育されることがある。それが天然形成結晶、一般的に呼ぶところの鉱物だ。
本書は、世界的に優れた鉱物コレクションを誇る北米屈指の博物館、カナダのロイヤル・オンタリオ博物館の収蔵品の中から、260種の鉱物と宝石の400点以上にも及ぶ標本写真が掲載された図鑑である。表紙から始まる写真のあまりの美しさに写真集かと思われるかもしれないが、鉱物学の正統的系統分類に沿って編纂されており、専門的なデータも記載され、図鑑として十分に機能する内容だ。主要な鉱物に付された解説も、データを補完し、読者の興味を引き寄せ飽きさせない。
例えば白鉛鉱。900カラット近い世界最大の標本のまばゆさにうっとりしつつも、化学式、空間群、晶系などの基礎データを確認することもできるし、その特徴や成育環境、名前の由来や主な産地まで知ることもできる。解説を読むことで、人間の体温でさえ損傷を与えてしまうという、それほど熱に敏感な鉱物が、これほどの大きさのカッティングされた標本として現存しているのだ、ということの希少さに気付かされ、また写真に見入ってしまうのである。また緑鉛鉱のページでは、3点の見た目に違う結晶が目を楽しませ、その解説中では世界最大の銀・鉛・亜鉛鉱物鉱床であるブロークンヒル鉱山の鉱体が約18億年前に生成されたものであることが示される。そこで読者は鉱物が経た時間について思い出させられる。
特に嬉しいのは序章である。専門用語や、鉱物の生成過程、構造をコンパクトにわかりやすく解説しており、科学的な理解を助けている。初学者にとって一番理解しづらいのは結晶学ではないかと思うのだが、空間群と結晶系に分けられた解説は図解で易しく、より深く鉱物を学ぶ足がかりとして有用だ。(余談であるが、3000点を超える鉱物、宝石、隕石、岩石が展示され、威容を誇る鉱物ギャラリーだけでなく、ロイヤル・オンタリオ博物館といえば、高円宮ギャラリーと呼ばれる日本関連の常設展示や恐竜の骨格標本が展示されたダイナソーギャラリーで知られている。カナダを訪れることがあればぜひ行ってみたい博物館だ。)
先日、所属する書店で鉱物フェアを開催した。母岩付きのダイヤモンドの原石、黄鉄鉱など、どれもカットしてからもう一度母岩にくっつけたのではないかと思ってしまった。鉱物に無知で恥ずかしい話である。それらは、自身を組成する原子の命令に従ってその美しい姿を成長させてきたのである。成長に適した環境の中で、安定した長い時間をかけて育まれたものなのだ。この激しく変動する地球の地殻の中で守られた大地の奇跡なのである。
人間の歴史にはどの時代にも必ず鉱物がついて回っている。それは宝石として時に権威の象徴となったり、歴史的事件のきっかけとなったり、死者の旅路に付き添うものであったりした。また産物として取引され、時に戦争の引き金をひいた。鉱物は、人間の思惑を載せその時間を刻んだ。しかし、そんな人間の付加した時間はあまりに陳腐だ。美麗な写真の中の鉱物を眺めていると、生物種としての人間の歴史さえ小さなものに思えてくる。この奇跡を生み出した遥かな時間を思いやる贅沢は、なんとも言えない。
不思議だ。鉱物は不思議だ。その美しさを前にしたとき、生成の謎が解き明かされているからといって、神秘を感じる妨げにはならない。その成長する様を想像すれば、地球の、物質の、この世界の力に、圧倒されずにはいられない。