カレーをつくって、旅をするひとたちがいる。
チームは3名。誰も料理のプロはいない、素人のカレー好きである。それぞれに本業がある。
だから、活動するのは3人全員が出そろうときだけである。道具一式を車に積む移動販売を彷彿とさせるキャラバン形式、いまのところ月に1度のペースのようだ。
訪れた先では、シンプルな使命がある。それは「ひとと出会い まちでカレーをつくる」ことである。ただ、それだけである。堅苦しいルールはない。事前に決めておくのは場所くらいで、当日朝、設営をして、街で手に入る材料を探す。昼頃から作りはじめ、夕方に完成し、みんなで食べる。無理に街の人を巻き込みはしない。カレーをつくっている間に、街で見かけた人が噂をし、口コミが広がり、カレーができる時間に自然と列ができる。こんなゆるやかな活動が一冊の本になった。そこで生まれたご当地カレーのレシピ本ではない(材料は書いてあるが、分量は書いていない)、浮き沈みの激しい起業ストーリーや革新的な地域おこしの本でもない。ではでは、いったい何がおもしろいのだろうか、何が書いてある本なのだろうか。
この本のおもしろさはとんでもなく、肩の力が抜けていて、自然に楽しんでいることだ。往々にして、プロジェクトの立ち上がりは最初は楽しく和気あいあいとはじまるのだけれども、継続的な活動を、今風に言えば、サステナブルな事業運営をというお題目がどこからか、生じてくる。そうすると、キャッシュフローがどうしても気になり、ターゲットだ、値付けだ、ビジネスモデルだ、と淡白な話になりがちでなのだ。しかし、本書ではそんなの「赤字でいいじゃん」ということで、いったん突き放している。しかも販売の結果としての赤字でいい、というわけではない。そもそもカレーは無料で配るポリシー、勝手につくって、みんなで食べるのだ。
黒字を目指さない赤字という開き直りの態度は、金持ちの道楽としての社会貢献でもなく、有志による炊き出しやボランティアでもなく、企業にフリーミアムによるマーケティング戦略でもない。目指しているのは知らない街で、カレーを手段に居心地のいい場所をつくること。
著者たちはそれを冗談半分で「赤字モデル」と言っているが、見ず知らずの人が自分の街で無料でカレーを配っているとなれば、誰もが怪しむ。だから、カレーキャラバンのメンバーは、もっともらしい説明が求められるのだが、赤字であることについては、申し訳ないように話していた。しかし、松戸の公園でいつものようにカレーキャラバンをしていたときのこと、活動に興味を持った女性に話かけられ、いつものように説明したところ、「赤字でいいじゃない」と明快に言った。
いい歳した大人が趣味や付き合いで一日カラオケや飲み屋で遊べば、軽く5,000〜6,000円は吹き飛ぶ。それには目的や意味はさほどない。そのお金が50〜60人分のカレーをつくる(材料は一人5,000〜6,000円)という楽しい時間の材料になっただけじゃない。自然なことでしょと。
この発想の転換は行動経済学でいうフレーミング効果の変則的な事例と言えるかもしれない。5,000円で飲み屋やカラオケにいってストレス解消をするか、5,000円で見知らぬ人との偶然の出会いを学び楽しむために、カレーづくりに費やすか。この2つを同じテーブルの上で比較するという発想。カレーキャラバンをボランティア活動や事業と比較するのではなく、楽しみやレジャーと比較することで急に魅力的に見えてくるのである。
この赤字という態度は一例にすぎない。他にも味わいのあるコミュニケーションと居心地のいい場づくりを追い求める中で、著者たちが学んだことが紹介されている。そのすべての底流にあるのは、待ちの姿勢である。一般的なイベントのように意図的に場を仕込み、広報を仕掛けることはしない。参加型のワークショップのように、参加者に積極的なコミットメントを求めない。集まらなくてもがっかりしない。カレーを作っているだけで楽しい、そしてそのプロセスを見て人が集まって調理に参加してくれれば万々歳。そして、カレーはつくる側が没頭して楽しめて、見知らぬ人でもそれぞれにオリジナルの知識があり一言口出ししたくなる、実に参加しやすい調理のプロセスと食べておいしい料理なのだ。
やっていることは穏やかでゆるーいのだけれど、文体は意外なことに堅めで、内容もまじめにまとめられている。それは著者の1人が慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスの教授というまじめな職業だからであろう。専門は社会学、フィールドワークを通じて現場に関与していっていくアプローチをとる。カレーキャラバンでも、タンドール窯を担当しながら、調理場所を定点観測地点と考え、1人のフィールドワーカーとして、街や商店街の動きを観察し、本書にスパイスの効いた視座をもたらしている。批評家ではなく、自らが関与し、現場で起こる暗黙的な事象を鮮やかに言語化している。
楽しさから気軽にスタートしたプロジェクトが、いつの間にか成果を求められ、期待に応えようと躍起になっている人が読むと、ふっと肩の力が抜くことができると思う。そして、気づいていたけど見過ごしていた大切なもの、あんなことやこんなことが再確認できる、はずである。
こちらは一緒に公園をつくる。レビューはこちら。
本書で提案されている”観光”とカレーキャラバンは通じるところがありそう。
それでもやっぱりカレーを極めたくなった人には