意外に思われるかもしれないが、普段の角幡唯介はキリリとしたイケメンである。探検だの冒険だのしている男は、写真がむさくるしいものばかりなので、本人に直接会うと普通さに拍子抜けしてしまうものだが、角幡の場合はその度合いが大きい。
そのギャップにやられるのか、実は女性ファンが多いのだ。山男というイメージはまじめで素朴、ちょっと変わり者だけど、そこがまたいい。確かに角幡を見るとそういう感じがする。非常時に自分を守ってくれそう。女はそういう男に弱い。
だが、ちょっと待て。探検だの冒険だの危険なことを好んでするような男を信用して大丈夫なのか?昔から「山男には惚れるな」と歌にも歌われているではないか。
ノンフィクション作家と同時に探検家の肩書を持つ角幡唯介は2010年『空白の五マイルーチベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(2012年 集英社文庫)で第8回開高健ノンフィクション賞を受賞してデビューした。ノンフィクションと冒険は相性がいいが、この作品は手に汗握る冒険譚であった。まるで大航海時代の冒険家が成し遂げたような物語、正直、イマドキこんなことをする人が本当にいるのだ、と驚き呆れつつ、途方もない挑戦を楽しんだ。後半はかなり無謀で無計画。生きて帰ってきたからいいようなものの、こんな男を恋人に持ったら心配で胸が張り裂けてしまうだろう。
このデビュー作が第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞も射止めてしまう。ノンフィクション作家、いやすべての物書きがうらやむような滑り出しである。
そのうえ翌年上梓した『雪男は向こうからやってきた』(2013年 集英社文庫)は第31回新田次郎文学賞を受賞した。内容の面白さに加え、構成力や文章のうまさも定評となった。
そしてノンフィクション作品としては3作目が本書『アグルーカの行方ー129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』である。19世紀の半ば、北極圏で行方不明となったイギリス人、ジョン・フランクリンが率いた探検隊129名は消息を絶ち、その足取りは未だ正確には判明していない。角幡は友人の荻田泰永とともに、徒歩でフランクリンたちの跡をたどっていった。冒険ノンフィクションのお手本のような作品だが、相変わらずの無謀ぶり。でも文句なしに面白かった、と人に勧めていたら第35回講談社ノンフィクション賞を受賞した。ノンフィクション作品に与えられる賞は少ないのだが、ほぼすべてを手にしたことになる。
1845年、ジョン・フランクリン率いる北西航路探検隊は129人の隊員と3年分の食料を二隻の軍艦に乗せロンドン近郊の港を出港する。隊長のフランクリンはこの時すでに59歳で本国では英雄であった。それは1819年から22年にかけて行った探検で極限の飢餓から生還したためだ。なんと「靴を食った男」と呼ばれ、探検家として確固たる地位を築き、ナイトの爵位まで受けていた。
彼が北極圏に赴いたのは北西航路の探査である。ヨーロッパが中国との貿易を結ぶため、北米大陸を北から回り込む航路は15世紀末から熱望されていた。調査はこの当時、北極沿岸の未踏部分500キロメートル足らずを残すのみになっていた。この遠征が成功すればアジアとの貿易の大きな足掛かりになる。人々の期待を一身に背負った大部隊であったのだ。しかしこの年にメルヴィル湾沿岸で捕鯨船に目撃されたのを最後に行方不明となった。探検隊を派遣した英国海軍が探索隊を次々に派遣したが、手がかりは見つからなかったという。
この物語を知り、角幡はその跡を辿ることを思いつく。実際に同じルートを歩いてみよう。極地探検の経験がない角幡は、反対に極地しか探検したことのない、珍しい探検家に声をかけた。それが「北極バカ」の荻田秦永である。荻田の著書『北極男』(2013年 講談社)にはこの旅のきっかけが書かれている。
自身でも探検を行うノンフィクション作家の角幡にとって、フランクリン隊のエピソードは魅力的に映ったようだった。彼らが辿ったであろう道のりを実際に自分の足で歩き、フランクリン隊一行が極限状態の中でいかに生き長らえようとしたのか。いかに死んでいったのか。その風景を自分の目で見て感じてみたいと話していた。
「来年さ、もし北極点に挑戦できないようだったら、一緒に歩かない?」新宿の手羽先屋で角幡から誘いを受けた僕は、2011年は単独行を断念し、彼と二人でフランクリン隊の足跡を追うことにした。
どこかの時点でフランクリン隊は、キングウイリアム島沿岸で氷に閉じ込められ船が動かなくなった。橇に食料やテントを積みこんで南へ向かったものと思われる。氷の上を歩き続ける。それが角幡と荻田の行うすべてであるといっても過言ではないだろう。乱氷という氷の壁を重い橇を引いて越えていく様子は本書の読みどころのひとつである。
橇を引いて人力で移動する。当然のことだが腹が減る。それもハンパな空腹感ではなかったらしい。本書のもうひとつの読みどころはそこにある。絶えず襲ってくる飢餓感は危険な敵である北極熊でさえ食料に見えてくるほどになった。食料を手に入れること、それは生存本能である。そしてメスの麝香牛を殺し、肉を得る。命を狩るとはどういうことか。フランクリン隊ではあまりに飢餓感に死んだ仲間の肉を食べた後が残されていた。生き残るためにできることは何か。それは「食う」ことに他ならない。
フランクリン隊の探索はいろいろな人によって行われており、イヌイットたちの目撃談も多い。生き残った人たちの終焉の地も、大よそここであろうと特定されている。北米大陸のアデレード半島にある「餓死の入江」と呼ばれる場所だ。この不吉な名前はこの場所でフランクリン隊の多くの遺体が見つかったことによって名付けられた。隊員たちの多くは彷徨った果てに疲れ動けなくなり、死んでいった。大地に点々の残る遺体や遺品が凄惨な最期を告げていたようだ。角幡たちもその跡を踏みしめ、60日間をかけてジョアヘブンという地にたどり着いた。
しかし本当に「餓死の入り江」でフランクリン隊は全滅したのだろうか。
本書のタイトルである「アグルーカ」とはイヌイット語で「大股で歩く男」を意味する。ヨーロッパから探検に来た男で「アグルーカ」と呼ばれたのは何人かいた。フランクリン隊の副官、フランシス・クロージャーもそのひとりであった。フランクリン隊の消息はイヌイットたちには広く知られていたようだ。もしかすると「餓死の入江」よりもっと先まで、彼らは進んでいたのではないだろうか。
この疑問の答えを見つけるため、角幡たちは新たな旅に出る。前半のフランクリン隊の跡を追う話より、ここからが本当の探検になる。やはり人の作った道を辿るより、新たに道を拓くことこそ冒険だ。そこから垣間見えるひとつの事実。本書の白眉である。
第35回講談社ノンフィクション賞は、同じ早稲田大学の探検部出身で先輩である高野秀行が『謎の独立国家ソマリランド』(2013年 本の雑誌社)でも受賞した。同時受賞を記念して出された対談集『地図のない場所で眠りたい』(2014年 講談社)では、幼いころから好きだったことや、探検部入部動機、物書きになると決めた理由など、本音で語りつくしている。
この本の中で高野はこの作品をこう褒めている。
俺が腑に落ちたというのは、角幡の文章の構成のうまさなんだよ。ミステリーでいうと叙述トリックというやつで、角幡は謎の小手を知っている。(中略)でも、それが出さない。読者には最初から見せないで話を作っていくという構成は、叙述トリックのやり方だと思うんだよ。それがすごく読者を引っ張るんだよね。
選考会でもこの作品は選考委員全員がA評価を付けた。小説家の高村薫は、角幡という人はおそらく、人間的にも、探検家としても、あるいは文章家としても大変優れていると思うが、それが整いすぎているという印象を持つ、と語る。
そして本人は受賞の言葉で、多くの準備をし、思い通りにかけたこの作品ではあるが、と前置きをしたうえで
執筆後に私を悩ませたのはノンフィクションライターが作品化の影響を受けずに旅という行為を成り立たせることは可能なのだろうかという疑問だった。(中略)旅とは本来、絵を描く私自身がどのような結果になるのかわからない、そういうものでなければならないはずだ。
結末が見えない旅をしたい、それが探検であったはすだ。『アグルーカの行方』は計画した通り、思い描いた旅ができ、作品も高い完成度で書けた。それが不満であるという。
では、このあと、角幡はどのような経験をし、何を書いていくのだろうか。
答えになっていないかもしれないが、私には引っかかっていることがあった。フランクリン隊の後を追って旅をした作品を読んだ記憶があったのだ。今回、解説を書くに当たり、昔の読書記録を引っ張り出した。
2001年に翻訳されたウィリアム・T・ヴォルマン『ザ・ライフルズ』(国書刊行会)。サラエボやアフガニスタンを取材しながら北米大陸の歴史シリーズを描いている作家である。『ザ・ライフルズ』はフランクリン隊が氷原を彷徨う姿と、ケベック州のイヌイットの姿を対比させた幻想的な文学作品なのだが、角幡の思い描く時代背景と非常によく似ている。角幡は、小説を書くつもりはない、と高野に語っているが、どこかで大きく舵を切る可能性を感じた。『アグルーカの行方』はその変曲点になる特別な作品なのかもしれない。10年後、角幡唯介は何を書いているだろうか。