いよいよ本日発売! 待望の小林凛くん2冊目の本。(過去記事はこちら 第1回、第2回)
本に掲載された俳句を紹介しながらの科博見学レポートも、最終回。ハイライト、特別展「太古の哺乳類展」を見る!
最古の哺乳類は恐竜とほぼ同じ約2億2000万年前、地球上に現れたと言われている。今回の特別展は、1億2000万年前から1万年前まで日本に生息し、絶滅した哺乳類たちが紹介されている。
無花果を割るや歴史の広がりて
ひと言で「哺乳類」と言っても、ネズミのように小さなものから巨大なゾウまで、多種多様。ゾウやサイの生息地=アフリカなどを思い浮かべてしまうが、かつてはこの日本にも、彼らのような大型哺乳類がのし歩いていた。
しかし、日本列島がほぼ現在の形になったのは、およそ1500万年前。つまり、日本がまだ大陸の一部だった時代に生きていたものも多く含まれる。
入口を入ってすぐ、ネズミのような小さな顎と歯の化石が6種類、展示されている。これらは中生代の後期にあたる白亜紀(1億4500万年~6600万年前)のもの。日本では中生代の哺乳類化石が少なく、初めて見つかったのが1992年というから研究の歴史も浅い。今までに6種類が見つかっており、今回の展示でそれが一堂に会した。
「日本は土壌が酸性だから、化石が残りにくいんです。それも、歯など丈夫なところだけが残っています」と、案内してくださっている科博の折原守理事。
それにしても……小さい。歯の大きさが、米粒より小さなものもある。「こんなに小さな化石、よく見つけましたねえ」「何かの歯が地中から出てきても、それが貴重な化石だなんて、思いもしないことだってあるでしょう」と、成毛はじめ、一同感心の声。ほんとうに、1億年以上もの間よく残っていたし、よく見つけたものだと、つくづく思う。
枯野原踏みて歳月数えけり
恐竜が絶滅して中生代が終わると、哺乳類繁栄の時代・新生代(6600万年前~現在)がやってくる。「新生代」という名も、「新しい生物の時代」を意味している。
今回展示されている大型哺乳類化石のなかでも世界に誇れる貴重なものが、デスモスチルス類のパレオパラドキシア。カバのような容姿のこの動物、「パレオは『古代の』パラドキシアは『めずらしい動物』という意味です」と折原理事。
デスモスチルス類(束柱類)はゾウ類やカイギュウ類に近い仲間で、すでに絶滅。陸上を歩くよりも海岸付近での回遊を主とした生活様式だったと推定されている。足の先がヒレを思わせる形なのは、泳ぎに適した形状だからか。日本では北海道を中心に島根県まで約50か所から発見され、太古日本を代表する動物だったと言えそうだ。
そして、太古日本の獣としてはずせないのは、教科書でもおなじみのナウマンゾウだろう。34万年前の氷期、日本が大陸と地続きになったときに渡ってきて繁栄した。
ほかにも530万年前ごろに渡ってきたツンダースキゾウを祖先に、日本で進化していったとされるハチオウジゾウ、それがさらに進化して小型化したアケボノゾウなど、日本におけるゾウの系譜も見ることができる。
ナウマンゾウと時を同じくして、日本にヒョウやバイソンが生息していた時期もある。折原理事がハナイズミモリウシの化石の前で「これは氷河期の頃日本にいたバイソンの仲間で……」と解説してくださっていたとき、
成毛「これ、うまそうですね」
ええええええ!? 一同、びっくり。動物の化石を見て「うまそうか」なんて考えたこともなかった。きっとこのHONZ代表は、北京原人やクロマニョン人として大昔に生を受けていても、喰いっぱぐれることはなかっただろう……。
そして特別展のもうひとつのお楽しみが、ミュージアムショップ。常設のショップも充実しているが、特別展でしか買えないグッズも目白押し!
凛くんは、恐竜イラストつきの箱に入った石をほしそうに手にとっている。「それは何?」と声をかけると、「恐竜の胃石。恐竜は石を飲み込んで、胃のなかで草を消化するときの助けにしたみたいで、化石と一緒によくこの胃石も見つかるんだって」
すると横から、お母さんのツッコミが。「凛、めちゃめちゃ食べるようになったんですよ。5年生から6年生の間にすごく背も伸びて。凛も胃石が必要なんちゃう?」
あはは、成長期の男の子の食欲って半端ないからな~。そのやりとりを聞いて、想像せずにはいられない。きっとつらい不登校の間もこうして、凛くんが何かするとお母さんが関西人らしいツッコミを入れて、それに凛くんが即興俳句で答えたりして、一緒に笑って。そうやって、おばあさんや先年亡くなられたおじいさんも一緒に、肩を寄せあってがんばってきたんだろうな、と。家族の日常を詠んだ俳句からも、あたたかい家庭の様が目に浮かぶ。
団栗に目鼻を書けば母に似て
誰よりも祖母が食べたる柏餅
亡き祖父と薔薇を通して話しけり
どれほど才能に恵まれていても、それを豊かに伸ばし育ててくれる土壌がなければ、花を咲かせるのは難しい。
「お昼ご飯よりも展示を見たい」という凛くんの希望で、残りの時間は地球館常設展示を見る。
1階「系統広場」は、細菌からヒトまで、実物標本や模型、映像など、圧倒的な数の生き物たちがおさまった陳列ケースにぐるりと囲まれて、見ごたえ抜群。
地球館常設展のなかでも恐竜と並んで人気があるのは、「大地を駆ける生命」と題された野生動物たちの剥製群。その多くは、ハワイの実業家で日系二世だったワトソン・T・ヨシモト氏から寄贈されたもの。
(ちょうど2014年10月15日~2015年1月18日まで、企画展示「ヨシモトコレクションの世界」が行われる。大工見習から身を起こし、家族の食糧にするため狩猟を始めたというヨシモト氏とは、いかなる人物か? なぜこの科博に寄贈されたのか? これは興味深い!)
折原理事が「凛くん、ここにパンダがいるよ!」やっぱりパンダは人気者。その剥製を前に、
成毛「パンダ、喰ったらうまそうだな」
地球館2階「科学と技術の歩み」では、小惑星イトカワから微粒子の持ち帰りに成功して話題になった小惑星探査機「はやぶさ」の模型も展示されている。折原理事が「イトカワから持ち帰った微粒子が、ここで見られるよ」と言ったとたん、凛くんは「え、見られるんですか!」と顕微鏡にダッシュし、順番待ち中もそわそわ。
冬銀河希望すること忘れざる
そして最後は、常設展「恐竜の謎を探る」。ディノニクスは串刺し状態で360度回転し、好きな角度から観察できる。
冬瓜や巨大な卵ジュラ紀見ゆ
(※今回の見学のあと、科博は一部改修工事に入りました。「恐竜の謎を探る」はじめ、現在公開されていない展示があります。また、特別展「太古の哺乳類展」は10月5日まで。展示内容は事前にご確認のうえ、お出かけください。みなさんも、どうぞ、楽しい見学を!)
さて、こうして駆け足で一連の展示を見て、最後に版元のブックマン社さんからわたしも新刊見本刷をいただいた。その場で書いてくれた凛くんのサインには、アリのイラストが添えられていた。触角やお尻の形など、普段から観察していないと、とっさにこうは描けない。
蟻の道シルクロードのごと続く
お忙しいなかずっと付き添ってにこやかに解説してくださった折原理事、展示内容への質問や資料の希望を丁寧にフォローしてくださった重道先生、今日はご案内くださって、ありがとうございました!
科博の玄関前で、凛くんに聞いてみた。「いちばん印象的だったの、何だった?」
凛くんは少し考えて、「骨」
「何の骨?」
「全部!」
元気よく答えてくれたのを聞いて、みんな笑顔になる。駅へ向かって歩き、別れ際に改札前で立ち止まり、ちょっと沈黙して、凛くんがここで一句。
化石展太古の叫び響く秋
凛くん、にっこり。そうかー。たくさんの化石を見たけれど、凛くんにはただの骨じゃない、太古の獣たちが生きて、歩いている姿が見えていた。大昔に滅んだ獣たちの吠えている声が聞こえて、きっと、そこに吹く風や大地を濡らす雨、広がる太古の森までも、たぶん感じていた。
やさしさと強い感受性ゆえに、苦しいこともあるかもしれない。でも、これからも健やかに、その才能を伸ばしていってほしい。どうか周りもそれを許してあげてほしい。心から願って、改札の中に消えていく凛くんたちを見送った。
―ーその晩の成毛眞Facebookには、こんな一文が。
それにしてもボクが日野原先生の年齢に追いつくまであと43年。そのとき凛くんは55才。なんだか楽しくなってきましたよ。ぜんぜんOKじゃん!
一緒にいる人たちをハッピーにしてくれる凛くんが、なぜ壮絶ないじめを受けなければならなかったのか、わからない。中学生になって、どうなったのか。ここから先は、新刊を予備知識なく味わいたいかたには、読まないでいただきたい。新刊『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』で紹介された、その後の凛くんについて少しばかりふれたいからだ。
博物館を見学中、少し迷ったけれど、やはり気になってお母さんに聞いてみた。「あの、凛くん、今、学校は……」「はい、今は……、楽しく行っています」よかったあああああああー。
しかし、家に帰って、いただいた新刊を読み、胸が締め付けられるような気持ちになった。単に中学校に進学して、いじめが止んだわけではなかった。中学受験をして遠距離通学をして、大変な思いでいじめから逃れようとした凛くんを、またもや苦難が襲う。中学の新しい制服を着たときの希望に満ちた俳句と、入学後しばらくして詠んだ失意の俳句との落差が、ただただ、つらい。
革靴の黒光りしておらが春
天国の雲より落ちて春の暮
それでも、もう、凛くんもお母さんも、不登校の道は選ばなかった。苦難を乗り越えて強くなり、いじめから身を守る方法をしっかりと身につけていたのだ。『冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに』には、現在の学校生活に至るまでの、お母さんの手記が載せられている。
また、凛くんが6年生のころ、三重県松坂市にある小野江小学校に招かれて一緒に授業を受けた体験が、「涙腺が空になった日」と題された凛くん自身の手記と俳句、そして小野江小学校の生徒たちの手紙で紹介されている。前著では見られなかった、凛くんの心の底からの笑顔の写真。教室で同じ年齢の子どもたちに囲まれて楽しそうに談笑する姿。凛くんは、居場所を見つけた! この日のことはきっとこれから先もずっと、凛くんを支えてくれるに違いない。
冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに
苦しいときも、凛くんには俳句があった。わたしには、何があるだろう? わからないけれど、なんの取り柄もないいじめられっ子だった自分でも、大人になったいま友達には恵まれていると心から言える。子どもの頃には、友達に囲まれて笑っている自分なんて想像もできなかったのに。
いじめを受けている人、かつていじめに苦しんだ人、一人でも多くの人に、この凛くんの俳句に出会ってほしい。心から願います。
行く年や良きも悪しきも懐かしき
小林凛くんの2冊目の本、本日発売!