簡単に子どもに対して天才という称号を与えるのはいかがなことかと思う。大人からの過大な賛辞や期待は子どもの成長にとっていかなる負担になるものかとも思う。しかし、少なくとも自分には今もってこのような才能を見いだせない。
2013年5月に投稿され、大きな反響を呼んだ成毛眞のレビュー。『ランドセル俳人の五・七・五』は当時12歳だった小林凛くんが、小学校で命に関わる壮絶ないじめを受けて不登校に追い込まれながらも、瑞々しい感性と人や生き物へのやさしいまなざしで心を打つ俳句を詠みつづけた、その記録であった。
あれから1年以上の時がたち、凛くんは中学生になった。そして、ここで大ニュース!! 来る9月19日、待望の2冊目の本が刊行されることに!!
他者への思いやりに満ちた純粋な視点はそのままに、もう一段深く広がりをもった俳句の数々。子どもから大人になってゆく、凛くんの成長ぶりを感じさせてくれる。加えて、前著に推薦文を書いてくださった聖路加国際病院の日野原重明先生と俳句を詠みあう往復書簡や、『ランドセル俳人の五・七・五』を読んで全国から届いた応援俳句なども掲載され、とても読みごたえのある一冊となった。
蒲公英や試練乗り越え一斉に
苦しい時を経て、俳句にいきいきと描かれる自然への鋭い観察眼は、凛くんをサイエンスへの深い関心へと誘っていた。大阪で暮らす凛くんとお母さんが夏休みを利用して東京へ来ることになったのを機に、国立科学博物館を見学しよう!ということになったのは、至極当然のことだった。
今回の活動記では、凛くんの著書2冊から折々に俳句を紹介しながら、全3回に渡って博物館見学の様子をレポートします!
携帯の音かき消して蝉しぐれ
小雨降るなか、アブラゼミとミンミンゼミが鳴いている。ここは、東京・上野にある国立科学博物館(以下、科博)の通用口。今回の見学は、凛くんとお母さんを、科博の折原守理事と鳥取県の中学から1年間の研修に来ている重道先生がご案内くださる。そこにHONZ代表の成毛眞、凛くんファンの私・塩田も同行させていただく。
が、なんと!初対面の凛くんは、小柄な私やお母さんと同じくらいの身長になっていた! 顔つきも、「子ども」というより「若者」。親戚の子がしばらく会わないうちにすっかり大きくなってえ~、と、感慨深いおばちゃんのような気持ちになる。
凛凛と一三歳の夏来る
今日は常設展の一部と特別展「太古の哺乳類展――日本の化石でたどる進化と絶滅」を見学することになっている。わくわく。
展示を見る前に、まずは少しだけ科博の歴史や概要について、折原理事からレクチャーしていただく。
科博は、明治10年(1877年)に教育博物館として創立された。「国立科学博物館」は、じつはここ上野だけではない。上野の本館と、港区にある付属自然教育園と、調査研究を主とした筑波地区、3つの施設の総称である。
上野には、「地球生命史と人類」をテーマにした地球館と、「日本列島の自然と私たち」をテーマにした日本館がある。日本館が建ったのは昭和6年(1931年)。現在は重要文化財に指定されているこの建物、上から見ると、当時の最先端科学の象徴だった飛行機の形になっているそうだ。何度も来ているけど知らなかったー。建物自体が、まさに「博物館級」。
上野本館で展示されている収蔵品は、約1万5000点。だが、ゆっくり見ようと思ったら軽く3日間くらいはかかってしまいそうな上野の展示物も、じつは科博のもつ貴重な収蔵品の、ごくごく一部に過ぎない。多くは筑波の収蔵庫で保管されているそうだ。なんとその数、約420万点!
では、ほかの美術館や博物館とは違う、科博に収蔵されているものの特徴は何か? それは、博物館の職員自らが調査して、採りに行ったものが大半を占めるということだ。化石や鉱物、生物標本しかり。収蔵品の数からして、わたしたちが目にする展示の裏で、長年にわたりどれほど膨大な調査研究が蓄積され、今も行われていているかが、うかがい知れる。まさに日本における基礎研究の殿堂であり、未来への遺産である。
無花果を割れば無数の未来あり
さて、それではいよいよ、展示を見にGO!
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