『無敵の天才たち』あの夢のような15年間は戻ってはこないのだ

2014年9月3日 印刷向け表示
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著者のダグ・メネズは1957年テキサス州生まれ。 1981年にはサンフランシスコ州立大学でフォトジャーナリズムの学位を取得した。 IBM-PCが発売された年である。パソコンがマニアの遊び道具から本格的なマシンへと変貌した年だ。

メネズはいまでもTIME、Newsweek、LIFEなどにフリーランスの写真家として報道写真を提供しつづけているという。これまでにもエチオピア飢饉やアマゾン流域、オリンピックや大統領選挙などの現場で活躍した経験がある。

スティーブ・ジョブズ

なかでも長く関わったのはシリコンバレーという現場であった。 1985年から2000年にかけてシリコンバレーを訪れては25万枚もの写真を撮影した。撮影にあたっては映像人類学の視点から、人物や背景だけでなく、書類や黒板などに書かれた文字も人類史的な記録として残している。本書はその記録の一部を写真集にまとめたものである。

プロが使える本格的な一眼レフのデジカメをニコンが発売したのは1999年のことだ。したがって、本書に掲載されている写真はすべてモノクロのネガフィルムに記録されたものである。シリコンバレーの黎明期はアナログとデジタルが混在していた時代でもあったのだ。

ところで、社会学や経営学、技術史などの学術研究資料として価値があると評価されたメネズの画像記録は、スタンフォード大学図書館がダグ・メネズ・フォトグラフィー・コレクションとして収蔵した。今後、80年代から90年代にかけてのシリコンバレーの研究に使われるかもしれない。

当時のシリコンバレーがまったく新しい独特な文化を創りだしていたことに疑う余地はない。ライフスタイル、服装、価値観など、空前絶後のユニークさだった。ブラック企業なみの長時間労働。のちにストックオプション依存になる報酬体系。苛烈な企業間競争と開けっぴろげで自由な人的交流。西海岸のヒッピー文化を背景にしながら、世界中から天才たちを誘引するその魅力とは、新しいものを生み出すためのパワーそのものだった。

本書のタイトルが『無敵の天才たち』となっているのは、そのパワーの源泉を生み出す連中のことだ。すなわち、スティーヴ・ジョブズ、ビル・ゲイツなどの面々である。奇しくもこの二人は1955年生まれの同い年。著者は自分の人生を重ねあわせながら取材していたことであろう。あの時にシリコンバレーが発するワクワク感は、著者が取材したことのある北極点への冒険のそれと比肩できるものだったに違いない。

本書に登場する会社は順に、NEXT、Adobe、Apple、Microsoft、Autodesk、Intelなど多彩である。 1985年にAppleを追い出されたジョブズがNEXTという会社を立ち上げたところから始まるのだが、気まぐれで気むずかしいジョブズが社内での撮影を許可したがゆえに、ダグ・メネズは他社での取材も許されたらしい。 NEXTの成功を信じて疑わなかったジョブズにとってみると、勝利宣言をする日のための写真を用意しているつもりだったのかもしれないが、それがいまになってはシリコンバレーそのものの記録となったのだ。

ロス・ペローがスティーブ・ジョブズに2000万ドル渡した日
(カリフォルニア州フレモント、1986年)

それにしても、どの写真を見ても鼻の奥にツンとしたものが走る。懐かしいというよりも、自分がそこにタイムトリップしたような感覚に包まれる。モノクロ写真であるがゆえに、Microsoftのカーペットはモスグリーンなどという、カンパニーカラーを意識することなく、抽象的な存在としてのシリコンバレーがそこにあるのだ。

一面にカーペットが敷かれた個室で床にへたり込んで食べていたチャイニーズフード。椅子の上にしゃがみこんで電話するスタイル。「Please donot disturb」と手書きで書かれたコピー用紙の張り紙。休暇を取っている同僚の部屋にうずたかく積まれたシュレッダークズ。廊下に座る子どもと犬と自転車。チノパンとポロシャツとローファー。

ウォズ(カリフォルニア州サンフランシスコ、1991年)

すべて実際に見た光景である。会社と場所と日時は違っても、すべて実際に見たと断言してもよい。それほどまでに当時のシリコンバレーはひとつの文化を形成していたのだ。シリコンバレーの一員として選ばれたことの誇りや、将来受け取れるかもしれないストックオプションの魅力などは二の次だった。なによりも毎日楽しくて仕方がない時間を敵味方問わず共有できることが幸せだった。それこそがシリコンバレーだった。そんな雰囲気が写真のなかから伝わってくる。

カート・アンダーソンが言っているように、1995年まではIPOやマネタイズなどという言葉や概念は一般的ではなかった。その年にネットスケープがIPOし、1年もたたないうちに時価総額が100倍以上に跳ね上がり、それ以来シリコンバレーは自分たちと金融界のためのキャッシュカウとなったのだ。もう、経営者も社員も無邪気ではいられなくなった。いったんIPOすると、大人らしく振る舞うことが要求された。

あの夢のような1980年から1995年の15年間は戻ってはこないのだ。やはりもう戻って来てはくれないジョブズから、いまもなお学ぶことができるように、本書に描かれた15年間からもなにかを学ぶことができるのかもしれない。

Stay Hungry,Stay Foolish

(『無敵の天才たち』特別寄稿文より。画像も編集部の許可を得て本書より転載)
 

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