「四大文明」という言葉、文明のとらえ方は日本独自のものだという。エジプト、メソポタミア、中国、インダスという旧大陸の大河流域に興った一次文明(何もないところから生まれた文明)をまとめて指すこの概念は、1952年に高校世界史の教科書に登場したことから普及し始めた。この奇妙で誤った「四大文明史観」では世界史を正しく理解することはできない、と本書は説く。なぜなら、新大陸においてもマヤ、アステカという独自の文明が発達しており、その存在を無視して文明の興りを議論することはできないからだ。
本書は、考古学や歴史学などの文系専門家と年代測定や古環境科学などの理系専門家が学問の垣根を超えて共同研究を行った、文部科学省科学研究費プロジェクト「環太平洋の環境文明史」の成果をまとめたものである。文理融合型の研究であるがゆえにその対象範囲は広く、古代文明の謎を解き明かすために最新科学がどのように活用されているか、古代アメリカ大陸でどのような文明が花開いていたか、琉球列島が世界史的にどれほど稀有な存在であるか、様々な角度から驚きを与えてくれる。
第1章「環太平洋の環境史を調査する」では、科学者たちがどのような手がかりを用いて過去を再現しているかが丁寧に説明されている。古環境を再現するためには、極域の氷床やサンゴなども用いられるが、古代の人々が暮らした陸域での環境を知るために最も有用なのは、湖沼の堆積物と樹木の年輪である。特に、植物の種子や大気エアロゾル粒子、火山灰などが含まれる湖沼堆積物には非常に多くの情報が含まれる。人類生存圏の近くに存在する湖沼の堆積物からは、過去の人間活動に関する一次情報を得ることすらできるのだ。
この第1章では、放射性炭素年代測定に使われる試料がどのようなもので、その試料の獲得が実際のフィールドでどのように行われるかが解説されており、考古学で取り扱われる年代がどのような意味を持つのかを明確にしてくれる。この第1章における導入が、第2章以降で示される、マヤ、アンデス、琉球の古代文明に関する最新研究成果を理解する助けとなっている。本書を読み終える頃には、過去には今後の人類が進むべき道を示すヒントがたくさんあることを実感するはずだ。
「謎の文明」として語られることも多いマヤ文明だが、マヤ文字の解読が進むことで社会階層に対する理解も深まり、数万人の人口を擁した都市の姿も明らかになるなど、「謎の文明」という呼び名は当てはまらなくなってきている。マヤ文明には文字や都市の存在、貧富の差など「四大文明」との共通点も多々あるが、何より興味をそそるのはその独自性である。マヤ文明には鉄器や大型家畜が存在せず、統一王国ではなく諸王国のネットワークに基づいていたのだ。これは、我々が想像する「古代文明」とは一味違うものではないだろうか。
今回の研究は、この諸王国によるネットワークがマヤ文明を2000年近くも継続させるキーポイントであったことを示唆している。「9世紀に突如崩壊した」と語られることもあるマヤ文明は、幾度かの衰退を経験しながらも完全に滅び去ることはなかったのだ。本書ではマヤ文明のしなやかさの要因を以下のように考察している。
マヤ地域には巨大な統一王国がなく、多様な王国が共存したために、マヤ文明全体が崩壊することはなかった。(中略)生物多様性の保全が重要であるのと同様に、多様性を保つことが、マヤ文明のレジリアンス(回復力)を高めた。これは、画一化する現代社会がマヤ文明を学ぶ今日的意義の一つといえよう。
ナスカの地上絵で知られるアンデス文明も、最新研究成果が描き出す姿と一般のイメージには大きな乖離がある。例えば、「ナスカの地上絵は地上からは何が描いてあるかわからない」というのは、事実に反する。著者らはすべての地上絵を調査し、「地上で判別できないような地上絵は1点もない。」と結論づけている。
過去のアンデス文明をより正確に再現するために著者らは、現在ナスカ台地周辺で農業を行う現地の人々に民俗学調査を行っている。過去の遺跡や試料だけではなく、現代に連なる人々の生活習慣や風習にも古代再生のためのヒントは隠されているのである。星の輝き具合と食物の収穫量の関係や代々伝わる雨乞いの儀式を、古環境とあわせて考察すれば、意外な事実が浮かび上がってくる。
最後に取り上げられる琉球列島は、世界史的に見てもユニークな島であるといえる。それは、旧石器時代(約5万~1万年前ごろ)にヒトが存在したからだ。琉球列島には1万年前ごろのヒトの居住を示す遺跡が報告されているが、同時代にヒトが存在した島は世界でも10~20程度しか知られていない。世界のあらゆる場所に進出した狩猟採集民としての人類も、島への植民は苦労していたのだ。
植民の困難さは島のサイズに起因する。人類が人口を維持していくためには250~500人の集団が必要だが、1700平方キロ以下のサイズの島ではこの人数を養うだけの環境を提供できないと考えられてきたのだ(琉球列島で最も大きな沖縄本島でも1200平方キロ)。大陸や大きな島も近くになく、大型海獣も採れない琉球列島でヒトは何を食べていたのか、どのように文明を発展させていったのか、本書は多くの謎に答えを出してくれる。「奄美・沖縄諸島において人間活動による絶滅動物は現時点において確認されていない」という琉球の姿に、ぜひ本書で触れてほしい。
「文系でもない、理系でもない」取り組みによって、過去はどんどん鮮明になってきている。過去をつぶさに観察していく過程で、21世紀を生きる我々の常識は大きく揺さぶられる。失われた過去に、よりよい未来が眠っているかもしれない。
文字を残さなかったインダス文明についても、近年次々と多くのことが明らかになってきている。インダス文明は大河にその基礎をおいていなかった、というのはかなりの驚きだ。レビューはこちら。
古代へ情熱を捧げたシュリーマンが発見したトロイアの本当の姿が明らかになる。この本を読むときっとアナトリア遺跡に行ってみたくなる。レビューはこちら。
成毛眞(今のところ)オールタイムベスト10不動の一冊。長期的な気候変動のメカニズムをしっかり解説する、本格的サイエンスノンフィクション。成毛眞のレビューはこちら。