先日、たまたまEXILEのドキュメント番組を見ていたら、変化し続けるEXILEについて、秋元康が興味深い発言をしていた。
根っこがあってブレない部分を持っている人達だけが、変わることを許される。
この「変わることを許される」という発言に、思わず耳を奪われた。変わることが出来るかどうかというのは「意志」の問題ではなく、そのための素地が存在しうるかという「状態」の問題が大きいと言っているようにも聞こえた。
ここに現代社会における、新たな格差が垣間見える。それまでに築きあげた蓄積の総量だけではなく、その時点でどのような状態にあるか。そこに変化するための前提を築けたものだけが、「Love, Dream, Happiness」を謳うことが出来るのだ。
本書の問題意識も、同じようなところに端を発しているのではないかと推察する。一見、自己啓発書のような体裁で作られているのだが、そこがミソ。個人が変わろうと努めることは必要条件であるが、十分条件にはあらず。その前に、まずやらねばならぬことがあるようだ。
変化が目まぐるしく、格差の大きい時代である。自己研鑚に励もうと考えるのも、当然のことだろう。だが、英語やら金融の知識やらといった類のものはあくまでも戦術に過ぎず、もっと中長期的な戦略レベルで考えていく必要があるのだ。そんな時代における格差の正体を、総透明社会というキーワードから、紐解いていく。
かつて会社組織に代表される中間共同体が機能していた時代は、ある意味気楽な時代でもあったのだ。しがらみもあるが、セーフティネットもあるという「情の世界」が、当たり前のように整備されていたからである。だが昨今、その存在感が薄れるにつれ、セーフティネットもまた見えづらくなってきてしまった。
総透明社会と言えば、「監視社会」のようなリスクを想起される方も多いかもしれないが、その逆方向の「黙殺社会」のようなものを想定しているところが、本書のユニークな点である。たとえば、個人情報が足切り用途に使われたりすると、広告のような情報ですら選別されるようになり、企業から無視され、黙殺されてしまう可能性もあるのだという。
本書ではそんな時代にどのように生存戦略を立てるべきかという、具体的な処方箋が書かれている。一つは、自発的に表現をすることによって「この人は価値のあることを書いてるなぁ」と思ってもらうこと。そして、それらの行為を通じて、「弱いつながり」を構築していくということである。
「弱いつながり」の価値とは、その非対称な性質が新たな価値を生み出す点にある。見知らぬ相手とでも個別にコミュニケーションを取り、ハイコンテキストな仕組みが成立すれば、それは十分にセーフティネットの機能を果たせる。今まで立脚していた基盤が変動性に移行したことに気付き、パラメーターと設定することによって初めて、部分最適は全体最適に直結するのだ。
さらに、そこで重要になってくるのが「善い人である」ことであり、それこそが最強の生存戦略になるのだという。おのずと解決策が一時的なアクションではなく、継続的な「状態」をどのように維持するかという「形容詞的」な内容になっている点は、非常に興味深かった。
「情」の受け皿があってこそ、チャレンジングに「理」へ立ち向かっていくことが出来る。これを比較的年配の人にも伝わるように書いている点も、意義深いと感じる。強い絆の中で生きてきた人、情の効能をよく分かっている世代の人こそ、変革をリードしうる可能性が高いからだ。
本書の内容に説得力を加えているのが、佐々木さん自身の日々の言動にあると思う。佐々木さん自身が、寛容で、与えられる人であるという事実を、個人的にもたくさん見聞きしてきた。そういった意味で、本書自体が、総透明社会という時代を最も捉えた一冊なのではないかと考える。
麻木久仁子のレビューはこちら
7月のこれから売る本(ジュンク堂・持田碧)のレビューはこちら