中身に触れる前に、まずタイトルが凄い。「貞操」である。平成の世に、21世紀の日本で「貞操」である。久しく耳にしてない言葉である。貞操を飾る言葉が、「男子の」。「女子の」ではなく、「男子の」。「女子の」ならば「週刊SPA風味の肉食女子についてですか」ってオチも透けて見えて泰然と構えられるが、残念ながら「男子の」。中身が全くわからない。ガチンコに貞操について語る気満々なのではないかと恐ろしくなる。新書のタイトルとしては『日本の童貞』(澁谷知美、文春新書)以来の衝撃である。
次に帯が凄い。「上野千鶴子氏推薦!」。嬉しいんだか嬉しくないんだか読み手によって受け止め方が映画「十戒」もビックリなくらい真っ二つに割れそうな圧倒的な漢字8文字。全国紙の人生相談で中学生に「悶々としているなら熟女に土下座すれば10人にひとりくらいはどーにかなります」と回答しちゃう、あの上野千鶴子氏である。その上野センセイが絶賛しちゃう本書。土下座すれば世の中、どーにかなると思い込みたい私としては読まざるを得ないではないか。
なかなか中身に突入できない。鼻息膨らましてページをめくると目次が三度凄過ぎる。
第一章 僕たちを射精に導くのは「誰の手」なのか?
ここまで、ど真ん中に放り込んでくるとは。目眩がしてくる。まさに男子の貞操。「そりゃ自分の右手だろう!左利きなら左手だろう」と瞬時に反応しそうになるが著者はこう答える。
冒頭の問いに戻ると、僕たちを射精に導くのは、右手でも左手でもありません。「お上の見えざる手」です。
現実には、お上によって、直接的・間接的に生み出された記号を無意識のうちに選ばされ、勃起・射精させられているのです。
その最たる例は、規制されているものや禁止されているものに興奮を覚える人々の姿である。マニアックな嗜好でなくても、例えば無修正と聞いたときにあなた、興奮するでしょと著者に囁かれると頷かざるを得ない。では、なぜそのようなゆがんだ性感覚になっているのか。著者はこう続ける。
近代社会における性の歴史は、「丸投げの歴史」です。僕たちの祖先が、性に関する自己決定権や管理権をお上に丸投げしたのは、それが、社会の近代化(富国強兵・産めよ増やせよ)を実現させるために必要な条件だったからです。
もちろん、それで回っている時代は良かったが、現状はそのメカニズムが機能しなくなっている。近代の性の歴史を社会的背景を踏まえながら振り返ることで著者は機能不全を指摘する。著者がいう「歴史上、最も童貞を捨てやすい時代」にありながらも何故、若者は性に悩むのか。地域社会や会社ネットワークが崩壊した今、性に関して自己決定できない孤立した個人を浮き彫りにする。
これは性だけの問題ではない。丸投げしてきた象徴のひとつが性に過ぎない。もはや何もかも、丸投げできない時代なのに、個人のメンタリティはほとんど変わっていないことが最大の問題なのである。
「まかせて文句を言うのではなく、自ら引き受けて考える」。そしてそのためには何をすべきか。著者は21世紀を若者が生きる上で重要な姿勢を「貞操」を通じて教えてくれる。