もしも地団駄というものが踏めるものであるのなら、この一冊を読みながら踏んでみたいと思う。
原題は『What Technology Wants』=テクノロジーの望むもの。テクノロジーの歩みを『種の起源』のように捉え直すという束ね方に独創性があり、これまでに見聞きしてきた様々な知識が一本の線でつながるようなダイナミズムに満ち溢れている内容だ。おかげで、本が本を呼ぶような深みにはまってしまい、関連書籍から逃れられなくなってしまったほか、一体、これまで自分はその手の本の何を読んでいたのだろうかとショックを受け、何もかもを一から学び直したい気持ちになった。
一口にテクノロジーと言っても、本書で取り扱う対象は非常に幅広い。Facebook、Googleといった昨今のネット上のものから、電信・電話、言語や法律、石器、火の使用といった太古のものまで。日頃、その存在を意識しないほど浸透しきったものであればあるほど、テクノロジーと捉えることの面白みは増してくる。時間軸で追うことによって、一つのテクノロジーはさらに多くのテクノロジーを自己生成という方式で生み出してきたということがよく分かるのだ。
アルファベット、蒸気ポンプ、電気といった突破口となるテクノロジーは、本、石炭採掘、電話といったさらなる突破口を見出す発明につながった。さらにこうした進歩が図書館、発電所、インターネットといった突破口を生み出していく。各ステージにおいて、それ以前の発明の良いところを残したまま、さらなる力を加えてきた様子が伺える。
このようなテクノロジーの連なり、すなわち超個体としてのテクノロジーこそが、本書の邦題にもなっている「テクニウム」というものを指す。
このテクニウムという聞き慣れないスコープでテクノロジーを語っていくことには理由がある。それはテクノロジーを生命科学的な文脈からアプローチすることによって、通底する普遍的な法則を見出したり、さらにはテクノロジーの本質に迫って行くことが可能になるのだ。
かつてリチャード・ドーキンスは人間の眼について、こう語った。「少なくともわれわれが地球上で知っている生命は、まるでしゃにむに眼を進化させたがっているように見える。」
このまるで進化が引き寄せられるかのような物言いは、ピンとこない人も多いかもしれない。だが、生命で同じ現象が繰り返し現れるということは、地球が証明してくれる。鳥とコウモリと翼竜は、3つの系統の最後の共通の祖先には翼がなかったのだが、独立して翼を進化させた。両眼視は離れた分類で何度も進化した。植物界でも互いに離れた7種が、昆虫を食べて窒素を摂取する食虫性を進化させた。
そして世界の個々のテクノロジーもまた、突然変異がアウトソースされたかのように、似通った順番で進行してきた。つまり、類似した力が収束されると、類似した結果が創発する。進化とは非常に再現しやすい傾向を持つ。
そして生命にしろ、テクニウムにせよ、進化を必然的に再発へと向かわせたものは、以下の二つの力であることを、本書は多数の事例をもって説明する。
・幾何学と物理学の法則に規定される負の制約。これは生命やテクノロジーの及ぶ範囲の可能性を制限する。
・自己組織化する複雑性が生み出す正の制約。これは繰り返し新しい可能性を生み出す。
特に興味深いのは2つ目の方である。自己生成的な偏りがまるで生物のような自律性を持ち、さらにはテクノロジーのシステムにおける自然発生的な自律性が一連の「要求」を生み出すことを認めれば認めるほど、そこには「脅威」も見えてくる。はたして人間は、テクノロジーによって利用される「乗り物」に過ぎないのだろうか?
答えは、「適応」という概念の中にあった。生命とテクノロジーにはこの概念において決定的な違いがある。進化における適応力とは、生き残りの問題を絶えず解いてくれる創造的なイノベーションである。だがこれは、信じられないような無意識の力としての、盲目的な自然選択だ。
一方でテクニウムにおける適応の機能は、決して無意識なものではない。それは人間の自由意志と選択に開かれている。つまりテクニウムがある種の必然的なテクノロジーの形に自らを進めていくという主張は、運命ではなくて、方向を示しているに過ぎないのだ。
我々は人工物としてのテクノロジーを考える際に、生命の尊さより一段劣るものとして捉えがちである。それゆえ、制御可能な道具であるはずのテクノロジーに顕著な利己性が認められた時、過敏に反応してしまうケースも多い。だが、やがて子が親から独立していくように、予めテクノロジーの自律性・利己性を認め、我々の選択の余地が残されていることを忘れないこと、またそれが我々自身の一部であることを自覚すること。それが、これからの時代のテクノロジーとの向き合い方ではないかと著者は語る。
「科学・テクノロジー」などとひとくくりにされることも多いが、両者は互いに独立した似て非なるものである。科学の自己変化の中心にはテクノロジーがあり、新しい道具は新しい知識を生み出してきた。突然変異とイノベーション、進化論とムーアの法則、相似形のものが交互に重なり合いながら、世界は前進してきた。
歴史を通底する何かに触れることの奥深さ、そして異なるジャンルのエッセンスを重ねあわせることで見えてくる、新たな世界観。本書はまさに、生命とテクノロジーを結ぶ大統一理論の様相を呈していると思う。
テクノロジーがより一層の情報化、非物質化へと歩みを進める昨今であるからこそ、そこに身体性のようなものを見出すことの価値は大きい。そして何よりも、後に古典的名著と呼ばれることが確実な一冊をリアルタイムで楽しむことが出来るのは、幸せなことであるというより他はない。