【本書は世界24カ国同時発売である。日本では本日朝から書店店頭に並べられている。ということはこのレビューが世界最速になるかもしれない】
このレビューを書くため、「スノーデン」や「NSA」などのキーワードを20回以上Googleで検索し、何件かの事実確認をするためにMicrosoft Office 365を経由してメールを送受した。すでにこれらの通信は北米大陸のどこかに存在するサーバーに蓄積されているかもしれない。
“バウンドレス・インフォーマント”と呼ばれるプログラムが、2013年3月8日から1ヶ月間で世界中から傍受したメールは970億件以上、通話は1240億件以上だ。なかでもイランやパキスタンなどは140億件を超えている。それどころか、傍受が禁止されている米国内や、技術的に難しいはずの中国からですら30億件以上のメールと通信データを収集している。もちろん日本も例外ではない。米国企業に勤務した経験がある人物が特定人物として登録されていてもおかしくはないのだ。
この“バウンドレス・インフォーマント”とはNSA(National Security Agency)、アメリカ国家安全保障局が運用している全世界ユビキタス監視システムのことだ。NSAの前身は1949年に設立されたAFSA(Armed Forces Security Agency)すなわち軍保安局であり、現在も陸軍大将が長官をつとめる米軍の巨大組織である。職員数は3万人を超え、予算は1兆8000億円を上回ると言われるが、その実態は明らかにされてはない。
“バウンドレス・インフォーマント”は「全世界の特定人物が発信したメール」や「その人物が誰にいつ電話を掛けたか」などのメタデータをも記録している。電話のメタデータからなにが判るのだと不思議に思われるかもしれない。しかし、膨大な通話記録をコンピュータで処理するだけで、起床・就寝時間などの生活習慣、安息日などの特定による信仰、友人や取引先の特定、政治・市民活動の状況、病院への通話で健康状態などの個人情報が、瞬く間にリストになって目の前に現れることであろう。
この想像を絶するシステムの存在を明らかにしたのがエドワード・スノーデンだった。2013年6月6日、スノーデンは本書の著者であるグレン・グリーンウェルドと協力し、イギリスの新聞であるガーディアン紙上で、NSAの活動について内部告発を開始したのだ。
6月6日の第1報はアメリカ最大手の通信業者ベライゾンビジネスに対して、外国諜報活動監視裁判所が全国民のすべての通話記録をNSAに提出するように命じた件だった。
6月7日にはNSAが電子メールや通信履歴を入手するためにMicrosoft、Apple、Google、Facebook、YouTube、Skypeのシステムに直接アクセスする、PRISM計画が2007年から実行されていたことを告発した。
そして6月11日、“バウンドレス・インフォーマント”の記事が登場する。
もちろんこの内部告発はNSAだけでなく、米国政府にとって青天の霹靂である。9.11の同時多発テロを未然に防げなかったことの反省から生まれたはずの通信傍受が、いまや全世界をカバーする巨大でユビキタスな監視システムに変貌していることが白日のもとに晒されたのだ。当然のことながら、内部告発者のスノーデンは合衆国政府のお尋ね者となった。
本書をもう少し流れを追って紹介してみよう。第1章と第2章ではプロ中のプロたる米軍諜報機関などから、スノーデンと著者が身を守りながら、内部告発を準備するさまが描かれている。場所は香港のホテルの一室。茶化すつもりはないが、エスピオナージの舞台としては充分すぎる。スノーデンが現在でもロシアで健在であること、無事に内部告発がガーディアン紙に掲載されたことを知っていても、手に汗を握る場面が連続するのだ。本書が単なる国家権力を告発する本ではなく、面白く読めるノンフィクションである証だ。
第3章ではスノーデンがNSAから持ちだした数万点の機密文書のなかから厳選した90点あまりを、解説を加えながらこれでもかと読者に提示する。これらの文書のなかに数回にわたってMISAWAという単語が登場する。米軍三沢基地である。米軍関係者だけでも1万人以上、下北半島の付け根のこの町には日本におけるNSAの本拠地があるらしい。スノーデンも三沢基地での勤務経験があり、ここで無人攻撃機がどこかの村を攻撃する映像をみて、アメリカの監視能力に疑問を持つようになったらしい。
またこれらの文書のなかにはマイクロソフトからの協力についての報告書もある。2013年3月8日15時に書かれた「SSOニュース−〈スカイドライブ〉の情報傍受がPRISMの標準蓄積通信システムの一部に」という文書がそれだ。この前日からマイクロソフトの〈スカイドライブ〉のデータ収集を開始したというのだ。数ヶ月にわたるFBIとマイクロソフトの協力の賜だと自画自賛する。
スカイドライブとはマイクロソフトの提供するクラウドサービスであり、ユーザーはワード、パワーポイント、エクセルなどのファイルが作れる無料のウェブ・アプリケーションを使うことができる。マイクロソフトはその後スカイドライブをワンドライブに改称しサービスを続けている。
さらに2013年4月3日の文書では、マイクロソフト用PRISMの全セレクターがをスカイプにも送信開始したことが報告されている。これによってユーザーがスカイプのユーザーネーム以外でログインした場合でもPRISMがデータ収集することができるようになったというのだ。
もちろん、NSAに協力しているのはマイクロソフトだけではない。このレビューをもってマイクロソフトを糾弾するつもりもないし、本書に取り上げられているNSA文書の真偽や現在の状況など知るよしもない。しかし、この米国マイクロソフトやグーグル、フェースブックなどの米国ネット企業の信頼性を疑うヨーロッパ諸国が対策を立て始めたことも事実なのだ。
第4章は「監視の害悪」という見出しが付けられた章だ。おもに過激派メンバーを対象としているとはいえ、「人間狩りタイムライン2010」や「ターゲットの信用を貶める」などというタイトルをもつ機密文書の存在には驚かされる。このなかではハニートラップ、SNS上のターゲットの写真を変更、ターゲットの被害者になりすましたブログを書く、など現場での工作についての文書も現れる。
第5章では第4権力たるアメリカメディアの堕落についてだ。スノーデンの機密文書の持ち出しという行為の違法性は、軍事組織の内部者だったという立場から考えるとグレーかもしれない。しかし、それを報道するジャーナリストが国家権力だけでなく同僚のジャーナリズムを敵にしなければならないという状況は、21世紀のアメリカの行方が揺るぎないものではないことを暗示する。ニューヨーク・タイムズの前編集主幹がイギリスのBBC放送の番組中に「何を公表するべきでないかについて、合衆国政府の指示を得ている」と発言したという記述にはショックを受けた。日本のメディアのありかたも問う章になっている。
それではアメリカはメディアをも取り込んだグローバル夜警国家として、地球を支配しつづけるのであろうか。それに対する著者の見立ては「あとがき」を読んでのお楽しみだ。もちろんスノーデンという人物を生み出す土壌があることも大きな救いである。
本書を読むまではスノーデンという人物は所詮、軍に群がる企業に雇われた臨時プログラマー程度ではないかと思っていた。それが国家とメディアによって作られた幻影であることも良くわかる本でもある。中国や北朝鮮などの独裁国家では国に反逆するものには精神障害などとされることがある。アメリカも例外ではないとするならば、あらためて日本の風景を眺めて見る必要があるかもしれない。