中国から“ものづくり”を取り戻せ。こんなスローガンが聞かれるのは、かつてのものづくり大国・日本だけではない。リーバイスのようなアメリカン・スピリッツを象徴する企業までもが製造拠点の全てを海外に移し、失業率が高止まりするアメリカでも“製造業保護活動家”たちが製造業の復権を強く訴えているようだ。しかし、カリフォルニア大学バークレー校教授で経済学者の著者エンリコ・モレッティは、彼らの主張は多くの誤りに基づいていると指摘する。
そもそも、アメリカの製造業は長年のあいだ拡大を続けており、2009年時点の生産高は中国とほぼ同じである(日本の約2倍)。1970年代からの生産高増加と反比例して製造業関連従事者が減少したのは、生産性が飛躍的に向上したから。ジェネラル・モーターズ従業員1人当たり年間生産台数は、1950年代に約7台だったものが、現在では約28台にまで増えているという。この生産性の向上は、エンジニア達による技術改善、イノベーションによってもたらされた。製造業に従事するブルーカラー労働者数は大きく減少したが、エンジニア数は1978年以降で2倍に増えており、製造業関連全ての職種が中国に奪われているわけではない。
モレッティは先進国での雇用が、高技能・高賃金の職(技術、マネジメント職など)と低技能・低賃金の職(外食、警備関連など)に2極化するトレンドは今後も変わることはなく、先進国の製造業は復活しないと分析する。そして、これからの先進国には、高度な人的資本と創造の才能によって産み出されるイノベーション産業こそが必要だと続ける。著者は様々な実証データを用いて、イノベーションが雇用に与える影響、イノベーションが生み出される地理的要因を明らかにしていく。そして彼の議論は、21世紀に求められる都市像へと展開していく。
IT産業のようなイノベーション産業は伝統的な職を奪い新たな雇用を生み出さない、と批判されることも少なくない。そこで著者は、アメリカ320の大都市圏で1100万人にも及ぶ勤労者を調査することで、この批判が的外れなものであることを明らかにする。
ある都市でハイテク関連の雇用が一つ生まれると、長期的には、その地域のハイテク以外の産業でも五つの新規雇用が生み出されることがわかった。
ちなみに、伝統的な製造業の雇用が1つ生まれても、新たに生み出される雇用は1.6にとどまる。ITを含むイノベーション産業は、たしかにある種の職を奪っているかもしれないが、それ以上の新たな雇用を生み出しているのだ。
アップルがクパティーノ本社で雇用しているのは1万2000人だが、その雇用はさらなる6万人以上の雇用(アップルの訴訟を扱う弁護士、社員の健康を守る医師、住宅の修理人など)を地域にもたらしているという。巧みな租税戦略で支払う税金の総額を最小化していても、大きな設備投資をしなくとも、社員にとどまることのない膨大な数の雇用を間接的に生み出すことでアップルは地域に大きな貢献をしていると考えられる。
このような雇用の乗数効果は、ハイテク産業でより大きくなるという。これには、2つの理由がある。1つは、ハイテク産業は給与水準が高いため、高給取りの社員たちがレストランやヨガ教室などの地元サービス業に大きなお金を落としていくこと。より興味深いもう1つの理由は、ハイテク企業は互いに地理的近接地に寄り集まる傾向が強いということである。つまり、ある都市に1つのハイテク企業が誕生すると、将来その都市には新たなハイテク企業が生まれる可能性が高まるのだ。
本書ではシアトルとマイクロソフトの関係が繰り返し引用される。シアトルエリアに本拠を置くマイクロソフトは、元社員らの起業・投資によってオンライン旅行会社エクスペディアのようなハイテク企業を数多く同地域にもたらした。そして、それらの企業で働く豊富なウェブ・エンジニアの存在はジェフ・ベゾスを引き寄せ、Amazonを大きな成功へと導いた。もちろん、今度はそのAmazonが新たな雇用を数多く生み出すこととなる。マイクロソフトが別の場所を本拠地にしていれば、1970年代には「絶望の町」とまで呼ばれたシアトルが、現在のように多くのイノベーション産業を抱えることはなかっただろう。
IT世界の中心地となったシリコンバレー、映画スターが集まるハリウッド、バイオテクノロジー産業の集積地サンディエゴ、航空宇宙産業が密集する南カリフォルニア。なぜこれほどまでに、イノベーション産業は局在しているのか。著者は、各都市発展の歴史を追うことで、これらの都市をイノベーション都市へと押し上げた要因を、政策、文化、特許出願件数などの多角的視点から分析していく。リチャード・フロリダが提唱した「クリエイティブ・クラスを喜ばせる都市の構築が、地域経済の成長に重要だ」という理論に誤りがあること、いくらメールやチャットのような通信が発達しても、優れたアイディアを生み出すためには優れた人と物理的に近くにいる必要があることなどが示されていく。
本書の描き出す最も衝撃的な事実は、イノベーション産業を呼び込むことに成功した都市と、イノベーション産業から見放されてしまった都市の絶望的なまでの格差かもしれない。その都市間格差は、学歴すらも超越する。働き手における大卒者の割合が最も高い(56%)コネチカット州スタンフォードにおける高卒者の平均年収は107,301ドルもあるのに比べ、大卒者の割合が最低レベル(16%)のフロリダ州オカラにおける大卒者の平均年収はその半分以下の47,361ドルでしかない。地域格差は年収だけでなく平均寿命にも表れ、メリーランド州ボルチモアの平均寿命はパラグアイなどの途上国よりも低くなっている。しかも、この格差は乗数効果によって今後も拡大していくものと思われる。
それでは、イノベーション産業を引き寄せるため、生み出すためにどのような施策が必要となるのか。本書でも様々な提案がなされているが、一度イノベーション産業から見放された都市を好循環の波に乗せることは容易ではなく、意図的な政策でそれを実現したという事例は少ない。産業だけでなく政治や文化の多くが東京に集中する日本に、どのような選択肢が残されているだろう。本書の中心は当然アメリカではあるが、著者による日本語版への序章と経済学者・安田洋祐准教授による解説が加えられており、日本の未来を考える一冊としても大いに参考となるはずだ。
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