本書は、中国とインドに出現しつつある巨大な消費者層についての本だ。個人的には「消費者」という単語に「働く人」の対極のような印象を持っていたが、今回改めて、夕飯の買出しに来た人は働いていないのか、などと考えていたら怪しくなった。「消費」という響きが私に与える楽しさ、これはいったい何だろう?「消費」を自己表現と考えれば、時には「生産」で発揮できない本人の意思だと思えば、本書で描かれているのはインドや中国の一般の人たちが大事に思っている何かであり、遊びであり、ある種の夢である。
本書はボストン・コンサルティング・グループの消費者研究関連のリーダー4名によるものだ。2名はインド・中国を母国とし、現地で活動している。原題が“The $10 Trillion Prize”であるように、中国とインドの消費者が商品・サービスの購入に費やす金額は、2020年までに現在の3倍になり、年間10兆ドル規模に達すると予測されている。この巨大な市場は日本の3倍に相当し、10億人規模の新しい中間層に支えられている。
本書の特徴は、21カ国24000人を対象にした調査等の膨大な情報による数字の裏打ちとリアリティのあるインタビューが同居しているところにある。食事や購入品のほかに、各人の経歴、希望や夢についても聞き取り調査が行われた。その対象は「新しく出現した消費者」たちだ。
故郷の村に初めて電気が通った時のことを覚えています。私は12歳でした。都会にいたおばが中古のテレビを譲ってくれました。村でもほとんどの家にテレビがなかった頃で、夜になると村中の人たちがテレビを見に我が家にやってきました。
一生懸命働いている限り、思いどおりの人生を送れると思っています。人生にはチャンスがふんだんにあり、これから先もよくなる一方でしょう。
日本の高度成長時代のコメントのようである。本書の序文でも類似性が指摘され、加えて、インドと中国の成長スピードが「戦後の奇跡」といわれた日本のそれの数倍であることに注目すべきであると述べる。
彼らは、これからの10年間に両国とその経済を根本から変えるだけでなく、世界経済にも大きな影響を与えることになるだろう。つまり、日本が2020年に出現する超巨大市場にアクセスし、世界経済の新たな潮流に乗っていくためには、新しく出現する世界最大の消費者層を正しく理解することが不可欠なのである。彼らはいったいどういった価値観の持ち主で、どんな消費行動をとるのか。それは欧米や日本の消費者とどれほど違うのか。
2020年といえば東京オリンピックの年である。世の中はどのように変わっているだろうか。
本書は3部構成となっている。「中間層の台頭」「ミリオネア」「取り残された人々」という副題が示すように、第一部では、消費者を分類し、それぞれの層についての動向を説明する。「所得の上昇と商品の消費量」のグラフである「消費曲線」を各分野について作成することにより、中国、インドそれぞれの消費者の特性が示されているのが興味深い。
両国に共通して、新中間層(一般的には世帯所得が年間7500ドル)に達すると、人々は、新鮮な果物や野菜、既製服、住宅など、かつては夢でしかなかったもののためにお金を使い始める。また年間約12000ドルに到達すると自動車を購入し、19000ドルに到達すると、旅行や娯楽や豪華な家庭用品を購入し始める。この他に、第一部では、都市と農村における消費の違いと、女性の消費について説明される。
続いて第二部では、「食べ物と飲み物」「ハウスとホーム」「ラグジュアリー」「デジタルライフ」「教育」といった、より具体的な分野に踏み込んだ説明がなされる。インドのジャイディープさん、上海のジャンさんなど、具体的な人物に張り付いての説明は詳細だ。
また、クラフトフーズ社の「オレオ」やLVMH社の(ルイ・ヴィトン等の)ラグジュアリー製品、アリババ社のタオバオ(eコマース)の例のように、ビジネスサイドのインタビューが紹介されている事も面白い。「オレオ」の新興国事業を30倍に成長させる原動力となったコースラ氏は、アジアの奥地へと入り込み、販売員を雇い、特定のカテゴリーにフォーカスし、新しい製品やビジネスモデルを考案した。幹部に「フレームワーク内での自由」を与えるオペレーションが印象的である。
第三部では、まとめとして「どうすれば新しい顧客層の心をとらえられるか」「需要の拡大が引き起こす資源獲得競争(ブーメラン効果)」「中国・インドの野心的なビジネスマインド」について説明される。
本書でインタビューされた人達の生活を想像する。映像を見たわけでもなく、値切り交渉の様子や生活の音までは聞こえないが、「心から笑えること、リラックスし穏やかな気持ちでいること、そういう気持ちを家族や友人と分かち合えること」、「新鮮な空気を吸い、安定した社会で暮らしたい。愛のある生活を送りたい。」などのコメントには共感する。引越しのゴタゴタで家の環境が激変し深夜のマンガ喫茶でレビューを書く私のような人間が言うのもなんだが、本書はビジネス書でありながら、幸せとはなにかについて改めて考えさせられる本であった。全く異なる環境のインド・中国の消費者と、『ヤンキー経済』で指摘される日本の保守的な消費者の目指すゴールが似ているところも興味深い。経済や人口の変化など、与えられた条件の下で、それぞれ最適な生き方を送っているのだろうか。いつか、いま日本で流行っているビジネスを輸出できる日が来るのだろうか。たとえば、エコノミー8時間パック、マンガ読み放題、とか。
非常に興味深い日本の「新ヤンキー経済」。成毛眞のレビューはこちら。
インドでは『巨人の星』が一足先にヒットしました。内藤順のレビューはこちら。
本書にも登場するアラヴィンド社。レビューはこちら。