失った。本書の著者、パレスチナ人医師のイゼルディン・アブエライシュは、あまりに多くを失ってしまった。それは彼が、妻を急性白血病で亡くしてしまったものの、8人の子供たちと前向きに生きていこうと決意した矢先の出来事だった。2009年1月、3人の娘と1人の姪は、二度と抱きしめることができないほどに遠くへと旅立ってしまった。奪われた、という表現の方が適切かもしれない。4人の命を奪ったのは、イスラエル軍によるガザ地区への爆撃。
亡くなった母親の代わりに妹弟たちの面倒を見ていた長女ベッサンは経営学の学位取得寸前だった。数学が得意だった15歳のマヤは父親のような医師になりたいと思っていた。詩の才能があった13歳のアーヤはジャーナリストになる夢を無邪気に語っていた。姪のヌアは、本当の姉妹のようにイゼルディンの子供たちと仲が良かった。彼女たちの将来は、永久に奪われてしまった。
バラバラになった娘たちの身体を目にしたイゼルディンの頭には、「これでおしまいだ、これで終わりだ」という言葉だけが浮かんでいた。難民キャンプで生まれ、想像を絶する飢えと貧困を責任感と強靭な意志の力で乗り越え、イスラエル初のパレスチナ人医師とまでなったイゼルディンにとっても、あまりに過酷すぎる現実であった。
地獄を目前にしながらも、大けがを負った残りの子供たちを救うため、イゼルディンは動いた。友人であるイスラエル人ジャーナリスト、シュロミ・エルダーに助けを求める電話をかけたのだ。シュロミは生放送のニュース番組に出演中だったにもかかわらず、イゼルディンの電話を取った。そして、娘を失った父親の悲痛な叫びは、多くのイスラエル人にライブで届けられた。この衝撃的な映像はYoutubeなどを介して瞬く間に世界中に広まり、停戦への一助となったとも言われている。
イゼルディンの身に降りかかったことがもし自分にも起こったら、と考えるだけで背筋が凍る。これほどの絶望を前にして、果たして正気を保っていられるだろうか。怒りと憎しみにとらわれはしないだろうか。イゼルディンはなぜ、最も大切なものを奪われても『それでも、私は憎まない』と言えるのか。
本書は、ガザ紛争(2008年-2009年)によって娘と姪を失った著者が自らの半生を振り返りながら、パレスチナがどのような歴史的経緯で現在のような状況に陥っているのかを伝えてくれる。そして、私たちがどのように和平に向かって行動を起こすべきかを力強く訴えかけてくる。イスラエル‐パレスチナ間の状況を伝えるニュースや書籍は少なくないが、パレスチナ側の意見が当事者の声で伝えられることは少ないという観点からも、イゼルディンの肉声は貴重である。
イゼルディンは、1955年にガザの難民キャンプに長男として生まれた。そして、貧しい家族を支えるために、7歳からお金を稼ぎ始めた。午前3時に起きて、ひと稼ぎしてから小学校へ通うのが日常だった。彼が最も覚えているのは、「共同トイレの悪臭、空腹が引き起こすしつこい腹痛、家族にとって絶対不可欠な小額の金を稼ぐために早朝に起きてミルクを売ることからくる疲労と、そのあとで学校に走っていくときに感じた遅刻するかもしれないという不安」だという。
そんな生活の中でも、教師の導きによってイゼルディンは勉強に励んだ。勉強だけが、自らをこの生活から解放してくれるものであると信じて。その後、奨学金を得てカイロ大学を卒業した彼は、ガザやサウジアラビアなどで医師としてのキャリアを積み重ね、生殖テクノロジーの最先端を走るイスラエルの病院での職を得た。ここでの経験は彼に、ヘブライ語に堪能になる以上のものを与えた。イスラエル人の同僚とともに、イスラエル人患者と向き合う中で、彼は確信する。
わたしはガザ地区のジャバリア難民キャンプ出身のパレスチナ人で、あなたたちと同じ人間だ
ガザ地区に住むパレスチナ人がイスラエルの病院に勤務にすることは容易ではない。先ず、パレスチナ人が国を出るには、嫌がらせとしか思えない理不尽な手続きを乗り越えねばならない。国境の検査場で全ての荷物が徹底的に検査されることは仕方がない。しかし、最初の検査場以降で運搬器具の使用が許されないのはなぜなのか。スーツケースまで含めた荷物を抱えてやっと辿り着いた次の関門で、出国が拒否される場合もあるという。出国しようとする彼が毎回のように経験する侮辱的行為には、読んでいるだけでいらいらさせられる。イゼルディンが描き出すディテールが、CNNやBBCが映し出す映像だけでは伝えきらないその場の匂いまで伝えてくれる。
医師としてのキャリアを積む中でイゼルディンは、医療の力を使い、自らが両者を結び付ける懸け橋となることを望むようになった。想像し得る中で最も悲惨と思われる現実に見舞われながらも、その決意は揺るがない。共存は可能だと、本気で信じている。そして、医師らしく医学用語を用いた例えを使い、共存のためには「予防接種プログラム」が必要だと説く。
人々に尊敬と尊厳と平等の注射をし、憎しみに対する免疫を与えなくてはならない。
本書が、少しでも多くの人に作用する予防接種となることを願う。
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