大学生でありながら、数々のクリエーターの協力を得て『N magazine』を創刊した、島崎賢史郎さん。彼は雑誌というメディアにこだわり、ベンチャー企業のように雑誌を立ち上げた。そんな平成生まれの編集長が考える、雑誌の未来とは?(HONZ編集部)
ワクワク、オモシロく、のめり込めるモノを発信して行く
『N magazine』
『N magazine』は、2012年12月25日の0号から始まった。「0」なのは、まだ編集長である私が未熟であったからだ。
N magazineの「N」は、
「N」ippon 日本のクリエイターが発信する
「N」eutral フラットな関係でありたい
「N」amaiki 生意気な心意気で立ち向かう
という3つの軸を柱にするという意味。クリエイター、編集者、読者が「ワクワク、オモシロく、のめり込めるモノを発信してく」コトをコンセプトに掲げている。
中身は毎号大きなテーマを設け、ビジュアルを中心に発信するクリエイティブマガジンである。
0号では「元素記号」をテーマにクリエイター(カメラマンやメイク、モデル)を元素と捉え、様々な人が一つの企画に対して考えた捉え方を掛け合わせる事により、「写真」という化学反応物がどう表現されるのかという実験的な試みをした。
表紙には水原希子を起用。中島英樹氏をはじめ、半沢健氏、腰塚光晃氏など魅力的なクリエイターに参画いただき、ネットを中心とした反応にも手応えを感じる事が出来た。
そして2013年11月25日に発売された1号では、長澤まさみ、二階堂ふみ、太田莉菜、秋元梢をそれぞれ表紙に起用し、全4パターンで展開をした。
今回のテーマは「核心」。表層で捉えられがちなビジュアルをクリエイターそれぞれが持つ「核心」を元に企画へと落とし込んでいくモノとした。例えば、卵焼きが好きであれば卵焼きの企画となる。そして、なぜそれが好きなのか、「核心」なのかを一人一人に生い立ちからインタビューして行く。
私自身、「核心」的なモノが自分の中に存在しないからこそ、クリエイターという人生の先輩が何を思い作品を作って行くのか、ただ単純に興味を持ったところからテーマへと深めていった。
その他にも、コントリビューターとしてレスリー・キー氏が参加。今春話題になったレスリー・キー氏のメンズヌードをエンライトメント ヒロ杉山氏の局部コラージュによって再び掲載。また、森山大道氏にも作品を提供いただいた。
各クリエイター、セレブの核心を探るインタビューを掲載するなど、自分で言うのもアレなのだが、充実した内容になっていると思う。
『N magazine』は、制約がないからこそ逆に難しい。雑誌の特徴である「雑」が表すように様々なテイストのビジュアルが必然的に表現され、クリエイター、編集者、読者が「ワクワク、オモシロく、のめり込める」何が飛び出すか分からない実験的な雑誌である。これが正しいのか、間違っているのかは、人それぞれの捉え方次第だろう。
なぜ創刊したのか?
私の個人的な捉え方としてワクワクできて、のめり込めるファッション誌、大まかに言えばクリエイティブ雑誌が無かった。
素晴らしい雑誌は数多くある。『BRUTUS』、新しくなった『POPEYE』『GINZA』。これらは一つのテーマに対して、デザイン・ビジュアル・ライティング、多方面からアプローチし、束ねていく。しかし、ビジュアルを重要視した『流行通信』『Dazed&Confused Japan』『STUDIOVOICE』は次々と休刊・廃刊。私はそれらをリアルタイムに見ることが叶わなかった。
書店にいけば、赤文字、青文字、付録、付録、付録。いつしか雑誌はモノとしての価値ではなく、紙切れ・ただの情報へと低迷しているのではないか。当時、『ADD magazine』というフリーペーパーを作成する学生団体に所属していた私は、そんなことを感じながら、ある日一人のスタジオマンと出会う。
日本の雑誌に対する現状を伺ううちに、まだプロとして活動してないにも関わらず、「ならば自分たちで作れば良い」という安易な気持ちが芽生え、制作を始める。「日本のファッション誌を変える」や「出版業界に波紋を起こす」などと、大きなコトを吠えていたものの、その時はただ単純に前に進んで行くコトがワクワクして、キラキラしていて、直線的にのめり込んで行ったのだ。
人がいてこそ完成した雑誌
ワクワクしていただけでは、意味が無い。クリエイターや印刷会社や書店、協力してもらえる人を集めなければならなかった。もちろん費用も必要だ。バイトを3つ掛け持ちして、今まで貯めていた何かあった時のための貯金も全て注ぎこむ。
そして何よりもクリエイター集めが肝心だった。私がお願いしたクリエイターに電話・手紙・直談判、何でもした。何度も断られ、取り次いでももらえないことも続いたが、私にもどうしてか分からないが少しずつ協力者が集まってきたのであった。
それもこれも腰塚光晃氏、HIRO KIMURA氏との出会いが大きかったであろう。まるで、自分の媒体かのように力を注ぎ込み、アドバイス・協力を積極的にしていただいた。彼らとの出会いがなければ、今こうして『N magazine』は出来ていないと断言できる。
今後の展望について
実は、私は来年から広告会社に就職することが決まっている。中高生の時に大学で何をするかが分からなかったように、社会に出てからの『N magazine』に関しても、正直年1ペースで出せるのかは分からない。
ただ、今のままで社会勉強もなしに続ける事が『N magazine』を大切にしているとは到底思えない。このまま続けても、2-3年は大丈夫だろう。しかし社会で下積みもしていない私では、3年後から先の未来はないと思っている。だからこそ社会に出て勉強したい。
そして、雑誌を絶対続けていくことは誓っている。それがたとえページ数、判型がちいさくなったとしても。ただ、『N magazine』は私と一心同体で、私のこれからの道が『N magazine』の道になる。だから楽しみに待っていて欲しい。「ワクワク、オモシロく、のめり込めるモノ」を持ち返ってきます。
島崎賢史郎│ Kenshiro Shimazaki
明治大学政治経済学部政治学科4年。『N magazine』 編集長。フリーペーパーを作成する「学生団体ADD」を経て、Infasパブリケーションズにて「WWD japan」「FASHION NEWS」などの編集アシスタントを経験、その後一念発起し『N magazine』を2012年12月25日に創刊。