400年の時を超えて、ある数学の命題が証明された。こう書くと、すぐさま「フェルマー予想(最終定理)」を思い出す人もいるだろう。しかし本書に取り上げられているのはフェルマー予想ではない。フェルマー予想よりもさらに長い歴史をもち、1900年にパリで開催された国際数学者会議では、大数学者ヒルベルトが重要な未解決問題のひとつとして提起した「ケプラー予想」である。
ケプラー予想は「大きさの等しい球をもっとも効率よく三次元空間に詰め込む方法は、果物屋の店先にオレンジが積まれるときの方法と同じである」と述べている。小さな子どもでさえ、直観的に「正しいのでは?」と思いそうな命題だ。ところが、一見当たり前のようなこの命題の正しさを明らかにすることが、とてつもなく難しかったのだ。
球を規則的に並べるという条件つきでなら、この予想が成り立つことは数学の王者ガウスがエレガントに証明してみせた。しかしそのときすでに、予想の誕生から200年以上の時が経過していた。不規則な並べ方まで含めてあらゆる場合にこの予想が成り立つことを証明するには、それからさらに170年近くの時間を要し、ようやく20世紀も末の1998年になって、ミシガン大学の数学者トマス・ヘールズが、コンピューターを大々的に利用する方法で証明を成し遂げた。
本書は、17世紀初頭(後述のハリオットの予想をもってはじまりとするなら16世紀末)にケプラー予想が誕生してから解決にいたるまでの400年間の流れを追ったものである。また、周辺の話題も盛り込むことにより、近年発展の目覚ましい離散幾何学(の一領域)への招待状にもなっている。
ところで、「ケプラー予想」の証明に関してもっとも興味深い点のひとつは、今述べたように、それがコンピューターを使っての証明だったことだろう。では、「コンピューターを使った証明」は、従来の証明といったいどこが違うのだろうか。
たとえば「素数が無限にあること」を証明するために、ひとつひとつの数が素数かどうかチェックし、素数が見つかったら紙に書きつけていくなどという方法をわれわれは決してとらない。それではきりがないからだ。その代わりに、最大の素数というものがあると仮定すると──つまり素数が有限であると仮定すると──「矛盾が生じる」ことを示して、素数は無限にあることを論理的に明らかにする。背理法を使ったシンプルでエレガントな証明だ。
ところがコンピューターを用いた証明は、たとえてみれば、ひとつひとつの数が素数かどうかを確かめていくのに似ている。あらゆるケースをしらみ潰しにしていくのだ。もちろん、「素数は無限にあるかどうか」を素朴に調べていくような場合には、潰すべきケースが無限にあるため、コンピューターといえども作業は永遠に終わらない。しかし問題によっては有限なケースを調べればよいように工夫することができて、人間の手には余ってもコンピューターにならこなせる場合がある。かくしてコンピューターの登場とともに、それまで現実的ではなかったしらみ潰しの方法がひとつの可能性になった。そうして証明された最初の命題が、いわゆる「四色問題」である。「どんな地図を塗り分けるにも、四色あれば足りる」というこの命題がコンピューターを使って証明されると、本書の第13章でも説明されているように、「こんなものは証明ではない」という非難が飛んだ。
ヘールズによる「ケプラー予想」の証明は、四色問題の解決から20年以上経っていたこともあってか、それほどのスキャンダルにはならなかった。ヘールズとしても、コンピューターを使った証明の弱点となりうる部分には、できるかぎりの手を打った。それでも彼の証明は決して美しいとはいえず、本文でも紹介されているように、イギリスの数学者イアン・スチュアートは、「ワイルズによるフェルマー予想の証明がトルストイの『戦争と平和』なら、ヘールズによるケプラー予想の証明は電話帳のようなもの」だと喩えている。
以下は本書に書かれていることの後日談になるが、ガボル・フェイエシュ=トートを責任者とする査読チームは、4年のあいだ精力的にヘールズの論文の査読に取り組んだ末に、「証明が正しいことは99パーセントまで確信できたが、完全なる確信には到達できなかった」という報告を提出し、精も根も尽き果てて解散した。考えてもみてほしい。ワイルズの論文の査読者たちは、『戦争と平和』を読んで理解するのが仕事だったのに対し、ヘールズの論文の査読者たちは、電話帳の一行一行の裏付けを取るのが仕事だったのだ。査読チームの努力には頭が下がる。とはいえ、チームが出した結論は大きな問題をはらむものだった。「99パーセントの正しさ」などというのは、これまでの数学の証明では考えられなかったことである。同様のケースは今後どんどん増えていくに違いなく(『戦争と平和』を理解することならできても、電話帳には裏付けの取れない行も出てくるだろう)、実験科学では当たり前のこうした事態を、数学界も受け入れなければならないのかもしれない、とガボル・フェイエシュ=トートは考えた。
今後は数学の証明に関しても、99パーセントの正しさといった状況を受け入れていかなければならないのだろうか? 受け入れていこう、というのもひとつの立場だ。ヘールズがその立場を取ってもおかしくはなかった。だが彼は、断固それを拒否した。2003年1月、ヘールズはFlyspeck(the Formal Proof of Keplerの頭文字を紛れ込ませた、「徹底的に精査する」という意味の語)というプロジェクトを立ち上げた。このプロジェクトは、数学的証明のあらゆるプロセスをひとつの省略もなしに論理的にチェックしていくという、「コンピューターによる証明を、コンピューターによって証明する」試みである。このプロジェクトが完遂されれば、コンピューターと数学の未来にとって画期的な意味をもつことになるだろう。それは一朝一夕にできる仕事ではない。ヘールズはこのプロジェクトにかかる時間を20年と見積もり、世界中から参加者を募っている。物理学者なら知っているように、コンピューターという道具を使って切り開かれた新世界には、それまでとは大きく異なる魅力的な眺望が開けていた。へールズは大航海に乗り出した。はたして彼の行く手には何が待ち受けているのだろうか。この試みが数学のあり方そのものに及ぼす影響にも注目していきたいところだ。
ところで、数学とコンピューターという今日的なテーマのほかに、本書には科学技術史の観点からも興味深い話題が提供されている。とりわけ印象的なのは「ケプラー予想」が、船倉に積まれた砲弾の数を知りたいという、きわめて現実的な要求をひとつの発端として生まれたことだろう。「ケプラー予想」という名前に反して、物語の第1幕に登場するのは、意外にもプラハのケプラーではなく、イギリスのトマス・ハリオットだ。ハリオットの名前を初めて聞くという読者も多いだろうが、彼はエリザベス一世の第一の寵臣サー・ウォルター・ローリーの片腕で、近年再評価の必要性が叫ばれている数学者・科学者である。ときは大航海時代のイギリス。ハリオットの親しい友人であり、エリザベス一世の占星術師でもあった、かの有名な「魔術師」ジョン・ディーが、数学こそは神の栄光、国益増進、そして個人の栄達の鍵であると説いたのはまさにこの時代だ。海岸沿いに船を進めれば事足りた地中海から大洋に乗り出していくためには、数学に裏打ちされた新しい航海術が不可欠だった。航海術ばかりではない。ありとあらゆる分野で、新しいテクノロジーを手にした世俗の技術者や知識人たちが、知の新世界を切り開いていった。第3章に登場するアルブレヒト・デューラーもまた、美術史上に燦然と輝く芸術家であるとともに、印刷術という画期的新技術の先頭を切る技術者・数学者だった。二次元、三次元の球充填問題は数学の内的要請からというよりも、このような時代背景のもとで生まれたのであり、抽象的な問題と「現実世界」との関わりについても考えさせられるものがある。
もうひとつ心を惹かれる歴史上の話題にニュートン数をめぐる謎がある。三次元空間で1個の球のまわりに同じ大きさの球を何個接触させられるかという問題は、1694年の「ニュートン‖グレゴリー論争」に端を発すると言われ、接吻数一般がニュートン数と呼ばれることもある。ところが、第5章最後の脚注に率直に書かれているように、本書の著者は、このエピソードを紹介しようと資料に当たっているときに困惑させられる事実に直面した。どうやらニュートンは、三次元接吻数が12だとは言っていないようなのだ。訳者もグレゴリー・メモに当たってみたが、やはりニュートンは12と言ってはおらず、むしろグレゴリーと同じく13と考えていたと思わざるをえなかった。そうだとすれば、いったい誰が、どのような根拠で、ニュートンは12を主張したと言い出したのだろうか? これは新たな謎である。
いずれにせよ、「ケプラー予想」の証明の歴史には、学問の面白さを伝えるエピソードが満載だ。そこには現実的な要求あり、新しいテクノロジーとの関わりあり、思いがけない関係や出会いがある。読者のみなさんには、ぜひ、人間の知的営みの数奇な奥深さを味わってもらえたらと願っている。
翻訳にあたっては、何人かの方からご専門の知識を分けていただいた。貴重な時間を割いて助けてくださった方々に対し、心よりお礼申し上げる。最後になるが、新潮社出版部の北本壮氏と、同じく校閲部の田島弘氏のお骨折りに感謝申し上げる。
2005年4月
青木 薫
※『ケプラー予想』は、2013年12月に文庫化されました。その後の動向が書かれた文庫版訳者あとがきはこちらから。
新潮文庫
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