とびきり居心地よい場所(The Great Good Place)。家、仕事場に次ぐ、ふらりと立ち寄ることが出来る第3の場所(The Third Place)。本書が取り上げるのは、そのような場所だ。
著者のレイ・オルデンバーグは1932年生まれ、西フロリダ大学社会学部の名誉教授である。本書の刊行は、初版が1989年、第2版が1996年と、少し前のことだ。しかし、IT技術が普及して生産性がますます向上し、生活がますます忙しくなっている今こそ、「サードプレイス」という概念は一層おもしろい切り口を与えているように思われる。
サードプレイスの特徴として、本書には様々なものが挙げられている。たとえば、サードプレイスは「中立の領域」だ。人が自由に出入り出来、誰も接待役を引き受けずにすみ、全員がくつろいでいられる公共の場所、というような意味である。そのような場所だから、私生活に踏み込まれることのない気楽な交際が可能になる。「人を平等にするもの(レヴェラー)」という特徴もある。そこでは誰もが受け入れられ、世俗の肩書きは忘れられ、安らぐことができる。提供される活動は「会話」だ。会話がおもしろいこと、そして、それが活発で、機知に富み、華やかで、魅力的であることこそ、サードプレイスというものを何よりも明確に表している。常連の人達は「血の通ったユーモア」のある会話をするという指摘は興味深い。それは多くの場合、特有の無礼を装いつつ親愛の情を伝える。
たとえば、客がサードプレイスにやってきてすぐ仲間を見つけたとき、よくやる挨拶のひとつは「なんだ、君が来ていると知っていたら、立ち寄らなかったのに」。これに続けて、かなり辛辣な質問を浴びせる。「いま、何も仕事をしていないの?」「また彼女に追い出されたのかい?」「ほかに邪魔する場所が見つからないもんかね?」そして店主に向かって「なんでいつも奴を入れちゃうのさ?」「ここはいったいどんな店なんだ?」「他の人たちのことは頭にないの?」
これ以外にも、サードプレイスには「いつでも気軽に訪れることができる」「常連がいる」「目立たない」「雰囲気に遊び心がある」「アットホーム」というような特徴がある。このような場所での交流を通じて、誰もが幸せな気分になり、同時に、ほかの人々を幸せな気分にする。人はサードプレイスという安全基地で自信をつけ、他の場所にいがちな意地悪で不機嫌な人々に対する免疫を獲得する。
サードプレイスの具体的事例として、本書では、ドイツ系アメリカ人のラガービール園、田舎町のメインストリート、イギリスのパブ、フランスのカフェ、アメリカの居酒屋、17世紀のコーヒーハウスが詳細に取り上げられる。共通しているのは、楽しい会話に最高の優先順位があることだ。ラガービール園では、会話を楽しむためにアルコール度数が低いビールが好まれた。田舎町のメインストリートでは、目的もなく歩き会話することが楽しみとなっていた。イギリスのパブは小規模で温かく、フランスのカフェには看板がない。常連客が忠誠心をもって通うカフェには、名前や広告が必要なかった。アメリカの居酒屋の常連の40%は、意外にもビール1杯しか飲んでいなかった。
彼らは下戸であるにもかかわらず、習慣的に居酒屋通いをしていた。「いったいほかのどこに、男が友達と会える場所があります?」
飲食店以外にもサードプレイスはある。著者は書店や美容院、郵便局を事例として挙げる。また本書の解説では、日本のサードプレイス候補として、赤提灯居酒屋、銭湯、ゲートボールグラウンド、将棋クラブが挙げられている。昨今では、ネット空間のサードプレイスも想定できるだろう。個人的には、初期のツイッターにサードプレイスの定義に似た空気感があったように思う。
規模の大を追わない・広告をしないなど、サードプレイスは経済性を求めない点が印象的だ。私は、『紅の豚』のエンディング・テーマになった『時には昔の話を』の歌詞に「コーヒーを一杯で一日」とあったことを思い出した。普通に考えたら、そのような店は早晩赤字である。お客さんも暇な人だ。しかし、本書を読むと、その店が「とびきり居心地よい場所」となり、常連さんが毎日来るようになり、小規模に維持できるような気がしてくる。無目的に集まって会話することに価値がある。あまり儲からないが、その事自体に価値があり楽しい、という意味では、サードプレイスというコミュニティ作りは、芸術やサイエンスや、本作りに似ている。
「サードプレイス」はスターバックスの事業コンセプトになっています。
遊び場を作るNPO。たのしそうです。山本尚毅のレビューはこちら