日経新聞の「私の履歴書」を長年、愛読している。やはり、本人が直接書いた物が、面白い。現在は、コトラー博士が連載中で、毎日、楽しみにしているが、本書は(尊敬するコトラー博士には申し訳ないが)桁外れに面白い。マンデルブロ集合の発見者、偉大なフラクタリスト、マンデルブロの自伝である。全体は3部から構成されている。
第1部は、生い立ちから20歳まで、第2次世界大戦の終了までが語られる。マンデルブロは、リトアニア系ユダヤ人の家系で、ワルシャワに生まれた。両親はインテリの中産階級で、叔父のショレムは著名な数学者だった。ナチの勃興期、賢明な両親は、フランスに移住する。マンデルブロは、父のラルース百科事典を「すぐに隅から隅まで読みつくした」。早熟な天才だった。一家は、ナチの時代を数々の幸運に助けられて生き延びる。第1部は、すみずみまで、みずみずしい情感に溢れている。時代が最悪だったにも関わらず、マンデルブロが両親の庇護の下で、豊かな少年時代を送ったことが読み取れる。
第2部は、グランドツァー、いわば大放浪の約15年間が描かれる。「幾何学化」の能力が突出していたマンデルブロは、首席でエコール・ノルマル・シュペリウールとエコール・ポリテクニーク(カルヴァ)の双方に合格する。しかし、1日でノルマルを退学してしまう。破天荒の人生が早くも姿を現す。カルヴァに入学した同期に、ジスカール・デスタンがいた。マンデルブロは、満たされぬ学求欲に背中を押されて(時代を大きく先取りしていたためだろう)、カリフォルニア工科大学からフランス空軍、パリ大学、フィリップス研究所、MITでのポスドク(ここでチョムスキーに出会う)、プリンストン(オッペンハイマーに出会う)、クラシック音楽への陶酔、アリエットとの結婚、ジュネーヴでの新婚生活、リール大学での教職と、世界を転々とする。しかし、この間に、「最初のケプラー的瞬間(アルキメデスの「エウレカ」)」が訪れる。語の出現頻度の分布がフラクタル、ラフネスという概念へとマンデルブロを誘ったのだ。
「自然界に存在する一般的なパターンのほとんどは、ラフである。精妙に不規則で不連続な性質を持っている。古の驚異的なユークリッド幾何学の図形より入り組んでいるだけではなく、はるかに複雑である。何世紀ものあいだ、ラフネスを測るという考え方自体が荒唐無稽な夢だった。」「本書は、数学、政治学、自然科学、工学、芸術を通じてラフネスの秩序と美を真摯に追い求めた険しい道程を描く回想録である」。第3部は、IBMとイエール大学に腰を落ち着け、フラクタルという概念を考案し(銀河系から相場まで包摂される)マンデルブロ集合を発見する黄金時代が描かれる。大器晩成という言葉は、マンデルブロには相応しくない。時代がやっと彼に追いついたのだ。あの華麗で万人を魅了するマンデルブロ集合は、わずか次の2式で表わされる。
(「底の知れない驚異は、単純な規則から生まれる」のだ)。
しかし、マンデルブロは、世智には長けていなかった。シカゴ大学でのジョージ・シュルツ(後の国務長官)とのエピソードが、そのことを雄弁に物語る。「ロングテールの父」は、出世競争には向いていなかったのだ。余りにも頭抜けていたが故に、恐らく敵も多かったに違いない。日本国際賞を受賞して来日した時の皇后陛下とのエピソードも微笑ましい。
自伝の終章で、マンデルブロは、バーナード・ショーの言葉を引く。
「理性的な人間は、自分を世界に合わせる。理性を欠く人間は、世界を自分に合わせる努力を続ける。したがって、全ての進歩は理性を欠く人間にかかっているのだ」
なんと素晴らしいマンデルブロの人生!このような勇敢な人生の物語を読むことの幸せをつくづくと感じる。
出口 治明
ライフネット生命保険 CEO兼代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。