「「ケアをする」というと何か具体的な処置を施すものと思われがちですが、心のケアとは、あれこれ世話を焼くことではありません。必要なのは言葉や行為ではなく、相手の方と時間と空間を共有することです。」
著者の高木さんは、神戸の修道院の修道女さんで、上智大学グリーフケア研究所の代表でもある。ターミナルケア(終末期ケア)・グリーフケア(悲しみのケア)に携わって23年、関わった人は数千人に上り、阪神・淡路大震災、神戸連続児童殺害事件、池田小学校児童殺害事件、明石歩道橋事故の遺族のケアにあたってきた。阪神淡路大震災の時は、神戸の修道院で被災した。JR福知山線の脱線事故の時は、現場が勤務先の大学のすぐ近くだった。グリーフケア研究所がそれをきっかけにして始まった。
「そして今回、やるべきことをやるべきときが来た、といま私は感じています」
大切なものを失ったときの悲しみに、どう向き合えば良いか。隣人の悲しみに、どう寄り添えばいいか。本書では、東日本大震災におけるグリーフケアについて、高木さんの知見が述べられている。
例えば、ご遺族の協力を得て実施した調査の結果、下記の「相手を傷つける7つの態度」は好ましくない。
● 忠告やお説教。指示をしたり評価したりするような態度。
● 死という現実から目を背けさせるような態度。
● 死を因果応報として押しつける態度。
● 悲しみを比べること。(自分も○○の時は悲しかった、などと言うこと)
● 叱咤激励すること。
● 悲しむことは恥であるという考えを述べること。
● 「時が癒してくれる」などと楽観視して安易に励ますこと。
思い返せば、人生において上記のいくつかを10回ずつくらいやらかしているような気がする。なかなか難しい。相手を傷つけてしまったのではないかと思うことで、自分が傷ついたりもする。癒やしと許しはセットなんじゃないかと思う。
また、被災者が希望を見出すようになるまでに、下記の時期があると感じているという。
● とにかく現状を改善するためにできることをやろうと奔走する時期
● その後の大きな悲しみの時期:上記が一段落して、しみじみと喪失を実感して悲しくなる時期
● 悲しみを乗り越える時期
阪神淡路大震災でお子さんを亡くされた方を対象に3年6ヶ月後に行われた調査では、いま、何をして欲しいですか?という質問に対して 「一人にしてほしい。何もしてほしくない」 という回答であった。悲しみの時期はとても長いのだ。当然だ。回復に向かっていると感じる、という調査結果が出るのは、4年6ヶ月後である。
今回の震災に関して言えば、悲しみの時期が始まったばかり、まだ始まってもいない、といったところだろうか。
ところで、著者の高木さんには、『高木仙右衛門覚書の研究』というちょっと毛色の違った著書がある。高木仙右衛門さんは高木さんの曾祖父にあたる人で、「浦上四番崩れ」において、6年間にわたる流刑・拷問にも関わらず転ばなかった(転向しなかった)キリスト教者として有名だ。長崎のグラバー園、大河ドラマ「龍馬伝」にも出てきたグラバーさんの家の隣に、大浦天主堂という、現存する日本最古のキリスト教会がある。キリスト教が禁教であった江戸時代、在留フランス人のための教会として建築された。1865年、神父ベルナール・プティジャンは、訪ねてきた住民が、数百年間孤独に信仰を守って来た「隠れキリシタン」であることを知った。仙右衛門さんはその時に教会にいた信徒の一人で、その後、自宅を秘密教会として伝道にあたった。「浦上四番崩れ」とは、1867年の一斉逮捕を言う。4回目の受難という意味だ。
そんな高木仙右衛門さんは、戦国時代の「高木権左衛門」さんの子孫と言われている。キリシタン大名大村純忠の頃の長崎の人で、伴天連追放の際、転向せずに浦上地区に隠遁した。これが正しければ、著者の高木さんは、ここからの末裔ということになる。
この頃、つまり信長・秀吉の時代のキリスト教信者を描いた本に、『クアトロ・ラガッツィ』がある。若者4名がキリシタン大名から派遣されてローマに赴く「天正少年使節」の話だ。あの時代に、何年もかけて長崎・中国・インド・ポルトガルと航海し、ラテン語を完全にマスター、スペインでフェリペ2世の大歓待を受け、なぜか東方の王としてローマ法王に謁見する。8年後に帰国し、印刷技術を持ち帰った。「そのとき日本人がどれほど世界の人びとと共にあったかということを、彼らの物語は私たちに教えてくれる」。信長や秀吉の人物像についても相当詳しく書かれている。必読だと思う。
さて、時代を明治まで戻して「浦上四番崩れ」の6年後、明治政府による禁教が解けて浦上に帰って来た信者たちは、東洋一の教会を目指し、19年をかけて教会を建てた。爆心地からおよそ500mの場所である。教会完成から31年後の1945年8月9日、原爆は「赦しの秘跡」の時間中に投下された。訪れていた信徒は全員死亡、教会は完全に破壊された。「浦上五番崩れ」とも言われる。遺構は13年後まで残ったが、その後とり壊され、現在の浦上天主堂が建設された。取り壊されるまでの様子が、写真に収められて出版されている。1981年には、ローマ法王が浦上を訪れた。
こんなことをつらつらと考えていると、高木さんが大震災・原発の災害後の心のケアにあたっているのが運命的な感じがしてくる。だからなんなのかと言われると何もないけれど、なんとなく思うのは、昔も今も、悲しみを共有して乗り越えてきた人達がいるということだ。高木さんは、悲しみの大きさは愛情の大きさだと言う。思いこみがあるものを喪失した時、そこにある幻影が悲しいのだ。悲しみのない人生は愛情がない人生である。とか言うと、ブツクサとネガティブ発言ばかりしてる人(私)を弁護しているみたいだが、きっとそうやって、みんなでちょっとずつマイナスを分け合っているのだ。本書によれば、阪神淡路大震災の時、一番自分を支えてくれたのは家族だったが、震災の体験を一番話したのは、友人や親せきだったという調査結果がある。「悲嘆の感情を受け止める癒し人というのは、家族よりも “心を許せる第三者” のほうがふさわしいということです。」近所が雨でも、世界のどこかは晴れているのだ。気持ちを共有できる友人が近くにいますように。友人の気持ちを共有する気持ちを持てますように。震災と関係ない人にも、できることはある。