先週、日立製作所と三菱重工業の経営統合というニュースを聞いて、驚いた方も多いだろう。結果的に、誤報となってしまったことに再び驚いた方も多いだろう。インターネットが普及した今、記者達が血眼になって追う特ダネに新聞社やテレビ局が経営資源をこれまでと同じく投資する意味があるのかと疑問を持つ人も少なくないはずだ。調査報道や背景を深堀する解説記事を増やすべきだという議論もあるかもしれない。今回は、経営とジャーナリズムの両立やメディア買収に興味を持つ人の考えの一助になりそうな本を紹介したい。
本書の舞台となるのは書名にある通り、アメリカ最大の経済紙「ウォールストリートジャーナル(以下、WSJ)」だ。メディア王のルパート・マードックがWSJの親会社のダウジョーンズを創業家のバンクロフト一族から買い取る攻防が描かれている。マードック、バンクロフト一族、投資銀行、そして買収劇にからみ一発もうけをたくらむ人々などの心理模様が時系列で詳細に描かれているためか、ジェットコースターに乗っているように一気に読める。特に、持ち株が分散しているため、創業家内の人物が多く出てくるが、元ヤク中など登場人物が実に人間くさく引き込まれてしまう。
企業の買収物語としてもオススメだが、本書の最大のおもしろさとは、新聞とはどうあるべきかという古くて新しいテーマをWSJという世界最大の経済紙の買収劇を通して浮き彫りにしていることだろう。WSJは経済紙という中身以上に大きな特徴が長文の読み物の「フィーチャー記事」を一面も含め、全面に打ち出した点だ。1941年に編集長に就任したバーニー・キルゴアが提唱した手法で、日付ものと呼ばれる発生や発表もの、ストレートニュースをなるべく排除し、事実の羅列でなく理由を深堀し、構成を工夫した記事で読者をひきつけてきた。
一方、WSJを傘下に収めたマードックはセンセーショナルな見出しや、センテンスが短い記事、写真の多用を好むことで知られる。WSJを買収したもののフィーチャー記事にも否定的だった。本書の中でもWSJの会議に初めて顔を出したマードックはこう言い放っている。「基本事実を第一パラグラフに持ってくるように。分析は後でいい。読者はそんなに暇じゃない」。そして、「記事は短ければ短いほどいい」とも言っている。つまり、重要なことから最初に書く、逆ピラミッド型を徹底せよと厳命したわけだ。
「重要なことから最初に書く。文は短く」。これは新聞記事の基本中の基本ではあるが、先ほど紹介したようにWSJはこれを否定したことで新聞業界で確固たる地位を築き、躍進を遂げてきた。それが、マードックの就任後、一面のフィーチャー記事は縮小され、全体的に短いセンテンスの記事が増えていったのだから、何という皮肉だろうか。さらなる皮肉は、こうした試みは部数という側面では失敗とは言えない点だ。07年にマードック傘下に入ったWSJは09年秋にはネット版と紙版の総部数は202万部に達し、「USAトゥデー」を抜いてアメリカ最大の新聞になった。マードックが言うように、人々が「暇でない」現代においては、深堀する読み物記事は、必要とされていないことを数字の面でも物語っているのかもしれない。
一方、業界内部からの評判は決して芳しくない。ピュリッツアー賞の受賞は07年以降、2011年の「社説」ひとつにとどまっているという。米国が震源となった経済危機があった08年も米国最大の経済紙ながら受賞を逃している。だが、マードックはいう。「ピュリッツアー賞を受賞するような新聞でなく、読者のニーズに応えられる新聞が生き残るのだ」と。
もちろん良質のジャーナリズム=ピューリッツアー賞とは言い切れないがひとつの物差しにはなるだろう。つまり、マードックが乗り越えなければ行けないハードルはここ何年も日本も含め業界で焦点となっている経済性とジャーナリズムの両立という問題だろう。ただ、本書を読んでいると多くの人が薄々気づき始めているかもしれないが、両立など不可能な時代なのかもしれないという思いを強く抱いてしまう。本書を読めば、新聞社のオーナーが資産の目減りを恐れ、持ち株を売ってしまい、わずかの間に世界有数の経済紙が変容をとげてしまった現実を嫌と言うほど知ることができるのだから。
ただ、WSJは幸運なのかもしれない。訳者の土方奈美さんが後書きで指摘しているように、「新聞というメディアに愛着を持ち、投資の採算など度外視してでも絶対にジャーナルを手に入れたい、マードックのような奇特な人物」がいたからこそWSJは存続の危機に陥っていないとも言えよう。つまり、時代は両立でなく、新聞社が企業として、なりふりかわずにでも存続できるかというところにきているのである。ジャーナリズムを貫き死ぬか、企業体としての維持存続を重視するのか。贅沢を言っていられないところまできているのである。これは勿論、日本のメディアも対岸の火事ではないのは広く知られているだろう(私も他人事ではないが…)。
著者はWSJのメディア業界担当の元記者。本書の登場人物も元上司や元同僚であるためか、彼・彼女らの葛藤をうまく描いている。従業員のWSJへの愛情がひしひしと伝わってくると同時に、大きな変革の波にあらがえない無力感も伝わってくる。