JOBS絶頂の10年は『WIRED』のない10年だった。
根が気弱なので、かつての日本版『WIRED』のファンだった人たちが正直おっかなかったりする。かつて同朋舎から日本版が刊行されていた頃、ぼくは社会人なりたてで雑誌づくりもよくわかってなかったのだけれど(ぼくはその頃、焼き物とか骨董とかの特集を売りにしてる雑誌編集部にいた)、たまに買う『WIRED』は、多くの読者がそうであったように「かっけー!おもれー!」と心で叫びながら興奮とともに読んだもので、なんの因果か、その誉れあるタイトルをいまこうして自分が舵取りしてつくっていかなきゃいけないハメに陥ってしまったことは、名誉に感じつつも正直けっこう荷が重い。
それでも、過去の日本版の威光はまぶしいと見えて、かつての日本版の多くの読者の方々のなかには、『WIRED』というとただそれだけで期待とともに親身に応援してくれる方がいらっしゃるのはホントにありがたいことで、もちろん自分なりには頑張って看板を汚さぬようやらねばとその都度気は引き締めはするものの、ちゃんと期待に応えられているのか絶えず不安な気持ちはある。
というのも、かつての日本版が出ていた頃と時代状況も一般読者の感覚も変わっているだろうし、そしてさらに大きなこととして『WIRED』が本領としてきたデジタルカルチャーや出版をめぐる状況が、当時からは大きく様変わりしてしまったことによって、『WIRED』という雑誌のつくりかたや読者に対するアプローチも変わらざるを得ないとぼくなりには考えていて、結果同じ『WIRED』とは言いながらなんかもしかすると随分違うものをつくっているような気がしてきたりもするからだ。もちろん、そういうふうにやることに自分なりの勝算と自負もあるわけだけれども、根のところで気が弱いので毎号おっかなびっくりなわけである。
これは、おそらく誰がこの任を受け持ったとしてもおそらくそうで、この不安が、根源的に何に起因するのかといえば、ぼくは、日本における『WIRED』というものの存在の不連続性に原因があるとみている。考えてもみてほしい。99年にかつての日本版は休刊となり、それが版元を変えて日本市場に再登場するのが2011年なので、実に10年以上もの間、『WIRED』は不在のメディアだったことになる。1999年から2011年。その間にいったいどれだけの大事件があっただろう。世間的な大事件はいわずもがな、デジタルテクノロジーの分野においてこの十数年がどれほど大きな意味を持つか、いちいち例をあげずとも誰しもおわかりになるはずだ。
そして、その10数年を、スティーブ・ジョブズの年譜と対照しながら見てみると事態はよりいっそう明らかになるはずで、この間にジョブズが世に放った幾多の魔法のデヴァイスが、ぼくら(というのは世界中の同時代人という意味だ)の暮らしをどれほどまでラジカルにひっくり返してしまったかを思えば、その間、その文化的意義や価値やコンテクストをレポートしてなきゃいけなかったはずの『WIRED』が日本になかったのは、いまからみて見るとありうべからぬ失態というべきであって(誰のせいでもないのだけれど)、その断絶は少なからぬ影を日本の文化状況に落としているように思えてならない。端的に言うと、『WIRED』不在の10年は、アメリカ版においてはクリス・アンダーソンが編集長として『WIRED』の名を世界中に一気に知らしめた10年であり、同時に日本が海外の状況から知らぬ間に隔絶し、俗に言う「ガラパゴス化」が進行した10年でもあったはずだ。
今回出版したスティーブ・ジョブズにまつわる特別号は、伝記映画の公開をヒントに制作を思い立ったものではあるのだけれども、サブタイトルに「『WIRED』はいかにスティーブ・ジョブズを伝えたか」とあることからもおわかりいただけるように、本の主体は「ジョブズ」にあると見せかけて、ぼくとしては、せめて半分は『WIRED』というメディア自体にあると考えていて、だからこそ、旧日本版『WIRED』の誌面をそのまま掲載するという乱暴なつくりにこだわった。言ってみれば、断絶していたふたつの日本版『WIRED』を、もう一回”接続”しなおしてみるということをしたかったのだと思う。
前半は、2000年代以降のUS版の記事から日本では未翻訳のものを新たに翻訳して掲載し、後半は旧日本版『WIRED』から、ジョブズ&アップル関連記事を当時の誌面そのままに掲載した(そのなかにはUS版の翻訳記事も含まれている)。前半は、いまぼくらがつくっている日本版の語り口やトーン&マナーを踏まえつつ制作したので、後半との間には色んな意味でギャップがあるかもしれないけれど、それを並べてみせるところに、ぼくとしてはこの本のキモがあると思っていて、記事の届け方や味付けの仕方の部分において時代に即した違いはあるにせよ、それを超えて通低する『WIRED』のイズムがあるのだとすれば、こうして並べることでそれが浮き彫りになるかもしれないという目論見もある。
本書をつくるにあたって半ば監修的な立場から関わってくださった旧日本版のファウンダーにして編集長の小林弘人さんに、旧日本版の休刊のいきさつについてお伺いしたときに、「これからというときになくなっちゃったんだよね」といかにも無念といった風情で語ってくださったのが、ぼくには印象深く残っている。2011年に再登場した『WIRED』に関わりながら、「あのまま『WIRED』が続いていたらどうなっていただろう」という問いを折に触れて思いめぐらせることがあるのだけれども、少なくとも日本の現状も、日本版『WIRED』の現状も、いまよりはもっとはるかにマシなものだったに違いないと思わざるを得ないという結論にいつも達してしまうのはわれながら残念なことで、それと較べるなら、ぼくらがつくっている『WIRED』はまだまだよちよち歩きの赤ん坊にすぎず、それはそれで育てあげる面白さはあるにせよ、大きな眼でみればやっぱりもったいない10年だったという感慨をもたざるを得ないのだ。
若林恵 日本版『WIRED』編集長
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