なんで人は死ぬんだろう、なんで生きるんだろう。と悩むのは思春期だけではない。特に、親が亡くなったときにその問いに襲われる。不安になる。自分をこの世につないでいた糸が切れたように、ふわふわと落ち着かなくなる。今やっていることに意味が見出せなくなる。日常が「薄く」なる。
私がそうでした。誰か答えを持っている人に会いたい、話を聞きたい、という思いだけで、汚い字で酒井雄哉師に手紙を書き、ずうずうしくも「本を作らせてください」とお願いをしました。一年近く待ちました。そのころ酒井師は、ガンが発覚、入院、手術と、それどころではなかったのです。再発し、もう打つ手がなくなって病院から比叡山に帰ってきて、「ほな、これからやろか」と私の企画を取り上げてくださったそうです。2013年9月上旬、ようやくお会いすることができました。師が他界する2週間ほど前のことでした。
「死の荒行」とも言われる千日回峰行を2度満行し、「生き仏」と讃えられた天台宗大僧正大阿闍梨・酒井雄哉師。拘置所で著作に希望をもらったという村木厚子さんをはじめ、これまでに多くの人の心を救ってこられた師が、大病を得て死を間近に意識したときに、どうしても伝えておきたいと思われたのが、「命」のことでした。
「死んだことないからわからんけどな」という謙虚な前置きを置いて、「命とはなんなのか」「なんのために生きるのか」という根源的な問いに、酒井師独特のやわらかな口調で明快に答えてくださいました。
「(亡くなる人への)情を捨ててしまえ」
「(病気が)治る自信がないのなら、無駄な抵抗はやめなさい」
「死も縁。楽しんだらいい」
本書で師が発した提言は痛快です。不思議と、すとんと腑に落ちます。「死」にまつわる話なのに、「生」をどう生きるかを力強く教えてくれます。自身のご病気に対する態度、行動も赤裸々にお話しくださいました。ほかにも、「縁」の不思議さ、ありがたさ、歩くことと生きることの関わりなど、酒井師の真骨頂ともいえる「実践すること」の大切さを説いてくれました。どれも、これまでに聞いたことのないお話ばかりでした。
実質的に最後の記録となってしまった本書のインタビューが、少し大げさかもしれませんが、生きる希望となる読者が必ずいると思います。一人でも多くの方が酒井師と縁を結ぶ一冊になってほしいと、心から願います。