本書は、ジョン・F・ケネディ大統領の会話記録を歴史家のテッド・ウィドマーが編集した本だ。
大統領執務室や閣議室での会話が録音されていた、と初めて明らかにされたのは、大統領が暗殺された10年後の1973年であった。それまでは録音システムの存在そのものが極秘扱いにされ、知らされていたのはごく一部の人間であった。側近のスピーチライターだったテッド・ソレンソンは「唖然としてものが言えなかった」という。装置を設置したのはシークレット・サービスであった。
大統領執務室では、レゾリュート・デスクとコーヒーテーブルのそれぞれにマイクと録音開始ボタンが撮りつけられた。閣議室では、壁にマイクが設置された。それからほどなく、電話での会話を録音する装置が追加された。会話の記録のみならず、ケネディ大統領は、重要なことがあった際には口述録音機に語りかけて音声記録を残した。たとえば、キューバ・ミサイル危機の初日や、南ベトナムのクーデターのニュースを聞いた日などだ。
大統領がシステムを設置した理由は明らかになっていないが、いくつかが想定できるという。1つは軍事的な理由だ。1961年のピッグス湾事件の際、CIAや統合参謀本部をはじめとする作戦立案者たちから届けられた情報には、おびただしい量の誤った情報が含まれていた。大統領にとっては、そのような言葉を記録しておくことに意義があった。
政治的な理由も考えられる。公民権運動に対応する際、南部の政治家と議論した内容を保持することが交渉の切り札になった。そして、最後に、純粋な歴史記録としての価値を大統領が認識していた可能性が挙げられる。『勇気ある人々』でピューリッツァー賞を受賞した大統領であるから、歴史による判断を尊重し、将来の世代にとって重要な意味をもつ会話を記録する義務を認識していた可能性がある。大統領は、伝説を乗り越えて現実を見ることを好んだ。編者は、「本書は、どんな書物よりも、ケネディの自伝に限りなく近いものになるだろう」と述べる。
1962年7月から1963年11月までの期間に集められたのは、248時間に及ぶ会議記録と、17時間半の電話と口述の記録である。暗殺後、録音テープは倉庫や連邦政府の保管設備を転々とし、何本かは個人に所有されたりしたが、長い年月をかけて多くが発見され、現在はケネディ大統領図書館に保管されている。
この「JFKテープ」の情報公開は1983年に始まり、2012年に最後の24時間分が公開されて完結した。本書は、JFKテープ全体から編集された最初の出版物である。今月15日に駐日大使として着任した長女のキャロライン・ケネディさんが、大統領図書館の理事長として序文と謝辞を寄せている。顕れているのは、受け継がれた覚悟だ。
本書の構成を見ると、ケネディ大統領がいかに変化の大きい時代を担っていたかを感じることができる。「宇宙開発の夢」の章では人類を月に最初に送り込むという強い決意が興味深い。「公民権運動の渦の中で」の章では、ワシントン大行進を終えたマーティン・ルーサー・キング・ジュニアらと会談した。「キューバ・ミサイル危機」では、核戦争の危機を回避するための会話が記録されている。
JFK どのくらい進んでいるんだ?
ランドール 大統領、われわれもこのような基地は見たことがないのです。
JFK 発射可能な状態なのか?
グレイビール いいえ。
JFK 時間は?発射可能になるまでどのくらい時間があるか、わかるのか?
グレイビール わかりません。GSC(誘導システム)がどの程度完成しているかによります。
このように極めて重要な案件が会議や電話で進んでいくプロセスを読むと、大統領という職務を遂行しているのがたった一人の人間であることが改めて認識される。そこにあるのは、絶え間ない不確実性、決断と合意形成のプロセスだ。話し合いは、必ずしも平坦な道ではない。大統領が部屋を出た後に回り続けたテープには、キューバへの先制攻撃を主張する参謀本部関係者の会話が残されている。
くそったれめが、やつがぐずぐずを望む限り、こっちはミサイルを取り除くこともできない。
本書にはCDが付属しており、上記についても実際の音声を聞くことができる。キューバに侵攻して核戦争を起こすという無謀な提案は、大統領には相手にされなかった。このような緊迫した場面が録音されていることもあれば、キャリアについてのインタビューのようなリラックスした場面もある。遠くでクリスマス・キャロルを歌う声が聞こえることもある。読者は本書で、伝説ではない、本当のケネディ大統領に触れることができる。
“A man may die, nations may rise and fall, but an idea lives on.”
President John F. Kennedy