偉人伝にも、はやりすたりがある。野口英世やシュバイツアーの凋落は著しい。ユーリ・ガガーリンも、世代によってずいぶんと知名度が違う偉人のひとりだろう。知っている人にはいうまでもないが、『地球は青かった』という名言とともに記憶されている世界最初の宇宙飛行士だ。
ソビエト社会主義共和国連邦の秘密主義というのはここまですごかったのかということがよくわかる本でもある。国体が崩壊するまで、多くのことは鉄のカーテンの外へ漏れ出ることがなかった。それどころか、カーテン内で共有されることすらなかった。この本の原著が最初に書かれたのは、1997年。ガガーリンが死んで20年近くもたち、ソ連が崩壊して人々がようやくいろいろなことを口にだせるようになってからのことである。
宇宙開発におけるソ連の秘密主義を象徴するのがセルゲイ・コロリョフだ。アメリカ宇宙開発の父、ヴェルナー・フォン・ブラウンと、宇宙開発における貢献度はほぼ同等、いや、上回るといってもいいだろう。そうであったにもかかわらず、コロリョフはあまりに無名だ。それもそのはず、西側に知られるのをおそれた当局によって、生前はその存在自体が隠されていたのであるから。
コロリョフは、ソ連当局の意向を巧みに利用して、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の開発と見せかけながら、世界初の人工衛星スプートニク、ガガーリンが搭乗した世界初の有人宇宙船ボストークを開発する。最大の成果であるR7ロケットを基盤とするソユーズが、すでに1800回も使われ、いまでも現役であることが、コロリョフの設計思想のすばらしさを物語っている。
ガガーリンは、ある意味ではコロリョフと対極にあり、人類最初の宇宙飛行士になった後、パブリシティーのきわみともいえる偶像へと登りつめた。世界初の宇宙飛行士として、そしてそれ以上に、ソ連の科学技術の優秀さを知らしめる広告塔として、世界中を飛び回った。海外旅行などほとんど認められなかったソ連の人間としては、まったく異例のことだった。
そのガガーリンの初宇宙飛行においても、ソ連の秘密主義というのは徹底していた。宇宙飛行に飛び立つことは完全に秘密であり、家族ですら、宇宙飛行の成功をラジオによってはじめて知ったほどだ。おそらく、失敗していたら、ガガーリンは何らかの事故によって亡くなったことにされ、まったくうやむやにされていたに違いない。
その成功した宇宙飛行についても、隠されていたことが二つあった。一つは、ガガーリンは地球を周回していなかった、ということである。千数百キロとわずかなのであるが、一周に届いていなかったのである。もう一つは、その着陸方法である。この本を読むまで、ガガーリンは、てっきり、宇宙船に乗ったまま地上に降り立ったと思っていた。しかし、実際は、途中で宇宙船から離脱し、パラシュートで帰還していた。
なぜ、そんなことが秘密にされていたかというと、このころの高度記録では、機内にとどまって戻ってこなければならない、という規定があったからだ。着陸前にパイロットが離脱した場合は、なんらかのトラブルがあったと見なされ、完全な飛行とは認定されなかったのだ。そのため、宇宙船から離脱して帰還したことは、決して公にすることができない事実であった。
米ソともに、宇宙開発の初期、宇宙飛行士は戦闘機パイロットから選ばれ、ガガーリンも例外ではなかった。宇宙飛行が人間にどのような影響を与えるのかがわからなかった時代、訓練は現在よりもはるかに過酷であった。また、短い時間とはいえ、宇宙という無重力環境でひとりぼっちになる、ということから、心理的にも非常に安定している必要があった。何百人ものパイロットの中、ガガーリンはすべての面できわめてすぐれていた。
それだけではない。頭の回転のよさ、人を決して傷つけることのない配慮あふれる人柄、コロリョフにもかわいがられた人好きのする性格、労働者階級出身であるというソ連にとって都合のいい出自、狭いボストーク船内にフィットする小柄さ、などもガガーリンに味方し、世界初の宇宙飛行士に選ばれた。
世界初の宇宙飛行は、文字通り命がけのミッションであった。だからこそ、成功の報酬は大きかった。世界はガガーリンを熱狂的に受け入れ、時の首相フルシチョフは、ガガーリンの名声を最大限に利用した。しかし、そのことがガガーリンに暗くのしかかるようになる。フルシチョフが失脚し、ブレジネフ政権に移り、次第に疎んじられるようになっていってしまったのだ。
そんな中、ガガーリンは、もう一度宇宙に飛び立ちたい、と、世界初の宇宙飛行士としては決して大きすぎない夢を抱くようになる。しかし、その夢がかなえられることはなかった。かなり若い時期に宇宙飛行士候補に抜擢されたので、飛行機乗りとしての経験と技術はそれほどでもなかったガガーリン。それを取り戻すべく訓練機で飛行訓練をおこなっているさなか、34歳という若さで、地面に激突して死亡する。その原因は、はたして…
『地球は青かった』という、日本人なら誰もが知っていた名文句は、どこでどのような形で紹介されるのだろう、と思っているうちに、本を読み終わってしまった。『???』である。ウィキペディアでしらべてみたら驚いた。なんと、ガガーリンはそんなことを言っていなかったのである。
『空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた。』というなんの変哲もない発言が、日本でだけ、いつの間にか『地球は青かった』になっていったらしい。しかし、そのことを知っても決してがっかりはしなかった。この本を読んでみたらわかるはずだ。ガガーリンという、どこまでも優しく素朴で魅力的な愛すべき人間には、気の利いた名文句など、あってもなくても同じだということが。
---------------------------------------
宇宙飛行士本といえばこれでしょう。立花隆は、将来、この一作だけで偉大なノンフィクション作家だったと評価されるようになるのではないかと思う。
---------------------------------------
アメリカの有人宇宙飛行を描いた作品。原作は絶版です。ジェームズ・ミッチェナーの『スペース』もむっちゃおもろかったけど、邦訳は絶版です。
---------------------------------------
世界中のロケット図鑑。小さい版の本だけど、見応えあり!
---------------------------------------
おもしろい本だけど、これも絶版。宇宙時代の夜明けはソ連によってもたらされた。