「お・か・げ・さ・ま」という感謝の気持ちを思い出させてくれる一冊
最近のもっとも明るいニュースといえば、2020年の東京オリンピックの開催が決まったことではないだろうか。東京オリンピック招致の最終スピーチで、最も印象に残った言葉の一つは、「お・も・て・な・し」だった。日本人が持つ「おもてなしの心」が、世界中の人たちを動かした結果が、再びオリンピックを東京へ連れてきてくれたのかもしれない。そもそも、「おもてなしの心」とは何だろうか。 日常生活に置き換えてみると、「おもてなしの心」は、「思いやりの心」と言い換える事ができるのではないだろうか。人間関係が希薄になった現代において、それを肌で感じることが少なくなった。小説の世界でも同じことがいえるかもしれない。その「思いやりの心」を最も感じる事ができる小説のジャンルは、江戸を舞台とした時代小説ではないだろうか。物語を楽しみながら、「互角に向き合い、互角に言い合い、互角で付き合う」という江戸という時代を生きる人々の共生の姿に、「おもてなしの心」を感じてみませんか。
今月は、そんな「心」の詰まった一冊から。
本所亀沢町にある「おけら長屋」を舞台に、江戸落語風の口調で綴られた人情あふれる連作短編集だ。長屋に住む12世帯の癖のある住人達が入り乱れ、毎日がお祭り騒ぎ。貧しいくせにお節介で、そそっかしいくせに情に厚い住人達。心の底から笑えて、ほろりと泣ける心温まる一冊だ。七つの物語からなる本書。その魅力を一番感じることが出来る「かんおけ」にふれ本書のご紹介としたい。
その弐「かんおけ」
信州諸川藩の剣術指南役の長男として生まれた島田鉄斎は、35歳で剣術指南役を引き継ぐ。しかしその半年後、諸川藩が幕府から断絶され浪々の身となった後、陸奥津軽の黒石藩で剣術指南役となり結婚をしたが、ある日屋敷に何者かが押し入り、妻が舌を噛み切って自害する。御前試合で鉄斎に無様な負け方をした近藤の仕業のようだ。鉄斎は近藤を討ち、黒石藩を去り江戸へと旅立つ。
江戸へ辿り着いた鉄斎は、女スリを捕まえた事件をきっかけにおけら長屋の大家、徳兵衛と知り合う。徳兵衛の誘いでおけら長屋を訪れた鉄斎。そこに、「年季奉公先から病床の母親にひとめ会いたいと抜け出した娘を匿うことにした」と、左官の八五郎が報告にやって来る。長屋の住人たちは、娘を匿い母親と会わせことができたのだろうか。これぞ江戸っ子の知恵と心意気が詰まった一編だ。物語を締めくくるオチは、まさに江戸落語の仕込みオチ。読後にじんわりと広がる温かさは、作品中一番だろう。
人間は、ひとりで生きてゆくことはできない。それは、今も昔も変わらない。本書を読み終えると、「おかげさま」という言葉が浮かんでくる。その気持ちこそ「おもてなしの心」の原点なのではないだろうか。時代小説から学ぶことは、まだまだたくさんありそうだ。
「人が信じられなくなったときは、高田郁を読むといい!」
8月末、私的に2020年の東京オリンピックの開催決定以上に嬉しい知らせがあった。
著者や内容が大阪ゆかりの既刊の文庫のなかから、大阪の本屋と問屋が選んだほんまに読んで欲しい本を選ぶ「Osaka Book One Project」の第1回受賞作が、僕が今、最も愛する作家の一人である高田郁さんの『銀二貫』に決まったのだ。
高田郁さんの作品は、デビュー作『出世花』から『みをつくし料理帖』、そして『あい 永遠に在り』に至るまで「人間愛」という一貫して太い一本の芯があり、全ての人に開かれているはずの無限の発展の可能性を信じ、人間を信じ、尊重し、暖かく慈しむような眼差しで描かれている。非境な運命を背負いながらも、ひた向きに真っ直ぐに自らの道を進む主人公の成長を、独特のテンポと細部まで行き届いた丁寧な描写で紡がれた物語は、多くの読者を魅了した。僕に至っては、高田作品の主人公「お縁」「お澪」「あい」を、まるで恋人にでも出会うような気持で、何度も何度も読み返している。そんな高田作品の中で、唯一おすすめしきれてこなかった一冊が、『銀二貫』だった。
舞台は、大阪・天満の寒天問屋。主・和助は、大火で焼失した天満宮再建のために、かけずり回り調達した銀二貫を抱え、天満宮に向かっていた。道中、武士同志の仇討ちの斬り合いに出くわす。殺された男の傍らには、鶴之輔という息子が遺された。鶴之輔は、和助が抱えていた銀二貫で、命を救われることとなる。孤独の身となった鶴之輔は、和助の勧めで寒天問屋に奉公することを決意する。商人としての厳しい躾と修行。そして再び町を襲った大火など、降りかかる幾多の困難を乗り越え、新たな寒天を作り出すまでが、「人間愛」いっぱいに描かれている。受賞の知らせを受け、再び読み直した。以前読んだ時との印象の違いに驚いた。その答えが水野晶子さんの解説に書かれていた。
「抗いようのない大きな力で大切なものを奪い去られたとき、人は何を感じ、どんなふうにして日常の暮らしを取り戻していくのか。あの厳冬の中、電気の光もガスの熱もない状況で、彼女自身それを体験したわけだから。」
きっと僕は、阪神淡路大震災を経験した高田さんから、東日本大震災で大きな被害を受けた私たちへのエールの一冊として読んだからだろう。東日本大震災前に書かれた本書と、今このような形で出会い事に運命を感じてしまう。
大阪の本屋と問屋から発信された想いを、東北へのエールととらえ、遠く離れた岩手でも「銀二貫」を一人でも多くの読者に届けたいと思う。
田口幹人
さわや書店フェザン店店長
酒と本をこよなく愛す中年書店員。趣味は山菜やキノコを求めての山歩き。
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