「名誉の殺人」とは、結婚前に肉体関係を持った女性などをその家族が殺し、一族の「名誉を回復する」こと。中東や南アジアなどで行われている。
こう書けば、『生きながら火に焼かれて』という本を思い出すHONZ読者も多いかもしれない。ヨルダン川西岸地区の若い女性が恋人と肉体関係を持ったため、義兄が彼女にガソリンをかけ、火をつけて殺そうとするが、なんとか助けだされた体験を、火をつけられた女性自身の言葉で綴ったノンフィクションだ。この作品は十分に衝撃的だったが、それでも読み手としては救いのようなものがあった。特異な社会の酷い男たちが女性を苦しめ、虐待し、殺している、と考え、単純にそれを憎み、憤ることで、気持ちを少しは落ち着けることができたからだ。
しかし主にトルコでの事例を扱った本書の読後はもっと複雑だ。なぜなら本書は、名誉の殺人を行った側、すなわち、かわいがっていた妹や娘、愛していた母親を手にかけ、刑務所に収監されている男たちを取材し、構成されているからだ。そこには愛するものを殺した側の苦しみと、殺さなければ一族皆が社会的に抹殺される共同体社会の現実、そもそもまったく罪のない人達が不幸になっていくあまりの理不尽さが、これでもか、と描かれている。しかも女性たちが「罪」(もし誰かと恋に落ちることを罪というのならば、だが)を犯したとは到底思えない事例も多数あるのだ。
例えば14歳になるクルド人の少女ヌランは、イスタンブールのバスターミナルで金をだまし取られたうえにレイプされた。その後、ヌランの父はワイヤーで彼女の首を絞めて殺した。
実はヌランの父は一週間にわたり礼拝をし、コーランを読み、赤ん坊のように泣き続けた。しかし、一族の名誉を守るために彼女を殺すことを望む多くの親族たちに監視された状況で、他の決断はありえなかったのだ。
この話を著者に伝えたのは、ヌランともっとも仲が良かった兄ハルンである。父と長兄、叔父が終身刑となり、家族は崩壊した。靴磨きでなんとか生計を立てている青年ハルンは自分が妹を殺したと考えている。
同じくイスタンブール。姉が売春婦であるという噂を流され、イリヤスとその家族は共同体で孤立した。侮蔑の言葉が吐かれ、夜通し家には石が投げ込まれた。無言の圧力がイリヤスを襲い、彼はとうとう姉を絞殺した。そして一晩中泣いた。そして死後の検死で姉は処女であることがわかった。
しかし姉の死後に彼らの名誉が回復されることはなかった。これまで姉を殺すべきだと無言の圧力をかけていた住民たちは、姉の死を大げさに悲しみ、イリヤスを罵倒した。その一方で、姉が処女だったという検死結果に関しては、「イリヤスが検死官を買収して嘘の報告書を作らせた」と残された家族を責め立てた。イリヤスの妻は、獄内のイリアスに離婚を求める訴訟を起こしている。
非道な男たちも次々に登場する。伯父に誘惑され肉体関係を持ち、妊娠したナイレ。伯父はナイレが嘘を吐いているといい、結局、ナイレが兄に殺された。ナイレを殺すべきではないと言った父親は幽閉され、家中の窓が親族たちによって割られた。ナイレを殺した兄は刑務所に入り、父親は尊厳を失って彼と口をきく家族はもはやいない。その一方で幼い姪を騙して肉体関係を持った伯父は平然と生きている。
イェテルという少女をレイプをしたのち、結婚すると嘘をついて恋愛関係になったアジスという男は、イェテルに他の男との売春まで強要していた。妊娠後、彼女はその母親ともども、父親に射殺された。父は収監され、アジスは自由の身のまま。アジスの嘘が町に広まり、イェテルの家の「名誉」は今も回復されていない。
ベルギーのトルコ移民街で、ハカンという男は、妻の妹を平然とレイプし、その後も脅しながら関係を続けた。「女性が誘惑しなければ男はレイプしない」ことが常識であるこの地域では(いや、この地域だけではないだろう。世界中にそういう意識は潰えることなくいまだ蔓延っている。日本を含めて)、レイプ被害者は「ふしだらな女」として非難されるばかりではなく、家族に殺されるかもしれないという命の危険にもさらされる。秘密にするほかなく、それに乗じてハカンは姉妹との3Pも求めたりする(うー、書いていて本当に気分が悪くなってきた……)。
さらに、ハカンは自分の罪が露見しそうになったため、妻の別の幼い妹を射殺した。もちろんその妹は処女だったが、彼は彼女が不貞を働いた、と主張したのだ。その男の罪は一族の名誉を守るために秘密にされ、代わりに妹の兄が罪をかぶって収監された。ハカンは逮捕もされず、今までどおり生活している。
特に最後の例は理不尽すぎて、私の説明だけではよくわからないかもしれないが、この家族をめぐる話は、この本のなかのもっとも重く、また(失礼な言い方かも知れないが)引きつけられるものであるので、ぜひとも購入して読んでほしい。
他にもトルコの保守的な町で、市場で男の子と笑いながら話していただけで自殺を強要されたり、ラジオ番組に歌のリクエストをしたことで、家族全員の前でみせしめとして殺されたり、「女性のための映画興行」に出かけたために撲殺されたり、といった例も紹介され、その生命の軽さと「名誉」なるものの異様な重さに慄く。
2000年から2005年の間にトルコでは1806人の女性が「名誉の殺人」の犠牲となり、さらに5375人が家族からの圧力で自殺したという。
名誉の殺人は、DV(多くの女性が父に、兄たちに、そして夫に、幼いころから年をとるまで殴られ続ける)そして強制結婚と不可分に結びついている。本書の例では14歳の少女が老人と強制結婚させられ、拒否したければ自殺しか道はなく、受け入れても彼女が妊娠してもし女の子を産めば、侮蔑されると書かれた下りがある。女の子は厄災であり不幸の原因だと男たちは言うが、むしろ、彼女らにとってはこの世界こそが厄災でしかない。
これらの事件は、昔から続く伝統や宗教の問題として捉えられがちだ。しかし、彼女たちの悲惨な現状は、むしろ欧米的な自由な社会が彼らの生活に入り込み、その自由な風に身を晒され、圧倒的な豊かさを見せつけられたことで、伝統的な共同体が惑い、頑なになり、凶暴化した結果であるという意味で、極めて現代的な問題でもあるように思える。トルコ人やクルド人という民族の問題として、遠い国の因習のストーリーとして捉えてしまうのは、事態を矮小化しているといえるだろう。
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村上のレビューで話題になった本。『名誉の殺人』の内容とも見事にリンクしています。
チェチェンの女性たちが自爆テロを行った理由。背景は『名誉の殺人』とかなり似ていると思う。